ときとき普及【81】
2025年03月27日
地域の水田転作(その2)
雪解けが実感できる時期になってきた。
妻との話の中で「この2年、地域では消雪日が早かったが、今シーズンは平年値に近いのではないか」という話題になった。「平年値は4月上旬だったと思う」とし、その根拠として、小学校の春休みにはスキーで遊んだこと、当時は里山の杉の伐採があって、遊び場となる即席のゲレンデには事欠かなかったことなどを説明した。「平年値は何年間の平均なの?」という質問に対し、「30年平均の値で、現在は1991年~2020年の平均値を使っているハズ」と自信たっぷりに答えたが、前言の根拠が平年値とは合わないことに気がついた。案の定、妻からは「小学生の頃の記憶は計算に入っていないネ」とひと言。たしかに、小学生の頃の記憶は、半世紀以上も前の事になってしまった。
農村では、同じく半世紀前から行われている、水田転作(米政策)の話題が盛り上がっている。
正確にいえば米価の話で、親戚が集まる席では、6年産米の販売価格や7年産米の作付け等、米を巡る会話が多い。令和になると同時に、所有する水田の多くを農地バンクに委ね、生産・販売していないわが身は、米価の話題には入りにくい。
(会話1)
令和6産の収量や品質について問われた。
昔は根掘り葉掘りの詳細な質問が多かったが、最近は実にあっさりしているらしい。ふるい下(米)も食べられていることがわかっているが、農業者としては、正味(たぶん白米のこと・精米率や搗精率が低いという意味で使用しているのかもしれない)の生産量は少ないと感じると言っていた。飯米を精米してみると2、3%は違うといった印象、これが根拠らしい。
(会話2)
最近、ビジネスホテルに宿泊する機会があった。
朝食バイキングで、炊飯が白くないことに驚いた。前夜の疲れから目が霞んでいるのかと思ったほどだ。茶碗に盛られた米は砕け(くだけ米)が多かった。明らかにふるい下米を混ぜているのが分かる。かつての古米の食味、ちょうど平成5年の大冷害の年と同じだった。
(会話3)
世の中の識者は「国産米の生産余力がある」というけれど、生産現場での実感はない。生産資材は高止まりし、生産施設は目いっぱいといった仲間が多い。種子の確保が1年以上前から始まっている、生産現場のタイムスケジュールは知る由もないのだという。労力の余裕もないし、雇用も難しくなって久しい。今流行りの農業機械の価格を知っているのだろうか。あれだけ先進的な装備ならば、高価になるのはコスパ面で止むを得ない側面も理解できるが。
(会話4)
「5年水張り」は雲行きが怪しくなってきたと聞いた。草地や飼料畑の場合は、作業面で畦畔を除去している場合もあり、転作は固定化している。水田活用の交付金の存在なくして賃借は成り立たない。土地改良区の賦課金も加わると、賃料の財源を交付金に期待するのが現実的だ。園芸作物の場合は切実ではないが、「交付金がなくなることは、貰い損ねたようで損した気分になる」と、誰かが言っていた。
(会話5)
「畑地化促進事業」の対象になった水田において、5年過ぎたら稲作を再開できると噂されている。土地改良区で再加入について尋ねてみたところ、「地区除外された水田を再加入した事例はない」とのことだった。「仮に、再加入の申請があったら、加入一時金の議論が避けられないだろう」との回答だったらしい。土地改良区の組合員の視線は厳しいだろうが、その根拠らしい。
そういえば、平成27年からは「自主的取組参考値」と「生産数量目標」の2段階の数値があった。平成30年からは「生産の目安」が示されるようになり、自主的に生産するスタイルになった。この年が制度面でのターニングポイントになるが、実質には行政による需給調整が継続していると感じている。
市町村段階の農業再生協議会は、ルール重視を基本に事務処理している。地域の事情は、農業構造が大きく異なる県内市町村の違いを落とし込んだようだといわれる。そのため、定率で戸別に「生産の目安」を提示せざるを得ず、「達成したどうか」が大切な基準になってくる。需給調整は農村レベルでは強制力があるといわれるのは説得力がある。米政策(水田政策)は昭和45年に開始して55年が経過し、現在の農業者の大半は行政(?)による需給調整が根っこにあるからだ。
こんなことを考えていると、「作る自由、売る自由」を体現しようと、園芸を選んだ農業者を思い出す。この自由を稲作でやらなかった・やれなかった農業者の気持ちも理解できる。なぜなら、稲作は水利が前提で、地域ぐるみの取り組みが必須になることから、集落に迷惑をかけまいとするとする農業者の配慮を感じるからだ。
平成の後半になると、稲作の分野で体現しようとする農業者が出てくるが、「理解されつつも、実のところ反発されている」と感じた農業者が多かったと思う。
(平成の初期には、独自に販売する米のことを、戦後の食糧難の時代でもないのに「ヤミ米」と呼ぶ場合があった。米の流通等を統制していた食管法は平成7年に廃止されている)
「生産の目安」の時代になっても、情報提供した数値(数量、面積換算地)を遵守することから生産が始まるのは、農村では自然なのだ。
最近の米価高騰について論評する有識者は、消費者目線が多いような気がする。米価は高くなっているが、平成5年の大冷害以外、多少の変動はあったにしても、安値で安定していた。平成に入ったばかりの頃、家計費調査において米は、コーヒーの支出を下回る状態だった。「これが主食の実態か」と憤慨した覚えがある。それ以降、米価は生産費を上回ることなく今に至っている。暴落を懸念すれば、需給調整はタイトにならざるを得ない。「生産費の問題は経営努力」と言われても、先が見えないもどかしさが農業の現場にはある。労働生産性は、ある程度のレベルを維持しているが、土地生産性となると、品質が最優先課題となり、多収を目指した時代があったことなど、現在の担い手は経験したことがなく、書籍などで当時の取り組みを知るのみになっている。
主食用米を生産したい農業現場と低減する需要のトレンドからすれば、施策は窮屈なものになるのは仕方ない。主食用以外の加工用、飼料用、輸出用、米粉用などと経済的に均衡していくのは難しいと思う。かつてJAグループは、水田活用米として、同じグレードで生産を進めたことがあった。主食用米が良食味なのが普通の時代にあって、現場での評判はイマイチだった。最近の米価高騰の報道を見ていると、米にグレードがあることを知らない、もしくは同じだと思っているコメンテーターが多い。「どうにも腑に落ちない。生産者目線が少ない」とは、コメントを聞いていた妻の感想だ。
最近、「半世紀の米政策(水田転作)が成功していない」とコメントする有識者が多いが、生産費を下回る米価に甘んじた・甘んじざるを得なかった農業者の選択を理解できるからこそ、「半世紀続いた米政策は、総じて成功だったのではないか」と、即座に答えることにしている。
●写真 上から、
・雪解けを待つラップサイレージ
・同 はい積の杉丸太
・同 圃場の側溝
・同 ネマガリダケ

あべ きよし
昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。