若者は農村に向かう ~池谷集落の魅力にひかれ移住。池谷にずっとかかわっていきたい~
2013年07月22日
小佐田(こさだ)美佳さん(新潟県十日町市 特定非営利活動法人十日町市地域おこし実行委員会)
新潟県十日町市池谷は、町の中心から車で30分ほどの山間の集落だ。2004年10月に中越地震で甚大な被害を受けた地域のひとつである。住民は現在、移住者を含め19人。
特定非営利活動(NPO)法人十日町市地域おこし実行委員会(以下、実行委員会)のスタッフとして働く小佐田美佳さん(27)は、学生時代に農業体験ボランティアとして池谷集落を訪れたことがきっかけで、2年前に池谷に移り住んだ。「池谷にボランティアに来たのは軽い気持ちからで、使命感に燃えたわけではなかった。でもここが好きになって」と笑顔で語り始めた。
右 :旧池谷分校外観
「いいところなら一度行ってみたい」がきっかけ
小佐田さんは、和歌山県生まれの東京育ち。大学3年だった2006年夏、JEN(国際協力NGO)で1カ月のインターンを経験した。JENは国内で災害を受けた地域にもボランティアを派遣し、当時は中越地震からの復興で池谷集落を支援していた。素敵なところだよと聞いて、「いいところなら一度行ってみたい」と思い翌春、ボランティアに参加した。「自然豊かで、村人は温かい。すっかり気に入ってしまいました」。
左上 :水が張られ、田植えを待つ棚田
右下 :改装されて明るく清潔な建物内部
卒業後、2008年4月から、社会人として東京で働き始めた。ときどき、池谷を訪ねた。そのうち「私は何のために働いているのか。この仕事や会社に(私は)本当に必要なのか、他の人でも良いのではないか」と考えるようになった。
思い浮かぶのは池谷集落のこと。通ううちに村の人と互いの顔がわかるようになって、「住んでほしい」とも言われていた。池谷の人たちが立ち上げた実行委員会(当時は任意団体)の活動や理念に共感していたこともあり、移住を決意。実行委員会の仕事を手伝うことで収入のめども立ったため退職し、2011年4月に、晴れて池谷の住人となったのだった。
復興の次は、集落の存続だ!
実行委員会は、もともと復興ボランティアの受け入れをおこなう組織として、2005年に生まれた。地震からの復興にめどがついた後、集落の存続を将来につなぐ活動に重心を移してきた。構成メンバーは池谷集落の住人であり、代表理事は1989年に廃村となった隣の入山集落出身の山本浩史さん(61)が務めている。事務局長の多田朋孔さん(35)は、2010年に家族で集落に移り住んだ新住民である。
活動の拠点は、1984年に廃校となった池谷分校の校舎。実行委員会の事務局があり、泊まりがけのイベントの際は2階の和室が宿泊場所となる。
左上 :教室に畳を引いた和室。黒板はもとのまま
右下 :60年以上前の卒業記念。集落の歴史を語る
小佐田さんの仕事は、外から人を呼び込むイベントの企画や運営、広報が中心だ。イベントは農作業体験、山菜とり体験、雪かき体験等を年に12~13回開く。HPやメルマガ、チラシ等で情報発信する。また、集落でとれる棚田の米を買い上げて、「山清水米」としてネットを中心に販売もしている。
右 :山清水米
イベントには、村の人に先生として必ず参加してもらう。田植え指導、ちまき作り、蕎麦打ち、交流会等、出番は多い。そんなアイデアを出してまとめるのも、役目である。「村の生活を体験しているからこそできると思うのです」。イベントには毎回、多くの参加者が集まるという。
今年も農業体験『田んぼへ行こう!!』の募集が始まっているが、女性の希望者が多い。収穫(9月)、脱穀(10月)の回に、すでに申し込んだ女性が4名いるというから驚きだ。「女性は自然のあるところへ行きたい、人とのつながりがほしい、食生活を見直したいなどの目的がある上、しがらみが少なく飛び込みやすいのでしょう」。
実行委員会の活動実績を見て、行政も一目置くようになった。今年度からは学校給食の自給率アップ、市産農産物のブランド化、移住希望者の窓口業務等、市全体の振興にもかかわる事業を委託されている。
左上 :『田んぼへ行こう!!』パンフレット
右下 :『田んぼへ行こう!!』 2012年の収穫会
世代交代のため家と生産組合を作る
池谷で、来る人、迎える人の関係がうまく深まり、活動が進んでいるのはなぜか。「農村では一般的に、新しい人を遠巻きにして交じりたがらないことが多い。ところが池谷集落の住人は開放的で、外から入ってくる人とも積極的にかかわっている。ボランティア受け入れにも抵抗がなく、そんな村人に魅力を感じて、一度来た人が何度も足を運ぶのでしょう」「それに池谷の人は、集落への思いが強い。条件的にはほかの集落と変わらないけれど、『集落とここの暮らしを残す』という揺るぎない思いと、それを実行に移す力があって、皆、前を向いている。来る人たちにも充分、その思いが伝わっている」と小佐田さん。池谷より若い住人がいる集落でも、将来に悲観的なところが少なくないという。
とはいえ、元からの村人は70歳以上の高齢者ばかりだ。だから次の目標は、『世代交代』であり、実行委員会の今年の取り組みは、『移住者が住む家を建てることと、生産組合を作ること』である。
池谷集落には空き家がない。村を去る人は、必ず自分の家をつぶして出ていった。豪雪地帯のため、雪の重みで家がつぶれて、残った人に迷惑がかからないようにするためだ。小佐田さんも今は十日町市街から通勤しているが、移住当初は池谷分校で暮らしていた。
生産組合では、高齢で農業を続けられなくなった村人から農地を借りて、移住者が耕作する計画だ。リタイアしても手や口をだせて、生き甲斐や張り合いを感じられるようなしくみを作りたい。「新しい人が入って来て、子供が生まれ育ち、幸せに暮らす。そんなモデルを全国に発信したい」。
右 :池谷・入山"宝探し"マップ
集落存続の価値とは
小佐田さんは最近、「池谷のような小さい集落が存続する意味はなんだろう」と考えるという。「なくしてはいけないと思うのです。池谷に興味を持った人が心のよりどころとして思い、時には来てくれるということが、ここがある価値ではないか」。だから、理解してもらい、応援しようと思ってもらえる活動をするのが、私の役目。応援してくれれば必ず残すことができると信じている。
実行委員会の事務局職員は今年いっぱいでやめる(来春の結婚を控え、お相手の意向を尊重して出した結論)が、イベントや事務の仕事は、手伝いで続けるつもりだ。「池谷集落は私のライフワーク。池谷集落とかかわりを持ち続けながら、自分の生活や家族も大切にしていきたい」と瞳を輝かせた。(水越園子 2013年5月13日取材)
▼池谷・入山ガイド(特定非営利活動法人十日町市地域おこし実行委員会) ホームページ