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農業経営者の横顔



「農業はつらい、しんどい」を何とかしたい! 作業の分散化・効率化を率先し、みんなが儲かる農業を実現

2023年01月16日

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中尾佳照さん、中尾由美さん(奈良県生駒郡平群町)


 奈良県の西北部に位置する生駒郡平群(へぐり)町。西は生駒山地と信貴山(しぎさん)、東側を矢田丘陵に囲まれた山間の小さな町である。古代より豪族が支配した当地には古墳や神社が点在し、戦国時代には松永久秀が信貴山城を大和攻略の拠点とするなど、歴史と文化に彩られた地域でもある。
 この平群町に明治末期、大阪の八尾(やお)・神立(こうだち)から花木、草花、キクなどの栽培が伝えられた。気候や地質が花の栽培に適していて、商圏である大阪に近いことなどから多種多様な品目が生産されてきたが、昭和50年代より主力品目を小ギクへと転換。今では「小ギクといえば平群、平群といえば小ギク」と言われるほど有名になった。
 中尾佳照さんは1989年、27歳の時に切り花づくりを先代から引き継ぎ、創意工夫の農業経営で規模を拡大、2017年度に農林水産祭天皇杯を受賞した。中尾さんに小ギク作りへの熱い思いを聞いた。


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左 :丘陵地に広がる、県営農地開発事業の小ギク団地
右 :可憐な小ギクの花束


27歳で跡を継ぎ、効率的な農業経営に取り組む
 中尾さんは専門学校卒業後、コンピューター関連の会社に勤務したのちに就農した。「小学生の頃から親父の仕事を手伝ってきたし、会社員時代も土日は農作業をしていたから、会社を辞めて跡を継ぐことに何も問題はなかったです」と当時を振り返る。
 会社員なら通常、勤続年数によって給与は上がっていくが、その一方で「農家は収入が増えていくのだろうか?」という心配もあった。しかし、勤務先で東京転勤の話が出たことから就農を決意する。中尾さん曰く、「農業をやるからには収入を上げなければ意味がないし、跡を継いだ意味もないですから」。


202301_yokogao_nakao_15.jpg 最初に取り組んだのは機械化だった。特に薬剤散布機は肘と肩などへの負担が大きかったため、T字型噴口に改良した散布機をJAと一緒に開発。散布竿の先にノズル管を垂直に立て、角度調整ができるノズルを6個付けて、通路から横向きに噴射する。畝間を歩いて散布するだけで、葉裏までしっかり薬剤が付くすぐれものだ。「楽をしたいのではなく、しんどいことを減らしていけば、いい作物を作ることに集中できる」という思いが中尾さんにはあった。
 また、小ギク農家は春から夏にかけて忙しく、冬は時間がある。そこに疑問を感じた中尾さんは、「なぜ冬は畑にマルチをかけないんだ?」と父親に尋ねると、「今までやったことがない」という返事。中尾さんはマルチをかければ肥料は抜けないと考え、冬に前もって作業をすることで春夏の作業量を軽減させた。「効率的に働くことで、つらい、しんどいを何とかしたかった」と顔をほころばせる。
右 :小ギクの圃場


電照栽培に地域で初めて取り組む
 電灯を使った電照栽培に取り組んだのも中尾さんが地域で初めてだった。今から16年前のこと。「小ギクはお盆向けの8月1日から15日と、9月の彼岸の時期に花が咲くようにしなければいけない。自然に任せていては遅れてしまうこともあるので、電照で調整して何日後には花が咲くという管理をするんです」。


 最初は白熱灯を使ったため、「電気のメーターがぐるぐる回って大変でした」と笑うが、現在はLEDを使っているので電気代も6分の1にまで抑えられている。小ギクには特に赤色LEDが効果的だという。「とにかく、電照なんて地域の誰もやったことがないから、みんな僕のことを見ているわけですよ。成功して、儲かっているぞというところを見せないといけない。だからこそ頑張って成功させました」と中尾さん。

 開花時期や出荷のズレは、市場や消費者の信頼を失うことに直結する。平群の町には「夏秋期日本一 平群の小菊」と書かれた大きな看板が立てられており、ブランドを守る意識が中尾さんには強くある。小ギクの国内需要は、12月から5月までは沖縄県産が市場を占める。平群の小ギクは6月から11月がメイン。「夏秋期日本一」は、平群の農家にとっての大きな誇りなのだ。


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左 :白色・赤色LEDを使った露地電照抑制栽培
右 :平群町に立つ"日本一"を誇る看板


個人が儲かるのではなく、地域全体が儲かる農業を
 現在、専従者は中尾さん夫妻と次男の諭史(さとし)さんの3人で、パートとして男性13人、女性8人が働いている。小ギクの作付面積は5.7ha、パイプハウス12棟、ガラス温室が1棟ある。小ギクは約250もの多品種栽培で、男性が栽培管理と収穫作業を担い、女性は作業場で選花などの作業を行っている。出荷は、JAならけん西和花卉部会の共選共販出荷を通じて、関西6市場を中心に全国約10市場に展開している。
 中尾さんが顧問を務める西和花卉部会には地域109の農家が参加しているが、重量選別機などの機械導入は、この部会が中心になって進めている。「昨年まで会長をやらせてもらったのですが、技術面と販売面の協議から情報発信活動まで、いろいろ取り組んできました」。
 2015年には花卉集出荷場を整備して低温貯留庫を導入したことで、販売2日前からの荷受けができるようになった。かつては商品の検査作業やトラックへの積み込み業務には生産者も当番制で参加していたが、中尾さんが中心となって要望したところ、生産者は生産に専念、販売はJAという完全分業体制が実現した。


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左 :収穫風景
右 :施設栽培(フルオープン型ハウス)


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左 :重量選別機を使った選花作業
右 :選花作業


 平群の小ギク農家は、できるだけ経費をかけずに栽培するため、露地栽培が主である。小ギクの単価は1本当たり35円程度と安価で、経費をかけると経営が圧迫される。だが、この単価なので外国産が入ってくることがなく、バラやカーネーションのような輸入が多い花と比べると安定しているといえる。
 中尾さんは「自分だけが儲けようという考えはダメで、地域のみんなが高め合って品質の良い花を作ること。平群の小ギクのブランド力をさらにアップさせることが自分の役割です」と言い切る。こうした姿勢と活動が、3度の農林水産大臣賞、2017年の天皇杯、さらに2019年春の黄綬褒章へと結びついた。


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左 :地域団体商標を取得した「平群の小菊」を冠して出荷
右 :農林水産祭天皇杯


花は人の心を和ませてくれるもの
 これまで法人化することは何度か考えたが、当面は家族経営で進めるという。「息子の諭史には、『夏場に作業が集中する小ギクだけでも良いが、ほかの作物も考えておけ』と言っています。仏花などは今後、どうなっていくかわからないですから」と、次代を担う息子に期待を寄せる。
 ただ、コロナ禍の時期、小ギクはよく売れたという。「輸入が減ったという事情もあるのだろうが、こんな時期だからこそ、花を飾って心を和ませたいと思う人が増えたんじゃないでしょうか」と、需要の伸びを分析。墓参りや仏壇に花を供える習慣が徐々に少なくなっていく風潮のなか、中尾さんは「花を買う男性が増えてほしい」と願っている。「『花を買って帰る男はカッコいい!』なんて、イケメンの俳優が言ってくれたらいいんだけどね」と茶目っ気たっぷりに笑った。(ライター 上野卓彦 令和3年10月6日取材 協力:奈良県北部農業振興事務所農業振興課)
●月刊「技術と普及」令和4年1月号(全国農業改良普及支援協会発行)から転載