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【10周年寄稿】変わる日本の食、変わるべき日本の農

2017年9月 6日

農産物流通コンサルタント 山本謙治   


 日本の食と農を巡る状況は、ここ数年で激動といえるほどに変化しています。そんな状況でこの先10年を見通すことは、なかなか難しいことです。でも、食と農の関係はつねに「食」から「農」へという方向性だったと思います。つまり消費者の食行動の変化が先にあって、それに合わせて農の現場が変わっていくということ。ですから、この先、消費者の食行動がどう変わっていくかを考えると、自然と農の進むべき道も見えてくると思います。それがタイトルの「変わる日本の食」と「変わるべき日本の農」という組み合わせなのです。


1.変わる日本の食
食行動と味覚の変容は今後も進んでいく

 家庭の食のあり方は大きく変化し続けています。90年代のバブル景気が終わり、景気が悪くなると女性も社会進出を促されるようになりました。家庭で料理をする余裕がなくなったこともあり、食の外部化がどんどん進みました。スーパーマーケットでは青果物や鮮魚、精肉などの生鮮三品で集客をするということが主流でしたが、いまやスーパー店頭で最も目を引くのは、色とりどりの惣菜類。テレビで流れるCMには冷凍食品やコンビニエンスストアの惣菜がひんぱんに登場し、それらを家庭の食卓に乗せることは、まったくはずかしいことではないというメッセージを送り続けています。


10_2017yamamoto1.jpg 食の外部化が進むことで、料理文化もどんどん変わってきているようにみえます。昔ながらの料理研究家による、和食の基本をしっかり押さえたレシピのみならず、一般の主婦が工夫を凝らしたお弁当レシピや、コンビニで買えるものだけで一品を仕上げるレシピ、とにかく簡単さを追求するために、できあいの複合調味料を駆使して15分でできる料理など。プロの料理研究家ではなく一般の人による、これまで想像もしなかったようなレシピが受け入れられるようになったようです。


 また料理テキストの中には、包丁を使わずキッチンばさみだけで作ることができる料理の本があったり、電子レンジだけを使ってできるレシピ集などがあり、料理スタイル自体が変容していることがうかがえます。伝統的な煮物や、時間のかかるハレの郷土料理を作ること自体が、だれでも持ちうるものではなく、一種の「技芸」とみなされる時代が来るのかもしれません。もちろん家庭で料理をする文化自体が消えることは考えにくいのですが、その「料理」という行為自体は、生の素材を切って煮たり焼いたりすることだけではなく、もっと簡便なものになっていくでしょう。


 たべものの購買場所も変容しています。青果店や鮮魚・精肉店で購入した昭和前期からスーパーマーケットが台頭したものの、いまはコンビニへと移行しつつあります。買物弱者と呼ばれる高齢者は自宅で料理をする余裕がなくなるため、ますますコンビニに並ぶできあいの食品に依存することになります。


 以前、大手コンビニチェーンのチルド惣菜を製造するメーカーの社長さんと知り合って、工場見学に伺ったことがあります。意外にも、天然の出汁を使用した上質な惣菜を製造していることに驚きました。その際に「増加する一方の高齢者は、いずれ自分では料理ができなくなるだろう。そうしたとき、うちの惣菜を買って食べれば、生きていける。それが私の義務だと思っています」と言っておられました。実際、そのような状況になりつつあるように見えます。
 コンビニ食品や冷凍食品などは基本的にアミノ酸や塩分、糖分に油脂を多用し、味付けが濃い傾向にあります。家庭料理を食べる機会が減り、そうしたものばかりを食べていると、そうしたパンチのある味付けでなければおいしいと思えない味覚になってしまうかもしれません。


10_2017yamamoto4.jpg 先日、京都の和食料理人さんの会にお邪魔したのですが、小学生に向けた食育授業で昆布のお出汁を飲ませても「おいしい」と言わない、気持ち悪いという子供が増えていると聞きました。そうした子供に昆布と鰹節を合わせた一番出汁を飲ませると「コンソメスープみたいな味がする」というそうです。つまり昆布や鰹でとったお出汁ではなく、市販のコンソメスープの素が家庭の味になってしまっているということでしょう。そうなると、いま和食の世界で通用しているおいしさの尺度が、10年、20年先には大きく変わってしまうかもしれない。その恐怖があるから、彼らはお出汁を引きながら小学校をまわっているのです。


 私もある大学で食品の講義を数回受け持っていますが、そこで味に定評のある地鶏と安価なブロイラーの食べ比べをしたことがあります。フライパンで焼いて塩だけで食べさせるので、文句なしに地鶏が好評だろうと思いきや、7割近くの学生がブロイラーを好ましいと答えたのです。「地鶏は匂いが獣っぽい」「味が濃すぎて好きではない」という感想に、心底驚きました。彼らはブロイラーを食べて育ってきましたから、地鶏肉をおいしいと思えなかったのでしょう。
 このように、日本人の「おいしい」という感覚自体が変わっていくことは、よいことばかりではないと思うのですが、この先どうなってしまうのでしょう。もう少し真剣に考えるべきことのように思います。


日本の食は高くなる!?
 日本における食の消費が右肩上がりだった時代はバブル崩壊とともに終わり、2000年代以降は消費全体が落ち込み、がまんの時代が続きました。たべものへの支出はできるかぎり切り詰められ、それに呼応するように優秀な日本の小売・外食・中食産業は、安いたべものを日本を含めた世界各国から集め、消費者に提供してきたわけです。

 日本の産業はなぜかこの時代から、どんどんお客様志向という名のもとに安値を追求し始めます。お客様は神様ということによって、どんどん自分自身の蓄えをすり減らしていったように思えます。これだけ物価が上昇基調にあるのに、たべものの価格が20年前から比べてそれほど変わっていないというのは、ちょっと異常な風景です。そろそろこの辺の風向きが変わってくるのではないでしょうか。実際、その予兆が出てきています。


10_2017yamamoto3.jpg 「ブラック企業」という言葉がよくきかれるようになりました。低賃金で長時間労働を課したりする奴隷的な労働環境を容認する企業を言うわけですが、こうしたことを是正する機運がようやく日本で高まったかと感慨深いものがあります。ヨーロッパやアメリカなら、労働者や市民団体がデモやストライキなどの直接的な行動をどんどん起こしていたでしょう。日本人はとにかくがまんして滅私奉公するというのが是とされてきたようにも思いますが、とうとう「そんな世界はイヤだ」と声を挙げる文化が芽吹こうとしています。そうなると、ことは労働問題だけには留まりません。
 スーパー等で低価格で購入できる食品の代表格であるもやしの生産者団体が「いまの販売価格は低価格すぎて、生産者の経営が成り立たない」として、値上げに理解を求める文書を発表しました。数年前には養鶏業界が新聞広告で「たまごの価格は昭和30年代から変わっておらず、この状況が続くと、生でたまごを食べられなくなるかもしれない」と訴えました。生で食べられるような高度な生産と流通を支えるに足る対価を払ってくれという切なる訴えでした。こうした生産者の訴えに、これまでスーパーなど小売業者はあまり真剣に取り合ってこなかったと思います。


 しかし、これからは風向きが変わるかもしれません。小売業者や外食業者などからいじめられ続けてきた第一次産業の担い手が高齢化し、どんどん離農しています。いつか限界点を超えて、食品が満足に供給できないくらいに減少するかもしれない。そうなると、市場原理からすれば、生産者側のパワーが強くなるのかもしれません。


10_2017yamamoto2.jpg たとえばいま飲食店では肉ブームといわれ、ステーキなどの牛肉料理を筆頭に、さまざまな業態が生まれています。ところが生産の現場をみると、どんどん生産者が辞めています。ブームに沸いて相場は高く、黒毛和牛の子牛価格は5年前から比べると2倍近い状態です。それでも生産者は「人生の最後に好景気が来て、借金を返してもおつりが来るから、これで辞められる」と言って辞めていくのです。ですから国産の牛は本当に足りない。あまりに高すぎて豚や鶏に手を伸ばそうとしても、伝染病が発生して出荷頭数が減ったり、さきのブラジル産食肉の不正事件などで安価な輸入品が減ったりすると、豚も鶏も確保できるかわからない。つまり、日本はそろそろ、お金を出しても買えない状況に陥るかもしれないのです。
 そういう意味では、ようやく日本の食の価格が、少しずつ上がっていき、生産と流通にかかるコストをきちんと吸収できるように是正されていくかもしれません。私はそれに期待をしています。


2.変わった方がいい日本の農
 さて、これまでは日本の食がどのように変わっていこうとしているのかをみてきました。では、農の世界はそうした動きに対し、どのように変化していくのでしょうか。
 ひとつは、産業としての厳密さがどんどん求められるようになっていくだろうということがいえます。これまでは「なあなあ」でやってきたことが通じなくなるということです。


国際的なルールに沿うことが求められ、厳格化する日本の農
 たとえばいま、農業の世界ではGAPの認証を取得しましょう、という動きが出ていますが、これに対して反発する組織や生産者も多いときいています。
「すでに作業内容や使用資材の記帳をしたり、いろいろな記録を提出しているのに、もっと作業を増やすのか」
「GAP認証を取得したところで、価格を上げてもらえるわけではないだろう。生産コストで吸収しろと言われても無理だ」という声を私もよくききます。ただ、この流れはおそらく変わることはなく、それに乗った生産者と乗らない生産者で、進む道が変わってくるかもしれません。

 同時期に、水産物の世界でも、これまであまり整備されてこなかったトレーサビリティの仕組みの議論が始まっています。加工食品の表示が厳格化されることとなったのはみなさんもご存じでしょう。このように、食を巡るさまざまな分野で「厳格化」の波が押し寄せてきているのは偶然ではありません。それらすべては、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの方向を向いているのです。


オリンピックを契機に流れが変わる
10_2017yamamoto5.jpg これについてはちょうど「みんなの農業広場」の別コラムでも書いているので参照して欲しいのですが、ロンドンオリンピック・パラリンピックから、食料調達の基本方針が大きく変わり、提供される食材そのものも、そして調達に際しても、持続性やフェアトレード、環境保全や人権配慮、アニマルウェルフェアなどが配慮されなければならないとされたのです。もちろん青果物はGAP認定を受けているところから買うし、オーガニックや水産物のエコラベル認証品などが優先されます。この方向性はリオでのオリンピック・パラリンピックでも継承されました。そうなると東京オリンピック・パラリンピックでその方向性を無視するわけにはいきません。

 問題は、欧米社会では当たり前のようになされている取引ルールや基準が、日本では当たり前ではないということが多々あることです。GAP認証はそれほど浸透していないし、アニマルウェルフェアについても、欧米レベルの基準を守ることは難しい。でも、そうも言っていられない状況なので、やれるところから整備していこう。いま、そういう状況になっているのです。


生産者の世代交代と食の価格の見直し
 私は基本的にこの状況を好意的に見ています。このハードルを越えたら、日本の食の生産も新しい次元に入っていけるのではないかと思うのです。もちろん、そうしたルールや基準を取り入れることが難しい高齢な生産者も多いでしょう。それはそれで、これまで通りでいいのです。いまや全国的に直売施設が増え、売場には困らないわけですから。こうして、自然に日本の農業の世代交代がおこなわれていけばよいと思います。

 ただし、40代以下の若い世代の食の生産者がもっと増えていかなければならないのは確かです。そのためにも、先に書いたように、日本の食の価格自体が上昇傾向に入ることが重要です。食料の生産をすることで、きちんと生活でき、明日もまた生産しようという意欲が湧く利益を得ることができる。ごく当たり前といえるこうしたことがいま、できていないから担い手が減少していくわけです。それが解決すれば、自然と生産者も増加していくのではないでしょうか。それを望みたいと思います。


次の10年は、消費者の理解とコミットが創り出す
 ということで、これまでの食と農の来し方と行く末について、やや願望も交えながら書いてきました。長くなったのでこの辺にしますが、もっとも大事なことは、消費者がもっと食と農についてきちんと理解を深めて、しっかりコミットしてくれることだと思います。


10_2017yamamoto6.jpg 「理解を深める」にはいろいろありますが、例えば価格だけをみるのではなく、内実を評価できる眼を持って欲しいということ。「あっちの豆腐は48円なのに、この豆腐は158円もして高い」というのは価格しかみていないわけです。でも、48円の豆腐は薄い豆乳を強い凝固剤で固めたものかもしれず、逆に損をしている可能性もあるわけです。そうしたことをきちんと理解して欲しい。

 「しっかりコミット」とは、たとえば「こういうものが欲しい」という声を挙げたなら、そうしたものが店頭に並んだらきちんと買うということ。これが意外にできていないから、どんどんスーパー等からよいものがなくなっていくのです。
 よい食があってよい農があるのだと書きましたが、よい食文化はよい消費者がいなければ成り立ちません。食と農のこれからの10年をどのようにするかの舵は、やはり消費者が握っているのだと思います。

やまもと けんじ

株式会社グッドテーブルズ代表取締役・農産物流通コンサルタント。
一次産品の商品開発のアドバイザーをする傍ら、全国の郷土食を食べ歩いている。「週刊フライデー」、「きょうの料理」、「やさい畑」などに連載を持ち、著書に「激安食品の落とし穴」(KADOKAWA)「日本の食は安すぎる」(講談社)、「実践農産物トレーサビリティ」(誠文堂新光社)などがある。ブログ「やまけんの出張食い倒れ日記」も人気が高い。

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