きょうも田畑でムシ話【16】
2014年07月07日
糸でつくるダイヤモンド――ヤママユ
ふと疑問に思うことがある。「モスラ」がなぜ、あれほど有名なのかと。
若かりしころ、映画館でモスラという巨大な蛾が登場するフィルムを観た。東京タワーにモスラの幼虫が糸を掛け、しかるのち立派な繭をこしらえる。そして時至り、繭を破って姿を現すのは、これまたビッグな成虫だった。
あの映画は1961年の公開だから、すでに半世紀になる。それなのに、若い人の間でも知名度は高い。モスラの「モス(Moth)」が蛾であることは分かるが、「ラ」が何を意味するのか、最近まで知らなかった。映画を観た少年時代にはそこまで関心がなかったからだが、どうやら「マザー(Mother)」との合成語のMothraらしい。人類の味方のように描かれるのは、その名に含まれる母性が発揮されるからかもしれない。
ともあれ、巨大な蛾が好きなぼくにとってはうれしいことだ。ついでにいえば、あのモスラ成虫の口はペンチのように頑丈なものだが、あんな器官を持つ蛾は現存しない。おそらくは想像上の産物だろう。だがしかし、モスラとは似ても似つかぬコバネガという、はねを広げても1cm足らずのちっぽけな蛾には、それらしい口がある。
左 :映画「モスラ」のモデルとされるコバネガ
そんな蛾なら見てみたい!
そう思ってここ数年、生息地に通ってはその口を見ようと試みるのだが、「これこそがその証拠だ!」と胸を張って見せられる写真が撮れない。あまりにも小さすぎて、素人カメラマンの手に負える相手ではないようだ。
で、再び、巨大な蛾に話を戻す。大型の蛾はスズメガとヤママユガのグループに大別できるが、どちらかといえばヤママユガの仲間に関心がある。はねを広げると30cm近いものもいる世界最大級のヨナクニサンがその代表であり、学生時代には与那国島に渡って繭を見つけたこともある。だが残念無念、すでに羽化したあとの空繭だった。いつかはその汚名を挽回しようともくろむのだが、チャンスはなかなか訪れない。一度でいいから、実際に飛ぶところを見てみたいものである。
左 :石垣島の空港で売られていたヨナクニサン。モスラの名前も販売に一役買う
右 :野外で見つけたヤママユの成虫
となると、ねらうのはもう少し身近な種となる。それはヤママユであり、ウスタビガだ。はねを広げた成虫のカッコ良さはいうまでもないが、それ以上にひとを魅了するのが繭の色の美しさであろう。
これまでに何度か、飼育もした。今年も飼った。何気なくコナラの木を見上げたら、3匹の幼虫が同じ視野におさまったからである。
そこで2匹だけ持ち帰ることにし、それっとばかりにコンビニ探しにかかった。なぜかというと、幼虫を入れるのに適した容器の持ち合わせがなかったからである。
過去にも経験がある。こんなときはコップ型のコーヒーを買い求め、ぐぐっと飲み干す。そしてしかるのち、空き容器に幼虫をおさめるのだ。よほどの山奥でもない限りコンビニがある時代で良かったと感謝するのは、まさにこういうときである。
ヤママユは卵からかえってしばらくの姿と、何回か脱皮してからの姿がまったくちがう。最初は体のわりに長い毛を持つケムシ風であり、しばらくすると、透き通るようなみずみずしさをたくわえたモスグリーンの精に変身する。そうだ。もはや並みのイモムシではなく、森の精の一部と化すのである。
左 :採卵のためにネットに入れた人工飼育のヤママユ
右 :ふ化してまもないヤママユ。若い葉をおいしそうに食べている
左 :人工飼育のお礼の品? ヤママユの幼虫は、脱皮するたびに頭の抜け殻を残してくれる。
右 :順調に育つヤママユの幼虫。これが最も得意な姿勢だ
普通は4回の脱皮を経て、繭をつくる。その繭が美しく、江戸時代から珍重されてきた。ヤママユの繭からとった糸だけでできた着物には、数百万円の価値があるとか。「繊維のダイヤモンド」と呼ばれるゆえんである。
長野県安曇野市の「有明」といえば、かつては世界に冠たるヤママユの特産地だった。その地を訪ねて竹製の「蝶かご」を見せてもらったことがあるが、思っていたより小さかった。子どもが遊びに使うバケツぐらいだ。ざっくり編んだ竹の間から雌雄1ペアの成虫を差し入れると、2、3日後には編み竹の外側に卵をびっしり産みつける。
「狭いかごのすき間から成虫を突っ込む行為が残酷だという批判の声もあるんですよ」。飼育者の一人がそう話してくれたが、気にすることはない。羽化した成虫に指1本ふれなくても、4日ほどで死んでしまう。それなら確実に子孫を残すことができる、200年の伝統を持つ採卵方法の方が幸せではないか。自分がヤママユだったら、「よかよか。気にせんでよか」と鷹揚にかまえ、かごの中で雌蛾とのデートを楽しむ。
左 :昔は「蝶かご」と呼ばれる竹製のかごに成虫の雌雄を入れて卵を産ませた。卵は外側に産む
右 :ヤママユの繭は一般に緑色を帯びているが、なかには黄色い繭をつくるものもいる
養蚕の世界では白い繭をつくるカイコガを「家蚕」と呼び、ヤママユなど野生の繭とり蛾を「野蚕」という。有明を訪ねて野生のヤママユを「ノッコ」と呼ぶのだと教わったが、漢字ではおそらく、「野蚕」と表記するのだろう。「コ」は「蚕」が語源だという話もあるからだ。
色の美しさではヤママユに勝るとも劣らないのが、ウスタビガである。古くは「ツリガマス」「ヤマビシャク」などと呼ばれたその繭は、ヤママユの繭以上に濃い緑色をしている。その幼虫も幾度か飼ったが、手でさわるとチュッともキュッとも聞き取れるかわいい鳴き声を発する。
驚いたことに、繭をつくってからも、何かの拍子でチュッと鳴く。その声を聞くのが飼育の楽しみでもあった。
右 :繭づくりの最後の仕上げをするウスタビガの幼虫。頭がまだ見えている
ところがことしは、その声が聞こえない。それでも個体差もあるのだろうと気にしていなかったら、ななな、なんと、そろそろ繭をつくるころだというときになって、突然、体に黒い斑点が現れた。それも、いくつも。
しかも飼育していた水槽の壁面には、白い液体の飛び散った痕跡が幾つもあった。ぐったりしていてもいじらしく葉っぱにしがみつく幼虫の周囲を見回すと、水槽の底に、色の薄い粘土でこしらえたような物体があった。もはや、モスラもびっくりのミステリーである。
よく見ると、インディカ米と呼ばれる長粒種の米粒を20個ばかりくっつけたような形状だ。寄生バチの繭だろうと想像したが、その造形の前にはウスタビガの幼虫の体からウジ虫状の寄生バチの幼虫が1匹ずつ這いだして同じ場所に集合し、いささかのすき間もつくることなく、立ったような姿勢で繭にならなければならない。少なくともぼくにはそう思えた。
左 :ウスタビガの終齢幼虫の体から出てきた寄生バチの繭。それぞれがピーナッツのようにも見える集合体だ
虫に詳しい友人に謎の繭を送って意見を求めると、大型のコマユバチのものだろうが、羽化するまで分からないという返事があった。虫の世界には謎が多すぎる。だから、同じものを何度も飼う楽しみも生まれる。
無残な最期を遂げたウスタビガだったが、普通はこれまた不可思議な繭をこしらえて、ぼくを悩ませる。繭の上部両端を指で押さえると、パカッと開き、底には穴が一つだけ開いている。繭をカットしてみると、その穴の上は二重底になっている。しかもその底部には、十数個の小さな穴がある。おそらくは、繭の開口部から入った雨水を抜くための仕掛けだろう。だったら最初から口をしっかり閉じておけばいいものを、と思うのだが、それはやっぱり謎である。
左 :ウスタビガの繭の上部は、完全には閉じていない。指で押せば開いてしまう
右 :ウスタビガの繭をカットすると、雨水を抜くためのものなのか、底には幾つもの小さな穴が開いている
ほんとにまあ、茶目っ気のあることよ。
だからぼくはマンモスが好きなんだ。この場合、マンモスのように大きな蛾(モス)という意味なのだが、たぶんだれも気づかないだろうから、自分で説明してしまうのだ。

たにもと ゆうじ
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。