きょうも田畑でムシ話【77】
2019年08月08日
ミンミンゼミ――身近すぎてミステリアス
人間なんて、勝手なものだ。いや、ぼくは、と言うべきかもしれないが、日照不足が続いて野菜が育たず、毎日のようにぼやいていた。いつになったら梅雨が明けるのだ、と。
その舌の根が乾かないうちに、今度は「なんて暑いのだ」とぼやいている。梅雨が明けてから一気に気温が上がり、トマトやキュウリの実のつき具合は良くなった。ところがそれに反して、こちらの体は早々と白旗だ。暑さには比較的強い体質なのだが、寝苦しくてかなわない。
ようやく眠れそうになると、顔や首すじのねばつきが気になって仕方がない。で、エアコンのスイッチを入れるために起き上がる。年に数回しか使わないため、ぼくの部屋だけ、骨董的なエアコンのままなのだ。コード付きのリモコンで、しかも短いため、寝たままでは操作できない。
風は、そよとも吹かぬ。暑さに降参したのか、風袋の使い方を忘れたようである。
そうこうするうちに、オートバイの音が聞こえてくる。新聞配達だ。ああ、もうそんな時間なのかと思いつつ、うつらうつら。するとしばらくして耳に届くのが、「カナカナ」「カナカナ」と繰り返すセミの鳴き声――。
ヒグラシだ。
そう認識すると、ますます寝つけない。
右 :雨が降ろうが曇っていようが、アピオスは元気に育ってくれた。今年こそ、この花のお茶を飲みたい!
ヒグラシの声を初めて耳にするのは毎年、7月の半ばである。目の前にあったはずの雑木林は、ここ数年ですっかり消えた。それなのにどこから来るのか、ヒグラシは律儀に今年もやってきた。そして、朝晩きちんと鳴いてくれる。ありがたいものである。
姿は見ない。声だけの付き合いだ。虫にそれほど興味がない人でも「カナカナ」のことは知っていて、「きのうの夕方、鳴いていたよね」などと話題にする。虫好きの一人としては身内をほめられたようで、なんだかうれしくなる。
小さなかわいらしいヘビなのに、どこでどう間違ったのか、「こいつにかまれたら、きょう一日、この日ばかりの命だぞ!」なんていわれ、そのまんまヒバカリと命名されたヘビがいる。ヒグラシの名前はそれに似て非なる「日暮らし」だ。日々の暮らしを意味するのか、あるいはその日暮らしなのか。それはそれで、悩んだりする。
左 :杉林の中で鳴いていたヒグラシ。このあとすぐ、ほかの木をめざして飛んでいった
右 :ヒバカリの名前は「かまれたら、その日ばかりの命」に由来する。実際には無毒のヘビだから、えん罪的な命名だ
ヒグラシは、日の出前や日の入り後のまだ薄明るい時間に鳴く。とくに夕方の声を認識する人が多かったらしく、日が暮れるのを感じさせるセミ、という意味からの命名だという。足の向くまま気の向くまま、その日暮らしをたのしむセミではないようである。
とはいえ、同じ場所にとどまって鳴くことがないのもまた事実のようだ。薄暮性だからか、薄暗い森や林の中では昼間でも鳴いて自らを鼓舞する。そして数回鳴くと、別の木へ。そんなところを見ると、その日暮らしのセミのようにも思えて、なかなか愉快なのである。
漢字では蜩、馬蜩、茅蜩、秋蜩、晩蝉などと書く。よく使われるのが「蜩」だが、この漢字は古く、セミ全体を表したそうだ。ということはつまり、ヒグラシはセミの代表種ということになる。
その年最初に耳にするセミの鳴き声から「初蝉」という季語ができたが、ヒグラシはその有力候補だろう。地域によっては6月から鳴いている。ニイニイゼミと先を争うようにして鳴き始めるため、このどちらかが「初蝉」にふさわしいという歌人の文章を読んだ記憶がある。
季節の変化を表す二十四節気・七十二候をみると、もっと面白い。立秋の次候が「寒蝉鳴」で、一般には「ヒグラシ鳴く」と読む。8月の盆ごろのことだから、ヒグラシが鳴く時期と考えると遅すぎる。本来はツクツクボウシだったのをどこかで間違えたのか、イメージ的にあえてそうしたのか。「寒蝉鳴」には、首をひねりたくなる謎がある。
左 :ツクツクボウシは秋の訪れを感じさせる。「ヒグラシ鳴く」と読む七十二侯の「寒蝉鳴」は、ツクツクボウシこそふさわしいように思う
右 :わが家では「庭のセミ」と呼んでいたアブラゼミ。木を切ってからは、ずいぶん減った
そのまんま、鳴き声からの命名と思われるセミはミンミンゼミとツクツクボウシだろう。アブラゼミはジージーと油で揚げたり焼いたりするような鳴き声から、もしくは油のようなはねの色がもとになったといわれる。クマゼミは、日本のセミ仲間の中では大柄なことに由来しよう。
アブラゼミは、あまりにも一般的な感じがする。わが家の庭木から出てくるのはすべて、アブラゼミだ。その存在が軽んじられるのは、あの地味な茶色のはねのせいのように思えてならない。ところが世界的には、有色のセミはむしろ珍しいのだ。日本でもたしかに、透き通ったはねを持つセミが多数派となっている。
そんなことも含めて、セミは「声の虫」との印象が強い。ひと目で種名を当ててもらえるセミは限られ、セミの声がしても、最近の子どもたちはほとんど関心を示さない。「ああ、鳴いてるね」。それが小学生のせりふかねえ。ほんと、泣きたくなる。
それなのにわざわざ、わが家を訪ねてくれるセミがいるから感激する。
ミンミンゼミだ。ミーンミーンという大きな鳴き声はよく耳にするが、ほかのセミと同じで、その背を見る機会は少ない。背中が見える虫だからセミという俗説に付き合うのもなかなか大変だ。
それはともかく、向こうからわざわざ、やってきてくれるのだ。昼間ではなく夜、玄関の明かりを目当てに突っ込んでくるところがいささか悲しいが、数ある家の中からわが家を選んでくれたと思うと、やっぱりうれしい。
左 :わが家の夜の訪問者・ミンミンゼミ。つぶらな瞳がなんともいえない......でも複眼を見るのか、単眼を見るべきなのか迷うよね<
右 :ニイニイゼミは子どものころも身近にいた。泥かぶりの幼虫・脱皮殻でも知られるセミだ
ぼくの生まれ育った名古屋市は、夏が暑い地域として少しは知られている。そして港区の名が示すように、海を埋め立てたところに住んでいたから、付き合える虫の数は限られた。カブトムシもクワガタムシもあこがれるだけで、家のまわりで実際に捕まえたことはない。そんな話は幾度か披露した。
それでも、アブラゼミはいた。ニイニイゼミの鳴き声も覚えている。記憶にないのがミンミンゼミだ。
その理由を考えたことはなかった。しかし、そのままにしておいては、ここ数年毎年やってくるミンミンゼミさんに対して失礼ではないか。
そう反省して調べてみると、多分に地域性が絡んでいるようだった。図鑑によるとミンミンゼミは、関東地方では平地から低山に普通にいる。ところがわがふるさとの名古屋以西では山間部で鳴き声を聞くセミ、と記されていた。子どものころ、姿を見たことも鳴き声を聞いたおぼえもないのはそのためだ。
左 :ミンミンゼミには、地域性があるという。子どものころは見た記憶がない
右 : クマゼミも北上しているが、どちらかといえば西日本で有名だ
同じような現象は、クマゼミにもいえる。関西地方より西では一般的なセミで、かつては神奈川県の三浦半島あたりが北限とされていた。最近は関東でも増えているが、ミンミンゼミ同様、地域によるすみわけがあったのである。
メダカがキタノメダカとミナミメダカ、キリギリスがヒガシキリギリスとニシキリギリスに2分されたように、それまで1種だとされていた生き物が新たに分類される例が目立つ。科学が進歩してより詳しく調べられるようになったからだろうが、そこまで区分けする必要があるのかなあ、というのが凡人の率直な気持ちだ。ミンミンゼミやクマゼミの分布には地域性がある、くらいでとどまる話なら歓迎する。
それよりも驚くのは、セミの寿命だ。「ホタル二日にセミ三日」といわれるように、セミはホタルと並んではかない命の虫とされてきた。むかしの人がどうやって調べたのか知らないが、成虫は1週間から10日で死ぬという〝知識〟が刷り込まれていた。
その分、幼虫時代は長くて6年か7年だと聞かされ、多くの人がそう信じた。ところが近年は、少なくとも飼育下では3年か4年で羽化するものが多いという見方が広がってきた。
左 :セミの幼虫が土の中で過ごす年数は、意外に短いことがわかってきた。それでも「森の王者」カブトムシよりはうんと長命だ
右 :「アリジゴクはおしっこをしない」という通説に疑問を投げかけたのはなんと、小学生だった
そこへきてまた、新事実が判明した。熱心な高校生の観察により、成虫の生存期間は1カ月を超す可能性が浮かび上がったのである。
この高校生はアブラゼミ、ツクツクボウシ、クマゼミなどを捕まえては油性ペンではねに印をつけ、再び捕まえるという方法をとった。その数は合せて863匹に及び、15匹を再捕獲、4匹を再々捕獲した。最長はアブラゼミで32日だった。
データの数は少ないが、野生のセミについて実際に調べた結果だから、称賛に値しよう。こんなにも手間のかかること、すでに定説となってだれも疑わなかったことに疑問を抱いたところがなんともすごい。ウスバカゲロウの幼虫である通称「アリジゴク」は羽化するまでおしっこをしないという一般常識を覆す研究発表をした小学生もいたが、どちらもやっぱり、えらい!
ぼくなんて、いまだにセミの種名さえ満足にわからない。トンボもそうだが、はねが透明の虫はどうも苦手だ。
あっ。もしかしたらこれは、新発見かもしれない!
なーんて言っても、だれも相手にしてくれないだろうなあ。
窓の向こうでは日暮れのセミが、かな、かなと鳴いてなぐさめてくれる。
なんだか、かなしい夕暮れである。

たにもと ゆうじ
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。