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きょうも田畑でムシ話【81】

2019年12月10日

コウガイビル――由緒ある名さえかなしくて  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 「ことしは芋掘りをするぞ!」
 なんて宣言し、この春、自宅の狭い庭の一角に芋畑を設けた。
 といってもよく見るような広大な畑ではなく、堆肥が入っていた袋を再利用した袋栽培である。話には聞いているが、自分で育てるのは初めてだ。はたして、どれくらい収穫できるのか。
 家族の期待を一身に背負い、やっと迎えたミニミニすぎる芋掘り大会。つるだけは立派にのび、袋で栽培しているとは思えないほど葉を広げ、地面をも覆い、大量確保を思わせた。

 前に住んでいた家では、試しに植えた1本の苗から、まだ幼かった子どもの顔ぐらいある大きな芋がとれた。さすがサツマイモだ。肥料なんて与えなくても、十分に育つ。ズボラ菜園家にはもってこいの作物だ――と喜んだものである。
 そのときの記憶が頭にべったり張り付いているため、今回も大きな芋が収穫できると信じて疑わなかった。

 結果は、散々だった。立派なのはハート形の芋っ葉だけで、肝心の芋は申し訳程度にくっついていただけである。しかもどこから入り込んだのか、針金虫のしわざとおぼしき痕がいくつもあった。
 カマキリの腹からうにょうにょっと這い出してくる寄生性のハリガネムシではなく、コメツキムシの幼虫があけた孔だ。
 「袋栽培はダメね」
 たった一度の失敗で、世の中の袋栽培の評判を落とすことになった。


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左 :サツマイモで誇れるのは、こうしたハート形の芋っ葉だけだ
右 :ハリガネムシに襲撃されたサツマイモ。どこかの惑星のようにも見える


 じつはまだ、ダメ作物があった。パッと見には立派なビニールハウスの中で、土から抜けだす日を夢みていたであろうラッカセイである。
 黄色い花がいくつも咲き、サツマイモ同様に期待を抱かせた。しかし、結果はこれまた無惨で、7株あったにもかかわらず、一握り分の豆しかとれなかった。しかも、それにも虫食い痕がある。


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左 :ラッカセイの花。このころは秋の収穫に期待を持たせてくれた
右 :今年収穫できたラッカセイとサツマイモのすべて。なんともお恥ずかしい


 さあ、後片付けだ。
 土をいっぱいに詰めた袋は、思った以上に重い。ずりずりと引きずり、残さの始末にとりかかった。
 と、現れたのである。わが家では何度目になるのか、ちいさなコウガイビルだった。
 コウガイビルといっても、知っている人しか知らない。それはまさにその通りなのだが、むかしの人が髪を留めるときに用いた笄(こうがい)に由来するのだから、そこそこ由緒ある名前なのだ。シュモクザメで有名な撞木(しゅもく)にも似ているが、それよりはやさしい印象の突起物だ。


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左 :笄にちなんだ名前を持つのがコウガイビルだ。こうして見ると、確かに似ている。だが、撞木にも似ているといわれれば、そうともいえる
右 :ヤマビル。コウガイビルと同じ「ヒル」ではあるが、こちらは吸血することで一層嫌われる


 誤解するといけないのは、「ヒル」の部分だろう。ヒルといえば、田んぼにいるアレである。山道を歩いているとき、運が悪いと木の上からも落ちてくるアレである。泉鏡花の『高野聖』に登場するアレである。
 そのヒルと、コウガイビルとはまったくちがう。ヒルは環形動物であり、コウガイビルは扁形動物の仲間に入り、これまた学術的価値の高いプラナリアの同類なのである。
 そこで付いたあだ名が「陸のプラナリア」。これはコウガイビルを紹介する際の決まり文句にもなっていて、わかりやすい。
 コウガイビルは、見つけたいと願っても出現しない。ところが、忘れたころに姿を見せる。今回、わが家の庭で見つけたのは、からだ全体が黒っぽい。おそらく、クロイロコウガイビルだろう。そのまんまの名前だが、それはそれで特徴をよくとらえていて親しみが持てる。


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左 :久しぶりに見つけたクロイロコウガイビル。芋栽培の袋の下に潜んでいた
右 :外来種のオオミスジコウガイビル。こうして見るだけなら、背中に入った3本線のおかげで毛嫌い度が薄れる?


 何年か前には、もっと大きなオオミスジコウガイビルとおぼしき個体がお出ましになった。体長50cm~1mの長大な外来種だ。黄色っぽい体色で、背中に3本の線が走る。沖縄では背中にすじが一本だけ入ったクロスジコウガイビルとおぼしき個体を目撃した。今回のクロイロコウガイビルと合わせて3種が、これまでの人生で目にしたコウガイビルのすべてである。

 などと言ってみるものの、この手の生きものは苦手だ。くねくねしたミミズは大いに人間の役に立つことが多いから、まだ好感が持てる。見てくれの悪さから敬遠されるのは気の毒とさえ思う。ミミズも環形動物の一種ではあるが、それでもコウガイビルに比べればまだマシだ。

tanimoto81_13.jpg 好かれるかどうかは、見かける割合にも関係しよう。見る頻度が高ければ、次第に慣れて、気にならなくなるものだ。
 外見は好かない。それなのに、その習性には心ひかれる。その理由は「陸のプラナリア」だからだ。プラナリアと同じように、からだを切られても、「なんてことないよ」と許してくれる寛大さがある。しかもプラナリアより大きくて、扱いやすいはずだ。
右 :プラナリアは目が特徴的であることで、愛されキャラになれる


 それなのに、気軽に使う実験動物とはなっていない。フグと同じ毒を持つものがいる、人体に害を及ぼす寄生虫の運び屋になることもあるといったダークサイドがネット情報としてこぼれていることも影響しているかもしれないが、プラナリアとの決定的な違いは目にあるように思えてならない。
 まさに、「目は口ほどにものをいう」のである。
 プラナリアには、ふたつの愛らしい目玉がある。そのおかげで、実験材料として使う研究者も多いと、ぼくは思うのだ。
 ところが、コウガイビルにはそれらしいものがない。だったら、目に類するものがないのかと思うと、そうでもない。肉眼で確かめることはできないが、あの笄形の頭には無数の眼点が数多く存在するそうだ。


 雌雄同体で乾燥に弱い。ミミズやナメクジ、カタツムリなどを食するということが基本情報として伝わる。
 コウガイビルはヒルとはまったく別の種類だから、ヒルのように血を吸うこともない。それどころか、沖縄などで野菜に大きな被害をもたらしているアフリカマイマイをも食するコウガイビルがいるのだ。扱い方によっては、世にいう益虫となる可能性も秘めているといっていいのである。 


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左 :コウガイビルの敵は乾燥だ。干しシイタケとちがって、干からびたものを水に入れても生き返らない
右 :コウガイビルはカタツムリを食べる。そう聞いていたのだが、目の前にいるチョウジガイには関心がなさそうだった


 さればとて、ミミズを与え、ナメクジを差し出し、カタツムリを投じた。目の前ですぐに食べてくれると思ったのだが、そうそう、こちらの自由にはならない。あきらめて1日放っておいたら、ミミズだけが消えていた。
 眼点は見えないにしても、笄部分に口があればお食事風景も拝むことができる。ところがなにしろプラナリアちゃんの仲間なのである。口と肛門を兼ねた器官は、おなかのあたりに存在するため、なかなか拝見できない。
 「ああ、そうか」
 と合点した。歴史的な産物である笄の名を継ぐものとして、恥じらいを隠せないのだ。そう思うことにした。


tanimoto81_11.jpg プラナリアを飼いだしたきっかけは、その再生力を実際に確かめるためだった。そのために釣りえさの赤虫、すなわちユスリカの幼虫を買い求めては与えたものである。
 ところが時間がたてばたつほど、情が移る。そしてとうとう、一度も切り刻むことはできなかった。しかしうまくしたもので、実験を戸惑ううちに勝手に分裂し、これまた勝手に再生してくれたのだ。故意に傷つけることなく、わが心も傷つくことなく、再生能力の一端は知ることができた。
右 :プラナリアでの再生実験はついに、できなかった。この顔、この目がかわいいからだ。さて、コウガイビルはどうだろう


 プラナリアほどのかわいげのないコウガイビルだが、だったら、今度は気にすることなく傷つけることができるのか。
 答えはわかっている。否であろう。でも、もしかしたら......といまも飼っている。せめて、お食事場面ぐらい、はっきり見てみたいよね。

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。


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