前へ!前へ! 一歩前へ 全力農業。絆を大切に、若い後継者が魅力を感じる農業経営を目指す
2023年03月14日
肥沃な大地と穏やかな気候、豊富な水資源に恵まれた栃木県。その中央部に位置するさくら市は、塩谷郡氏家町と喜連川(きつれがわ)町が合併して2005年に産声をあげた市である。
土屋恭則(やすのり)さんは、「若い後継者が魅力を感じる農業経営を目指し、地域の仲間とともに農業を楽しみたい」という熱い郷土愛を持っている。その実現に向け、栃木県農業士、さくら市農地利用最適化推進委員、JAしおのや氏家地区麦大豆部会長、JAしおのやさくらさつま芋部会長といった複数の役職を務め、忙しい農作業の合間を縫って意欲的に活動している。
売上は右肩上がり
土屋さんが代表を務める匠屋株式会社は水稲50ha(主食用米39.5ha、酒米7.5ha、糯米3ha)、麦32.7ha(二条大麦14.7ha、小麦18ha)、大豆37ha、サツマイモ60aを経営している。酒米の品種は「山田錦」で、栃木県では生産が急拡大しており、2020年は全国第4位、東日本最多となっている。海外でも人気の日本酒「獺祭」用に生産する契約農家が多く、匠屋は栃木県内の5つの酒蔵に出荷している。両親が酒屋との兼業農家だったため、土屋さんは酒米作りに思い入れがあるのだ。ほかにもビール麦では「ニューサチホゴールデン」を生産する。
法人としての売上は約8000万円で、右肩上がりで推移しているという。
産地を作り、次世代を育てる
「産地はもともとあるものではなく、人の手によって作り上げられてきた。人の力は改めてすごいと思う」。そう語る土屋さんが産地化に力を入れているのが、栃木県が開発したもち性大麦の「もち絹香」だ。
絹のように白い「もち絹香」は麦特有のにおいや癖がなく、冷めてもモチモチした食感が味わえる。高脂血症や糖尿病の予防効果があるβ‐グルカンを豊富に含み、味・栄養価ともに優れた品種である。胸を張って全国に打って出たいが、現状では生産量が足りない。だからこそ先行して地元で盛り上げ、行政と連携して発信し続けようと考えている。
知名度アップのため「もち絹香」を市内小中学校の給食用に無償で提供。「まず、未来を担う子どもたちに食べてほしい。『地元でこんなにおいしい麦が作られているんだ』と故郷を誇りに思ってほしいし、産地化することで次世代を育てたい」と土屋さんは言う。
左 :栃木県オリジナルのもち麦品種「もち絹香」
右 :「もち絹香」を入れて炊いたご飯。白さとモチモチした食感が特徴
高齢者の健康と生きがい作りに貢献
匠屋は現在、役員4名、常時雇用5名、臨時雇用のスタッフ延べ200人で運営しているが、中でも高齢者の労働力を大切にしている。たとえば水門の開け閉めなどを地域のお年寄りに依頼し、謝礼として1ha当たり米1俵をさしあげている。ご近所だからこそ、草が詰まったなどのトラブルもすぐ改善される。また「○○さんは体力的に厳しくなったから、農地を手放したいらしい」という地域に密着した情報も集まりやすく、農地集積につながることもある。さらに、農地を託してくれた高齢者に作業を発注し、報酬を支払う取り組みも行っている。
「借料の上に報酬まで支払うような田んぼはいらない」というのが一般的だが、体が動くうちは誰しも仕事がしたいものである。土屋さんはそうした気持ちを受け止め、業務を発注。すると高齢者もその気持ちに応えて丁寧な仕事をしてくれるのだという。ほかに育苗管理にも地元高齢者を積極的に雇用。80歳を超えても、「デイサービスじゃなくて匠屋に行ってくる」と元気に出かける姿に、家族も地域も笑顔になる。
スマート農業にもアンテナを張っているが、人の力があるうちはそれを大切にするのが土屋さんのポリシーだ。
左 :匠屋の従業員の皆さん
右 :米は八十八の手間を表すが、それを超えて九十も仕事をすると野暮。あとは好きなことをやるのが「粋」。「粋2"百姓"」という言葉にはそんな意味を込めている
さくらさつま芋部会
土屋さんは「もち絹香」とともにサツマイモ「紅はるか」の産地化を目指し、JAしおのやさくらさつま芋部会を立ち上げた。昨年10月には、新規就農者や新たに栽培に挑戦する農家のための研修会を2日にわたって開催。すべての作業実演を行った。百聞は一見にしかずである。
土屋さんは研修会の間ずっと周囲の参加者に気を配り、すべての人に声をかける。新規でサツマイモ作りを始める人には、所有する機械の貸し出しも行っている。「苦しみは半分持ってあげる、そうすれば幸せは2倍だよ」と、土屋さんは人懐っこい笑顔を浮かべる。
左 :さくらさつま芋部会の研修会であいさつする土屋さん
右 :収穫機によって次々に掘り取られるサツマイモ
土屋さんの背中を見て......
研修会の会場となった畑の所有者は株式会社和みの杜という農業法人で、母体は地元で50年近く運送業を営む大きな会社だ。8年ほど前に「農業に無限大の魅力を感じる。自分の会社でも農業をやってみたい」と社長から相談を受け、惜しみない指導や援助を行ってきた。3haから始まった農地は現在30haまで拡大。6次産業化にも取り組み、プライベート商品「甘極(かんきわ)み(干し芋)」の開発・生産・販売を行うまでに成長した。
こうした頼もしい後継者が生まれる背景には、日頃から率先して動き、常に何かできないかと考え、発信し続ける土屋さんの存在がある。さらに土屋さんは新規就農希望者などの研修や、引きこもり自立支援の農業体験も受け入れている。
スポーツのように農業でも感動を
2019年、日本で開催されたラグビーワールドカップ。代表選手が着るジャージの胸には桜のエンブレムがあった。さくら市ではそれにちなんで「日本代表がベスト8に入ったらお米を贈呈しよう」というプロジェクトを企画。日本代表はみごとベスト8入りを果たし、贈呈には匠屋の米が選ばれ好評を博した。
土屋さんはそれまでラグビーを見る機会がなかったが、「うちのお米でパワーをつけてくれたらいいな」と観戦するようになった。選手たちが試合に打ち込む力強い姿に感動し、苦しい場面でも決して引くことなく、一歩でも前へ出ようとする姿に心打たれた。そして、自分の農業と置き換えて考えてみた。
「農業も『一歩前へ、一歩前へ』の気持ちで発信し続ければ、必ず消費者に伝わるはず。『泥だらけになって頑張っているんだな。ならば食べて応援しよう』という気持ちになってくれる。それに、若い人たちにも頑張ることの素晴らしさを感じてほしい」と土屋さんは願っている。そんな思いを込め、匠屋の会社案内の表紙には「前へ!前へ! 一歩前へ 全力農業」と記されている。
左 :おしゃれなパッケージは贈答用にピッタリ。左から「コシヒカリ」「とちぎの星」「ゆうだい21」「もち絹香」
右 :普及指導員の石川郁太郎さんと。いつも情報交換し、行政とのタッグを大切にしている
仲間を何より大切に
取材中、土屋さんの携帯にはたびたび着信があり、皆から頼りにされているのがうかがえた。電話の受け答えでは「よかったよかった」「大丈夫だ」「ありがとう」といった受容と感謝の言葉が印象深かった。「仲間を何より大切にし、皆で農業を楽しみたい」という土屋さん。あふれるアイデアとバイタリティは、全力農業という言葉がとても似合う。
そして「絆」の大切さを改めて感じさせてくれる取材だった。(ライター 松島恵利子 令和3年10月22日取材 協力:栃木県塩谷南那須農業振興事務所経営普及部)
●月刊「技術と普及」令和4年3月号(全国農業改良普及支援協会発行)から転載
匠屋株式会社
栃木県さくら市長久保100番地
TEL:028‐682‐4993