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信州発 “農”と言える日本人 【33】

2011年12月26日

震災ボランティアに参加した

                              高見澤勇太


いきなり・・・テレビの中へ迷い込んだ。
そこには・・・毎日ニュースで見ていた光景があり自分はそこにいた。
それは・・・紛れもない現実だった。

人間が生きてゆく中で、何が一番大事で大切なものなのかを、考えさせられた。
何の変哲もない普通の毎日、家族との会話、自分が生かされていることへの有難さを感じた。


先日、南牧村社会福祉協議会(以後社協)主催の『東日本大震災ボランティア』第2回目が行われ、現地へ赴いた。
行き先は岩手県陸前高田市。今回の参加者は、社協の職員3名と一般参加5名の総勢8名で、村のマイクロバスに乗車した。

陸前高田市は、約7万本あったといわれる高田松原に1本だけ残った、“ど根性松”で有名な場所である。右 :ボランティアセンター看板前で


今回の震災ボランティアの趣旨は、もちろん被災地復興へのお手伝いもあるが、もうひとつ「もしも自分の住む地域で大きな災害があったら」を想定して、ボランティアセンターの運営方法を学ぶという側面も持っていた。


全国各地から集まったボランティアの総数は、今回12月17日(土)が約250名。約1カ月前の前回は、約800名と聞いた。
この多人数を整然と各ポイントへ送り出し、無事にケガなく帰還させなければならない。さまざまなノウハウが必要になってくる。
ここで全てを説明することはできないので、今回はボランティアセンターで働く職員の方々の立ち居振る舞いについて、触れてみたい。


明るく感じの良い笑顔、心地よい声かけ、初心者への気づかい、作業が終わり帰路につくボランティアに大勢で手を振って見送る。
何だかくすぐったいほどの優しさに、ホッこりする自分の心と体がそこにはあった。
この体験は、日々誰かに接する時の最高のお手本だ。


  
左 :当日の作業内容の説明を聞く仲間たち
右 :被災住宅から土砂をすくい出し、思い出の品を探す。オレです


被災者と直接話をする機会もあった。
その語り口調は、穏やかで、ていねいに、はっきりと、私たちに被災当時から現在までの状況を話してくれた。
東北人の温かさと人なつっこさを感じた瞬間だった。


この地で感じたことを農業に生かせたら、どんなに素晴らしいことだろう。
農作物を作る人と、それを食べてくれる人がひとつになって、双方が幸せになれる世界がそこにある。
瞳を閉じると、そんな光景が目の前に広がった。

たかみざわ ゆうた

1964年長野県生まれ 北佐久農業高校卒業後、すぐに家業である農家の後を継ぐ。長野県農業士協会会長(07・08年)、野菜ソムリエながの代表(08・09年) 、南牧村議会議員(07年~11年)。座右の銘は「ゆるく・楽しく・美しく」


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