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農業経営者の横顔



本州唯一のサトウキビ栽培の地で伝統製法の白下糖を作る

2016年02月23日

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山田泰三さん(香川県さぬき市)


 四国4県のひとつ香川県では、瀬戸内気候により日射が多く雨が少ない気候を生かし、サトウキビ栽培が行われている。九州以北でサトウキビが経済栽培されているのは、香川県と徳島県の限られた地域のみ。収穫後は伝統的な作り方で加工され、おもに和菓子用の貴重な砂糖である「白下糖」「和三盆」になる。亜熱帯の沖縄や鹿児島の島嶼部で作られる黒砂糖に比べて糖度は低く、香りも別物である。
 さぬき市津田町で代々サトウキビを栽培し、白下糖に加工する山田泰三さん(57)。サトウキビ約5ha(自作0.5ha、委託約4ha)、水稲3ha、裏作の野菜(ニンニク、青ネギ)を経営し、冬場の約1カ月間は白下糖の加工に明け暮れる毎日だ。


三連の登り釜で昔ながらに炊きあげる
 委託先農家から山田さん宅の作業場に運び込まれた原料のサトウキビは、圧縮機で搾られる。そうしてできた「粗汁(あらじる)」を「澄まし桶」(沈殿槽)に貯めて石灰を入れ、灰汁(あく)をとる。近くの海でとれた貝殻が石灰の原料だ。灰汁をとった粗汁を1時間40分ほどかけて「掻(か)いて」(煮詰めて)半分以下に煮詰め、白下糖に仕上げていく。


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 :原料のサトウキビ /  :サトウキビを圧縮機にかける。右は妻の志保さん


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 :バガス(搾ったあとのサトウキビ)は作業場の外へ /  :搾られてできた粗汁


 作業場の壁際に釜と呼ばれる大きな杉の桶が3つ、据え付けてある。三連の登り釜である。桶の下部にはステンレスが貼られているが、桶自体は木製だ。金属の桶では熱くて触れない。
 伝統の製法は手作業の連続である。
 まず一番右の荒釜で加熱する。山田さんのお子さんが小さい頃、「コーンシチューのような匂い」と表現したというよい香りが、部屋いっぱいに広がっていく。頃合いをみて中釜へ、最後は火元に一番近い揚釜へと、粗汁を足して加減しながら、杓ですくっては移していく。粗汁が初めの半分ほどに煮詰まり、飴色のさらっとした液体に変わったのを見計らい、素焼きの甕(かめ)に流し込む。糖度が低く固まりにくいため、甕に砂糖の結晶を少し残しておき、継ぎ足している。この一連の作業を一日5回、半日近くかけて行っている。手際の良い職人技に見とれるばかりだが、なかなかの重労働である。


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 :登り釜。右から荒釜、中釜、揚釜 /  :釜で煮詰めていく。粗汁から目を離さない


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 :沸騰する中釜 /  :中釜から揚釜へ移す


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 :揚釜で最後の加減 /  :素焼きの甕(かめ)に注ぎ入れる


白下糖とは
 白下糖とは「白くなる前の砂糖」のことで、和三盆を作る前に糖の汁(サトウキビを搾った汁)を煮詰めた粗糖(塊)を指す。いわゆる精白糖と違い、糖蜜を分離しないので原料糖の風味(甘みと甘み臭)が残っている。江戸時代の産業奨励で讃岐と阿波の国の一部ではじまったサトウキビ栽培が、和菓子作りの発展につながったといわれている。貴重な伝統技術のひとつといえよう。


讃岐のサトウキビ栽培
201602_yokogao_yamada_0192.jpg この地域は海に近く、地質は砂地だ。そのため畑は乾いているが、地下3mに水脈があり、サトウキビ栽培に適しているという。さすがに沖縄や鹿児島のように冬越しさせて株を大きく育てることはできない。4月上旬に定植し、12月上旬頃から収穫する。品種は不明だが、いわゆるサトウキビよりやや細め、竹のように見えなくもない。
 山田さん自らが育苗し、委託先の農家にも苗を供給。育苗は、芽出しして改植する方法もあるが、経験上収量が落ちるため、苗から育てている。
右 :自宅に隣接してサトウキビの畑がある


 2芽を一株として畑に植えていく。株間を15cmとって、脇芽が出やすくする。重なると分けつしない。「今年(27年)は不作だった。8月末から日射量が減り、10月は干ばつ。例年、6月末から9月末にかけて一気に伸びるのに、天候が悪かった」と山田さん。
 栽培管理にはそれほど手がかからないものの、「収穫作業がたいへん」。サトウキビ栽培では機械収穫が一般的だが、一番糖度が高い根元を利用するために、ていねいに手刈りする。


和菓子屋との契約栽培が中心
 貴重な白下糖である。5haのサトウキビからできる白下糖の量は限られる。一部は町の観光物産センターで「白下糖」として販売されるが、大部分は契約先の地元老舗和菓子屋へ納められる。

 栽培面積は、現状維持の状況だ。もともと葉たばこの産地だったが、廃作で多くが野菜栽培に転換した。近年は野菜の価格が良いため、なかなかサトウキビを作ってくれない。その上、「父の代では葉たばこ後の冬仕事として農家の人手があり、釜を焚く(白下糖を作る)だけでよかった。この地域は冬場に露地野菜を作れるので、回りの農家は冬も野菜で忙しい。今は、私一人で栽培から釜焚きまで、全部やらねばなりません」。


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観光物産センターで小売りされる白下糖


伝統を支えるもの
 作業場を見回すと、使い込まれた道具の数々が目に入る。三連の釜も澄まし桶(沈殿槽)も、器は杉の木の桶だ。近在に桶作りの職人がいなくなったので、小豆島で作られる醤油製造用の桶を取り寄せて使っている。前回更新した際に、予備の桶も作り置きしたという。「孫の代まで使えるように」と、父の琢三さん(83)が言葉を添える。10年前までは、杓子も含めてすべて木製だった。長年使っている三連の釜も、「もう作れる職人はいないでしょう」と山田さん。技術は人が伝えるものだが、それを支える道具やその道具を作る職人も伝統技術の大切な支え手で、欠くことはできないものなのだ。


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 :使い込まれた道具の数々 /  :泰三さんと父の琢三さん(右)


 山田さんで5代目というサトウキビと白下糖作りは、もとは権利をもらって分家した家で、江戸時代から続いている。3代目に当たる祖父の時代が砂糖の統制が厳しく、一番苦労した時代だっただろうと振り返る。「白下糖作りには、人に言えない厳しさがあります。体得するしかありません」。長男(27)、次男(24)のお子さん二人が勤めの合間、土日には手伝いに加わるという。
 代々当主の名前に三の字がつくのは、末広がりを願ってのことと聞いた。白下糖作りが長く続くように願いたい。(水越園子 平成27年12月17日取材 協力:(公財)日本特産農産物協会)