農業は生活の一部。オーガニック野菜を育ててお客様に届けたい
2011年01月11日
井波希野さん(kino café・山梨県北杜市白州町)
畑=農園なのにカフェ?
南アルプスの名峰甲斐駒ヶ岳を間近に望み、尾白川の恵みを受ける山梨県北杜市白洲町。井波希野(いなみ・きの)さん(30)は、小学生の時に移り住み育ったこの地で、7年前に1反5畝の土地を借りて新規就農した。
「ほかとは違う、今までにない場所と思ってほしかったから、カフェとつけました」と、井波さんは「キノカフェ」の名前の由来を語る。畑にどんどん来てほしいし、畑でお茶を飲むのも良い。いずれはカフェも開きたいと思っている。1.5haの畑で農薬や化学肥料を使わずに年間60種類以上の野菜と小麦を育て、宅配、レストラン、道の駅などで販売。「女子ひとりでもできる農業」を実践しつつ、農業以外の生き甲斐も追う、多忙な日々を送っている。
スイスでの研修で就農を決意
高校を卒業して進学した恵泉女学園短大園芸生活学科(当時)では、午後は農業(野菜、花、果樹、畜産など)、造園、食品加工、フラワーアレンジメントなどの実践的カリキュラムが組まれ、井波さんは2年間、充実した毎日を送った。卒業後は東京で俳優の養成所に入り、修行とアルバイトに明け暮れたが、2年後に断念。もうひとつの夢だった海外行きを模索した。ちょうど国際農業者交流協会が海外研修生を募集しており、2002年春から1年間、スイスで実践的な農業研修を体験した。
派遣先は野菜と果樹、酪農(牛・鶏)の複合農家で、誇りをもって楽しそうに農業をしている彼らをみて、農業もいいなと思うようになった。2003年3月に帰国し、就農準備のために研修先を探したが、見つからない。それなら始めてしまおう、と実家のある白州町で1反5畝の畑を借りたのが5月。造園会社でアルバイトをしながらのスタートだった。
収穫した野菜は、近くにある「道の駅はくしゅう」と、地元リゾートホテルの朝市で売った。2、3年目に畑は6反に増えたが、収支は苦しい。どうして稼げないんだろう? 100円均一の道の駅では、儲けにならないと気づいた。他の農家をみて宅配という手を知り、さっそく友人や両親が経営するペンションのお客さんに買ってもらった。とはいえ積極的な売り込みはしないので、最初はわずかに月に5ケースほど。そのうちに女子ひとりの農業をメディアが取り上げてくれたことが宣伝となり、ピークの2009年は月間150ケースを売り上げた。
今は約100ケースを、リピーター限定(一見さんお断り)で送っている。期間は、毎年5月から12月まで。買い支えてもらうために最低1ヵ月以上、隔週または毎週購入が条件だ。価格は送料込み(遠方は一部送料負担有り)で、おまかせ野菜パック(7~8品)2700円、ライトパック(6品)1900円、ギフトパック(野菜+加工品入り)3500円の3種類。あまりに遠方からの注文には、その地域の生産者を紹介することもあるという。
無農薬で栽培し、複数の販路で直売
作付ける野菜は年間60種類以上で、赤オクラ、バナナピーマン、紫のミズナなど珍しい野菜も目をひく。「売り先の第1は、宅配と地元レストラン・宿泊施設です。夏場は注文が多くて助かります。リゾートホテルの朝市は観光客相手ですから、野菜は洗って、みばえよく、綺麗に包装します。珍しい野菜はレストランで喜ばれます。カブなども大きくなる前に収穫したものをホール(丸のまま)で使うようです。第2は道の駅で、ここもよく売れます。3番目はアースデイなどのオーガニックマーケットへの出店。準備に手間がかかるし、会場は東京が多いので、毎月ではありませんが、機会があれば行きます」
白州町の小中学校の給食に、町内のほかの有機栽培農家と分担して野菜を納入しており、ほぼ毎食使われている。招かれて児童生徒と一緒に給食を食べたこともある。また、近くの保育園の菜園で月一回、園児たちと一緒に種まきや収穫をする。「このきゅうりはどこまで伸びるの? と言うので、どう思う? と聞いたら、あの屋根まで! お空まで! って。素直でかわいくて、毎月楽しみです」
短大では減農薬栽培を学んだが、井波さんは有機栽培で一貫している。慣行農業を否定はしないが、自分は農薬や化学肥料を使わない。だから井波さんの畑には、作物と同じくらいの勢いで雑草も育っている。「葉物やアブラナ系は被覆しますが、それ以外は、まあ大丈夫。全部だめになることはありません。害虫も出るけれど益虫もいるので」と実におおらかな答えが返ってきた。「でも雑草が大変。日々戦いです」
ボランティアを積極的に受け入れ
ボランティア斡旋を行っているウーフジャパン(WWOOF Japan)を通して、2、3年目から研修生やボランティアを積極的に受け入れている。住むところ(井波さんとの共同生活)と食事を提供する代わりに、畑仕事をしてもらう。
この5~6年で、全国からのべ300名ほどのボランティアがやってきた。昨年は100名、今年はすでに60名を超えた。動機も年齢も、農業の知識・実践力も、滞在期間もさまざまだ。ここでノウハウを得て巣立っていき就農した人も、少なからずいる。彼らが残していったメッセージノートは2冊目になった。
農業とイベント企画は表裏一体
農業同様に井波さんが熱中しているのがイベントの企画だ。2000年9月には、尾白の森名水公園べるが内の森のイベント広場で、「森カフェ~しあわせのタネ~」を開催した。食べ物や工芸品、雑貨等50店のマーケットとグランドピアノを森に置いてのライブに、地元の人を中心に約1000人がやってきて盛況だった。井波さんは発起人のひとりであり、実行委員会の委員長を引き受けた。「この人のライブが聴きたい! と思っていたら出会いがあり、イベントが実現しました。農業を始めてから出会いが増えました」「私の中では農業とイベントは表裏一体。イベントがあるから農業もがんばれるんです。まとめ役は楽ではないけれど、一回やると、はまります」農業もイベントも、どちらも地元や地元の人とつながるきっかけにもなっている。
井波さんは映画も好き。白いシーツをスクリーンに、まず自宅で数名の友人と試写会をする。これいいね! という映画は、公民館等で上映会を開くこともあるという。
イベントへの傾斜ぶりに、近くに住むご両親は「畑が荒れるからやめろ」というそうだが、ご両親の温かいまなざしを抜きに井波さんの活躍は語れない。ペンションを営むご両親は、2年前に井波さんが独立するまで、ボランティアに住まいと食事を提供してくれた。そもそも井波さんが農業をたつきにすると決めたとき、父は理解してくれたが、母は一年でやめるだろうと思い、若い娘がひとりでこんなにきつい仕事を、と嘆いていたという。そう言いながらも、何かの時には協力してくれるご両親には「本当に感謝しています」。
生き方がオシャレ!
マスコミでいわれる井波さんのキャッチフレーズ「オシャレに農業」は、俗に言うオシャレとは別物だ。農業とイベント企画の両立。最小限のセンスにかなったものに囲まれての生活。好きな本、音楽、手作りを中心とした食生活。環境に負荷が多い物はつかわない。ペットボトルやファミレスはNGだ。石けんシャンプーとお酢のリンスに、ボランティアは目をまるくするという。
若い人には結婚したくないという人が多いというが、結婚も子育てもしたいと思っている。「使いたいものだけを使い、やりたいことだけして生きていけて、私は幸せ。就農して7年目、今までは規模を大きくしながらやってきましたが、これからは、畑の広さは今くらいにして、良い野菜を作ってお客さんに届けたい」と語ってくれた。(水越園子 平成22年10月5日取材)
●オーガニック農場 キノカフェ