提供:(一社)全国農業改良普及支援協会 ・(株)クボタ


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農業経営者の横顔



研修を経て独立。露地野菜の契約栽培に女性の視点を生かす

2013年06月10日

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塚本佳子さん(静岡県菊川市 (株)やさいの樹)


 太平洋は遠州灘に近く、温暖な気候に恵まれ、冬でも露地栽培が可能な静岡県菊川市で、冬~春はレタス12haとキャベツ5ha、夏場はトウモロコシ、オクラ等を露地栽培する塚本佳子さん(42)。群馬県昭和村の農業生産法人グリンリーフ(株)(澤浦彰治社長)で1年間研修を受けた後、(株)野菜くらぶ(同)の独立研修プログラムにより、菊川市で2年間研修生として技術の習得に励んだ。2008年8月に独立し、(株)やさいの樹を起業。今年5年目を迎える。


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 :レタス畑。米の裏作で作っている
 :塚本さんのレタス


澤浦社長との出会いから独立を志す
 きっかけは2005年、澤浦彰治さんとの出会いだった。塚本さんが青年海外協力隊の派遣先・ザンビアから帰国してすぐ参加したのが新農業人フェア。話をするうちに「ここだ」と直感。「野菜くらぶの独立支援プログラムで研修を受け、独立できたら」。その思いが叶い、4人目の研修生となった。


 今でこそ7名が農業者として独立した実績があるが、塚本さんの研修が始まった当時は1期生1名が独立したばかり。独立支援プログラム自体、確立されていなかった。おまけに塚本さんは、初めての女性の研修生。「農業はそんなに甘くない。なめるんじゃないぞ」という空気が満ちていた。唯一の理解者が澤浦さんで、「きっと独立できる」と励まし続けてくれた。「だからやめようとは一度も思わなかった。澤浦さんが絶対成功すると言い続けてくれたので、素直にその言葉を信じました」と当時を振り返る。


静岡県菊川市で就農
yokogao201305_tsukamoto1.jpg  漠然と「露地野菜を作ろう」と考えていた。ハウスはお金が、果樹は時間がかかると澤浦さんから言われていた。お金がかからず早くとれる露地野菜の栽培を、グリンリーフでの研修で学んだ。群馬県前橋市内での就農を念頭に、野菜はブロッコリーとトウモロコシを作った。

 塚本さんが研修生となる頃、別の研修生が病気で継続を断念。確保した静岡県菊川市内の土地が宙に浮いてしまった。そのため急きょ、塚本さんが代わりに就農することになった。
 研修生1年目は1町6反で冬レタスを栽培したが、レタスは栽培経験がなく大失敗した。「250万円の赤字です! 研修生だったので、野菜くらぶが肩代わりしてくれました。」その後は持ち前のやる気で技術を習得し、2年後の2008年8月に晴れて研修を修了、(株)やさいの樹を設立した。


女性の特性を生かした経営に自信
 独立後も、野菜くらぶがバックアップ。販売先を確保してくれ、栽培技術や経営、雇用等にアドバイスがもらえる。なにより、澤浦社長が忙しい合間に様子を見にきてくれる。「だんだん回数は減ってきますが、有り難いこと。(澤浦さんは)雲の上の存在。先を見据えてゆるがない、ついていきたいと思う信頼感のある方。私もああなりたい」と塚本さん。

yokogao201305_tsukamoto6.jpg 経営は順調に伸び、「ここまで大きくするつもりはなかった」という今の規模に成長した。今働くのは社員3名、パート2名、タイ人研修生4名と、独立支援プログラムの研修生1名。「10月だけ出荷なしの体系ですが、一年中切れ目がなく、皆オーバーワーク気味。今年から夏場のナスとトマトをやめます。作ればいくらでも収穫できてしまうのですが、夏のペースを落とし、冬場にがんばろうと決めました。」
右 :(株)野菜くらぶの集出荷場。(株)やさいの樹のレタスも出荷調製されていた


 女性であることの不利を全く感じることはなかった。「わかっていたら農業をやっていなかったかも。こんなに大変だと考えもしなかったので(独立に向かって)突っ走りました。独立してから、なるほど、これは大変! とわかった」と笑う。
 体力ではとうてい男性には勝てない。男性と同じように働こうとも思っていない。でも、ちょっとした変化にも気づく繊細さ、淡々と仕事をこなす辛抱強さは、男性にはない女性の特性だ。これを生かしていければよいと考える。


国際協力にもなっている
yokogao201305_tsukamoto5.jpg 国際協力がしたくて日本大学農学部国際地域開発学科に進学した。卒業後は青年海外協力隊員として3年間、エクアドルの農業学校で野菜を栽培指導した。帰国後、大学院を経て、沖縄県の農業生産法人で4年働いたが、アフリカで国際協力をしたいという思いが捨てきれず、青年海外協力隊に再応募。「アフリカなら行きます」と面接で宣言し採用され、ザンビアで2年半、中高校生に生物と野菜栽培を教えた。協力隊員として海外で働いたのは通算5年半。「国際協力に行きながら、実際には現地の人にしてもらったことの方が多かったですね」と振り返る。
左 :社員や研修生が協力してビニールを張っていた


 今は農業に専念する毎日だが、「私、日本にいながら国際協力をしている!」と、この頃気づいた。それは、農場で受け入れているタイ人研修生の帰国後の活躍だ。日本農業法人協会から毎年2名ずつが派遣され、3年間塚本さんの下で農業を学ぶ。1期生2名はすでにタイに帰国し、トラクタを買って請負作業等で立派に独り立ちしている。「行って何かを教えてくるより、帰国した彼らが現地でがんばるほうが、波及効果があると思った」それに先輩の活躍が、続く研修生の励みになっている。「3年間で研修生が自信をもてるような意識改革をすることがいかに重要か。私にもできると思いこませることが、今の私の国際協力だと思っています」と塚本さんは言う。


足元を固めて規模拡大を。将来は海外に農場も
yokogao201305_tsukamoto7.jpg 「数年先には今より規模は拡大しているでしょう。ただし、これから1~2年は労働環境や社員への還元を優先したい。そしてお客様がほしいものを作っていきたい」。駆け出しの頃から支えてくれているお客さんには感謝の気持ちでいっぱいだ。
右 :定植したばかりのトウモロコシ


 いずれは「糖度7以上の高級レタスを作ってみたい」「タイで会社を作り、研修生が帰国後に活躍できる場所を作りたい。日本のニーズに合った野菜を作って逆輸入、というのも面白いかな」。そして「これからは、どこで作るかよりも、どう作るかがますます重要となるでしょう。生きものの生理に合う健全な農業をしていきたい」と話してくれた。(水越園子 平成25年4月3日取材)