きょうも田畑でムシ話【93】
2020年12月08日
クワコ――ひそやかに紡ぐ浪漫
「ほら、あのヘンな形をしたタネのなる木......」
「どんな形?」
「星形というのか、ちょっとヘンテコな形で、名前はよく知られているけど、本当はちがっていて......」
「えーと、もしかしてあれかなあ。スターフルーツを小さくしたような形のタネだよね」
「そうそう。そんな感じ」
このごろは野外に出て、こうしたとんちんかんな会話を交わすことが多くなった。
なんとなくイメージできるのだが、名前が出てこない。
それで、ああでもないこうでもないという会話が続き、挙句の果ては、「まあ、家に帰って図鑑で調べればわかるよ」となる。
それなのにそれもすぐに忘れて、謎は謎のまま残る。
右 :スターフルーツの果実。センダンのタネは、これをうんと小さくしたようなイメージだ
くだんのやりとりは近くの植物公園に出かけて、そのタネが入った木の実を拾ったときのことだ。
勘のいい人は、スターフルーツを持ち出したあたりで正解にたどりつく。
答えは、センダンだ。そしてそのあと、こんな展開になるのもお決まりのコースとなっている。
「なーんだ、センダンだったの。"栴檀は双葉より芳し"って、アレのことね」
将来大物になるような人は、幼いころから人並み外れたところがあるといった、まさにアレである。
だが、その立派なことわざとのかかわりがまた正しくない。
「栴檀」なんていう難しい漢字は覚えてもすぐ忘れるように、その栴檀は足元に転がっていたセンダンではなく、白檀(びゃくだん)のことだ。白檀には人をうならせる香りがあるが、センダンにはない。
それどころか、誤ってその実を口にしたらたいへんだ。むかしから多くの中毒例が報告されている。それでも生の果肉はしもやけ、あかぎれの薬として民間で利用され、樹皮は駆虫薬として使ったという。
「なるほどね。それで殺虫剤にもなったんだね」
――といったところでいったんは落着するのだが、しばらくするとまた、同じ会話から始める。
左 :センダンの青い果実とタネ。タネは5~8角形。生の果肉は、しもやけなどで民間利用されてきた
この日だってもともとは、アカネを探そうと思って家を出た。
そう、あの染料にするアカネだ。すこし歩けば見つかる草だから、根を掘ってみようと思い立った。
アカネの名前の由来は、その根にある。乾かすと、黄みを帯びていた根が赤っぽくなるからだ。それでベニカズラとかアカネカズラとも呼ばれてきた。
カズラということばから想像できるように、つる性の植物だ。茎の同じところから葉が四方に広がっているから輪生かと思っていたが、2枚は托葉の変化したものだそうで、実際には対生なのだという。
へえ、そうなのかと思いつつ掘るのだが、途中で切れてしまって、うまく掘り出せない。
ある程度まとまったら、布でも染めてみようと思っていた。それでがんばって掘るものの、根にたどりつく前に切れてしまう。
右 :試しに掘ってみたアカネの根。白い部分もあるが、全体に赤みがかっている
ひとやすみして、何気なくそのあたりの木々を見ると、白いかたまりが目に入った。
「あっ。クワコの繭だ!」
以前は家の前の雑木林でも見つかったが、いまは見つからない。林が、住宅に変身したからである。
卵から飼うクワコはそうでもないが、幼虫を捕ってくると、その多くは寄生バエや寄生バチにやられていた。
ところが、クワコが繭をつくるころでないとわからないため、それまではせっせと桑を与えるしかない。そして気がつくと、飼育容器の底にはハエの丸いさなぎやクワコのものを小さくしたようなハチの繭が転がっていた。
幸いにも無事だったクワコはそのうち羽化し、幼虫時代とは似ても似つかぬ蛾となって空に飛び立つ。
はねの色はこげ茶色でまったくちがうのだが、見た目はまさにカイコガだ。クワコが蚕のご先祖さまだとされるのもうなずける。
左 :冬枯れの桑の枝にくっついていたクワコの繭。蚕の繭とちがって、毛羽が多い
右 :クワコに寄生していたハチががつくった繭。クワコの繭に比べると小さい
左 :飼っていたクワコの幼虫。ちょっと色黒だが、見た目の雰囲気は蚕と変わらない
右 :クワコの成虫。「見よ、この雄姿!」とでも言いたくなるカッコよさ、だと思いませんか?
すこし前に、ある大学の研究室を訪ねた。
そこで見たのは蚕の繭であり、卵であり、生糸だった。そして実験中だというカイコガとクワコが交尾しているところも見せてもらった。
クワコは何度か飼ったし、蚕も飼った。でも、その両者を交配してみようと思ったことはない。そもそも、そんなに都合よく、わが家に両方の成虫がいることはないからだ。
羽化したカイコガは、相手をすぐに見つけて交尾する。しかも長いこと、ずっとそうしている。
それだと、メスが産卵できない。そこでするのが「割愛」だ。現代人が用いる省略の意味の「割愛」は、この養蚕用語が始まりだとされている。
わかりやすくいえば、カップルを人為的に引き離すのだ。ぼくもそれを試みたことがあるが、割愛するとメスはすぐに産卵を始め、隔離されたオスはメスの性フェロモンに惑わされるのか、においのついた紙から離れず、ぐずぐず、ぐるぐると回り続ける。
それならと別のメスに近づければ、すぐにまた交尾を始める。
でもそれは、カイコガとカイコガのペアの話だ。野生の蛾であるクワコとの間で起きることはない。
と思ったら、むかしはそうでもなかったという。蚕を飼っているとどこからかクワコが飛んできて、飼い主のあずかり知らぬところでハイブリッドが誕生した。
だから、新品種と呼んでいいようなものがいくつも生まれた。人々はその中から、家畜として飼うのにふさわしい蚕を選んでいったのだ。
右 :カイコガと交尾するクワコ。産んだ卵から、ハイブリッドの蛾が生まれる
クワコは桑子、つまり桑の葉を食べて育つ桑の子どものような存在だ。その血族である蚕も桑をえさにする。
ヨナクニサンという与那国島にゆかりの巨大な蛾がいるが、それを「ヨナグニサン」と呼ぶことがあるのと同じで、クワコを「クワゴ」と呼ぶ人もいる。
ラテン語からなる学名とちがって、和名には特別な制約がない。それでもあまりにもまちまちだと困るのだろう、標準語ならぬ標準和名という形で、多くのものには一本化された名前が付いている。それ以外のものは方言として使用されることが多い。
「6月ごろかなあ。クワゴを見つけては、よく食べたもんだ。フキの葉にいくつも包んで、ぎゅーっと搾った汁もよく飲んだなあ」
「うちの田舎では、竹筒に詰め込んで、つついていたよ。あの汁はホント、うまかった」
初めて聞いたときには、ドキッとした。
――クワコを生で食べる? 搾って汁を吸う?
このごろは食用昆虫がブームのようだが、何年も前の話だ。なんとヤバンな、なんともドキョーのあることをするものだと腰が引けた。
黙って聞いていると、口の中が赤黒くなったとか、服につけて親にしかられたという思い出話も出てくる。それでやっと、ああ、桑の実だったのかと気がつくのだ。
左 :熟したクワの実。地方によってはこれを「クワゴ」と呼ぶ。蛾のクワコもクワゴと呼ばれることがあるから、まぎらわしい
それにしても、ほかの虫が目をつけない桑の葉をメニューに選んだ蚕はすごい! そのご先祖とされるクワコもえらい!
ぼくが桑の木で見ためぼしい虫といえばクワカミキリぐらいだが、それもめったには目にしない。
もちろん、クワキジラミとかクワゴマダラヒトリとか、桑の名を冠した害虫だっている。だが、ぼくが見た限りのヤマグワでは、目立った被害がない。
そう考えると桑はまさに、蚕とクワコのためにあるような木ではないか。
右 :桑の木で見つけたクワカミキリ。限られたヤマグワしか見ていないが、数は多くない
十数年前には、すごい研究報告があった。養蚕業は衰退したが、蚕やクワコを愛する者にはちょっとした衝撃だった。
蛾やチョウの仲間の先祖をたどると、コバネガあたりにたどりつく。ヒゲナガガに似た小さな蛾なのだが、その幼虫がえさにしてきたのはジャゴケというゼニゴケに似たコケの一種だ。それからいろいろ分かれていって、クワコやカイコガは桑にたどりついた。
そんなふうに聞いていた。
ところが、その報告はちょっとちがった。
桑の葉を傷つけると出る乳液には糖類似アルカロイドという毒性成分が含まれていて、ほかの虫には敬遠される。ところが蚕やクワコにはそれに耐えられる力が備わっていたようで、そのおかげで桑を独占的に利用するようになったというのである。
試しにヨトウガに桑の葉を食べさせたら、数日以内に死んだという実験結果もある。
蚕やクワコには毒もなく、毒毛も持たない。いってみれば非力の虫だ。多くの虫には毒となる葉が食べられたことで、人間の役に立った。
糖類似という特殊な成分ではないが、アルカロイドを持つ植物といえばウマノスズクサが有名だろう。そしてそれをえさにするジャコウアゲハの幼虫は、見るからに毒々しい。
その派手な装いにより、「わしらを食ったら、たいへんなことになりまっせ。毒があるんで」とアピールしている。
左 :ジャコウアゲハの幼虫がえさにするウマノスズクサ。この花の形が面白い
右 :ジャコウアゲハの幼虫。毒があるはずのウマノスズクサを食べても平気だ。そして派手な姿で、「食べると怖いぞー!」とアピールする
それと好対照なのがクワコであり、家畜となった蚕だ。
奄美大島の知人から、面白い話を聞いた。
彼の島では当たり前に生えているガジュマルの乳液を、蚕の繭を伸ばしてつくったつり糸に塗りつける。すると蚕の糸に防水効果が生まれるというのだ。
自然の乳液、恐るべし。
そして天然の乳液といえばタンポポだ。乳液をかためた消しゴムづくりを、一度はしてみたいと思っている。
だが、タンポポの名が頭をかすった時点で早くも、アカネ探しにかける情熱が薄らぐ。
それでも今回はちょいとばかし、いい案が浮かんだ。クワコの繭か糸、あるいは繭を覆う毛羽をアカネの根で染めるのだ。
われながら、なかなかのアイデアではないか。
そのためにもアカネがもっと要る。問題は、それを掘り出す根気がいつまで続くかということである。
すべては、根にかかっている。
右 :飼育していたクワコがつくった繭。野外で見つかるものより美しく見える

たにもと ゆうじ
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。