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農業経営者の横顔



愛媛ミカン発祥の地の誇りと共に、子々孫々へ続くミカン産地を目指す

2013年03月14日


毛利信介さん(愛媛県宇和島市(有)信介農園)


 温州ミカン、ポンカン、伊予柑、デコポン...。愛媛県宇和島市吉田町立間で、20種類を超えるカンキツを年間120t(改植中)生産するのは、有限会社信介農園代表取締役の毛利信介さん。

 全国有数のカンキツ産地として知られる宇和島市だが、吉田町立間が愛媛県のミカン発祥の地。1789年に、加賀山平治郎氏が高知県からミカンの苗木を持ち帰り栽培を始めたと言われており、その歴史は約200 年に及ぶ。
 宇和海を望み、地域の大半を占める急傾斜地を生かしたカンキツ栽培とともに、山間の町の南北を通る国道56号沿いには古くから直売所が立ち並ぶ。戦後、ミカンの人気が高まり、生産者が増え、国道が整備されるとともに、直売所が一気に増えた。なかでも信介農園は最初に店を構え、昭和50年から直売に取り組んでいる。


お客さんに「ありません」とは言えない
 信介さんは6人家族だ。信介さんと長女の知恵さん、婿の祥起さん、母の谷恵さんがカンキツ栽培に従事している。そして3 歳の孫娘の綾花ちゃん。摘果や収穫作業などの繁忙期にはパートを雇用する。妻の千加さんは、直売所店長を専任でまかされている。


 栽培面積は約5ha。ポンカンが最も多く、次いで温州ミカン(極早生・早生・南柑20号)、さらにデコポン、甘平、せとか、河内晩柑などが主力品種だ。シートマルチ栽培にも取り組み、高品質な果実生産にもこだわる。
 直売所の競争に打ち勝つためには、お客さんのニーズに応えることも重要である。「ありません」といえば、たちまちよその店に客は流れる。そのため、甘夏、八朔、伊予柑... と徐々にその数は増え、今では20種類を超える。
左 :国道56号沿いにある(有)信介農園の直売所。店長である妻の千加さん(中央)が笑顔で出迎えてくれる。右は長女の知恵さん


 圃場を見て、誰もが驚くのがその傾斜だろう。30度は越えると見られる急斜面に、カンキツの木が植えられている。そのような土地での作業性の向上を図ったのが、信介さんの父、利明さんだ。

 昭和39年に、利明さんはヨーロッパへ農業の視察研修に行った。カンキツの栽培技術とともに、山を活用したカンキツ圃場の造成技術を学び、帰国後、機械等が入れる農道および園内道・作業道の設計等に活かされた。信介さん自らも昭和41年にヨーロッパ9カ国を視察し、その知見が現在の経営に活かされている。


直売を支える取り組み
 直売を始めたきっかけは販売価格だ。信介さんは東京農業大学在籍時に経営を学び、卒業後間もなく父から経営移譲された。早くから経営者としての意識を持っていた信介さんは、市場価格で卸していた知り合いの仲買人が、倍の値段で販売していることを知り、すぐさま直接販売に取り組むことを決意した。国道が整備され、立地条件も後押しとなり直売所を開いた。カギとなったのが貯蔵技術だ。カンキツ収穫期だけの営業では、安定した運営ができない。そこで他県の先進地などを視察し、貯蔵技術を学び、一年を通して直売所を営業できるようになった。


   
 :店先にはカンキツが並び、国道を走る人の目を引く
 :愛媛県が育成した品種「甘平(かんぺい)」


 もう一つのカギがリピーターの確保だ。黄金柑や日向夏などはごくわずかだが、特定の販売先のために栽培を続ける。また、南柑20号は贈答用としての需要が多く、「販売先の商品として扱われる場合、もし品質に問題があれば、販売先の信用に傷をつけることになる。良いものを届けられるよう気を付けています」と信介さん。そうした気配りから生まれる信頼関係が大事だと強調する。直売所の店先でも時間が許す限り、その場でお客さんのニーズに応え、箱詰めをする。年間を通じてクレームは1件あるかないかとのこと。

 また、販売先の社員研修にも協力する。実際の栽培現場を見てもらうことにより、販売先の社員は商品の背景まで知り、より説得のある説明をお客さんにできることから、好評を得ている。

 直売所とはいえ、近所との競争だけではいけないと、視野を全国へ向けている。東京などで開催されるイベントに参加し、積極的にPRを行う。パソコンに詳しい娘婿・祥起さんの協力を得て、直売のホームページを開設した。また、信介さんは(社)日本農業法人協会の副会長も務め、そのような場で得られた人脈は財産だという。


もうけることも結構だが、何代も続けていくことが大切
 ミカン人気による好景気によって栄えた農家が衰退するさまを、これまで何度も見てきた信介さん。山腹のミカン畑が途切れ、竹林になっている部分を指さす。そこは廃園となった元ミカン畑だ。「自分だけ残っても、ミカン山は維持できない」と信介さん。農道、ス
プリンクラーなど、協同でなければ維持できないものは数多い。


yokogao201303_10.jpg 「娘婿ができたのか。それはよかった。ずっと良いミカンを買えるよ」。

販売先の人に言われたこの言葉がうれしかったと、信介さんは笑顔を見せる。

 信介さんの夢は、これまで父利明さんを含め、先祖が守り続けてきたミカン産地を、子々孫々と残していくことだ。6代目となる綾花ちゃんの誕生は、希望の光である。お客さんの期待と愛媛ミカン発祥の地としての誇りとともに、吉田町の、ますますのミカン産地としての発展に期待したい。(松本一成 平成24年1月30日取材 協力:愛媛県南予地方局産業経済部産業振興課)
●月刊「技術と普及」平成24年4月号(全国農業改良普及支援協会発行)から転載


▼信介農園のホームページはこちら