農業を食業に変える。食、環境、人をつなぐ経営は地域のために
2013年04月05日
伊藤秀雄さん(宮城県登米市 農業生産法人(有)伊豆沼農産 )
昭和63年(1988年)3月。30歳になった日に会社を立ち上げた青年がいた。宮城県登米市迫町新田の(有)伊豆沼農産代表取締役、伊藤秀雄さん(55)である。
ラムサール条約や渡り鳥の飛来地として有名な伊豆沼にごく近い場所で、養豚を核に、ハム等の食品加工販売とレストラン経営からスタート。20年余を経た今では加工所、直売所、レストラン、ブルーベリー30a、水稲3ha、肥育豚1000頭/年間(他に委託・預託豚約4000頭)、家畜たちとの『ふれあい広場』等を有し、養豚一貫経営を展開する会社に成長した。雇用や仕入れ等の需要を生み出し、今や地域になくてはならない存在である。
仙台に直営店を持ち、海外へも積極的に輸出。食育や地域の環境を守る運動にも熱心だ。平成20年度第38回日本農業賞の個別経営の部で大賞を受賞されている。
左上 :レストランくんぺる。ランチタイムはお客さんでいっぱい。レストランの横を東北本線の線路が伸びている
右下 :直売所店内
適正規模の養豚と食肉加工・販売をめざす
伊藤さんは昭和50年(1975年)に就農し、水田4.2haと母豚10頭の経営からスタート。56年には3戸で大形生産組合(水稲受託組織)を設立した。母豚100頭規模の一貫経営をめざしたが、だんだんと疑問を持つ。「効率を優先し、生産性を上げ、省力化していく。一体、誰のためのもの作りだろうかと考えてしまった」。
規模拡大の壁にも突き当たった。「30頭規模ならば地域循環ができますが、豚の数が増えれば、ふん尿処理が問題になる。豚舎の移転先も見つからず、悩みました」。
当時の畜産経営には、大型化・企業養豚と、付加価値型一貫経営という2つの考え方があった。伊藤さんは『適正な規模の養豚と食肉加工・販売で付加価値を求めよう』と、『30歳で創業する』を目標に定めた。
個人の一貫経営から地域との連携へ
社名を伊豆沼農産と名付けたのは、農業全般に係わっていきたいと思ったから。経営理念の『農業を食業に変える』のとおり、農業を食業(=食べものを作り出す仕事)と捉えることで、めざすものが見えてきたという。
豚肉の加工・販売と、サービスを提供するレストラン経営は、まさに付加価値型経営そのものと考え、創業と同時に加工所とログハウスのレストランくんぺる(「仲間」の意味)を開業した。養豚農家が肉屋を経営する例はあったけれども、その頃、レストランを経営する農家はほとんどなかっただろうと、当時を振り返る。
左上 :レストランくんぺる 外観
右下 :伊豆沼ランチ(伊達の赤豚のペッパーステーキ。野菜はお代わり自由)
会社勤めの経験はなく、営業や経営にはまったくの素人だった。商売もサービス業も初めての開業は、「勉強の連続でした。レストランがお客さんとの接点となり、よくお客さんから教えてもらいました」。やがて経営は軌道に乗り、売り上げは順調に伸びたが、今度はレストランの食材が不足するように。「一貫経営が大切と思い込み、外からの仕入れは全く考えなかった。レストランで使うのは自家産の豚肉、米、野菜のみ。そのためサービスの質を落としてしまった」。そんな伊藤さんを諭したのは、レストランのお客さんだった。こののち、伊藤さんは地域の農家からも食材を仕入れるようになる。
異業種や販売店等との連携も早かった。「商品開発をする上で必要と考えたから働きかけたまで」と語るが、当時そういう発想は珍しかったろう。平成2年には、仙台三越のフードマーケットに伊豆沼農産仙台三越店を開店している。
海外で高い評価「伊達の純粋赤豚」「伊豆沼ハム・ソーセージ」
転機は平成12年に訪れた。加工所とレストランを現在地に移転し「農家直売所」を開設し、出荷団体である伊豆沼農産直売会(現会員88名)を立ち上げた。直売所では豚肉やハム、ソーセージ等の加工品とあわせて、会員が栽培した野菜や加工品、手芸品等も販売する。
また、宮城県畜産試験場が系統造成した『しもふりレッド』の飼育を始めたことをきっかけに、平成13年に8戸の養豚農家で赤豚会を結成した。飼料や肥育法にこだわるだけでなく、スタッフが1頭ごとにロース部をしゃぶしゃぶにして食べて味を確かめる。直売所をはじめ、平成14年に仙台三越に改装オープンした『伊達の赤豚や』や契約した各地の販売店で、「伊達の純粋赤豚」(登録商標)は評判のブランドとなった。平成16年からは香港へも輸出され、高い評価を受けている。創業以来の伊豆沼ハム、ソーセージは職人の目の届く範囲の生産にこだわり、本場ドイツの2006年SUFFAドイツ国際食肉加工品コンテストで金メダルを4つ取れるまでの本格派となった。
左上 :伊達の純粋赤豚※
右下 :必ず1頭ずつ味を確かめる※
左上 :自慢の加工品が並ぶ
右下 :SUFFAドイツ国際食肉加工品コンテストでは金メダル4つをはじめ、銀・銅メダルも受賞した※
「つなぎ人」となって農家の思いを伝えていく
地域の人やものとつながりが深まってくるにつれ、伊藤さんの中で、「農」の意味が、「農業」から「農村」へ変わった。
伊豆沼農産の仕事が雇用、仕入れ先、取引先等を地域に広げ、農村(地域)に根をおろしていく。地域の人材や環境のかけがえのなさにも目がいくようになり、将来を担う子供たちへの食育や環境教育の場と機会を提供できるのは農家だからこそ、と気づいた。平成17年に「伊豆沼自然楽校」を、18年には「NPO法人新田あるものさがしの会」を立ち上げ、地域の人とともに地域の良さを探し価値をみつける活動を続けている。
右 :伊豆沼自然楽校による田植え※
また、以前から縁があった南三陸町のかまぼこ店が東日本大震災で津波の被害を受けて、登米市内に加工所を移したのをきっかけに、その商品を直売所で販売している。
農家は、「人が生きものに支えられて生きていることが一番わかる場所にいる。これからは農業の現状、食や環境の大切さ、農家の思いを伝え、農業の理解者を増やしていくことが大切」と伊藤さんは語る。(水越園子 平成24年3月1日取材 協力:宮城県登米農業改良普及センター)
●月刊「技術と普及」平成24年5月号(全国農業改良普及支援協会発行)から転載
(有)伊豆沼農産 ホームページ
※は(有)伊豆沼農産提供写真