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2008年3月18日
ひなまつり
農村ライター 長尾道子
2月に降った大雪で、家の周りはどこもかしこも雪の壁、木々も綿帽子をかぶり、一面真っ白な世界だったのが、半月で路面や庭の土が見えるようになりました。
3月に入ってから真っ青な空が広がり、ポカポカした陽気な日が続いていたので積もっていた雪もみるみるうちにとけてしまったのです。もうそろそろ、ふきのとうが出てくる頃でしょうか?
とはいえ、いつ大雪が降るかわからないのがこの季節。北海道に暮らす人間としては、まだまだ気が抜けません。だからこそ、この季節になると、訪れそうでまだ訪れそうにない「春」がとっても待ち遠しくなります。
外が真っ白でも、家の中は春が来たように華やかになる日、それが「ひなまつり」です。
子どもの頃、毎年2月になると「そろそろ、飾らなくっちゃね」と納戸から大きな箱を2つ出してきて、弟と妹とおしゃべりしながら七段の雛人形を飾り、母がお花屋さんで購入してきた桃の花をいけて、おやつに桜餅やうぐいす餅、雛あられなどを食べていました。
いつも大騒ぎしている子ども部屋をお雛様が占領するので、2月は私も弟も妹もいつもよりおとなしく、人形を愛でながら遊んでいたことを思い出します。
3月3日当日、私と妹はおめかしします。大きくなるにつれて着替えることはなくなりましたが、小さい頃は着物に着替えて、髪の毛を結ってもらって。
お雛様の横にちょこんと座って記念撮影をしたり、おままごとをしたりして遊んでいると、「ご飯だよ~」と母の声。食卓には毎年、ちらし寿司とはまぐりのお吸い物が並びました。
酢飯にかんぴょうやしいたけ、レンコンや人参などを甘辛く炊いた具が混ざり、その上に錦糸卵、桜でんぶ、絹さやの刻んだもの、紅しょうがなどが散りばめられる色鮮やかなちらし寿司は、母の作る料理の中でも好きなものの1つ。誕生日にも作ってくれていたのですが、3月3日にたべるちらし寿司は特別なものだったような気がします。
たっぷりちらし寿司を食べた後に、桜餅かうぐいす餅を1つと、なめる程度の白酒をいただく。そうして楽しかった3日は終わり、翌日人形を片付けるというのが我が家のひなまつり。
月日の流れとともに、多少変化した部分もありますが、2月に人形を飾り、3月3日に毎年同じメニューで祝うことには、なんら変わりありませんでした。だからでしょうか、ひなまつりにはちらし寿司を食べたくなるし、用意しなくっちゃ、と思うのです。
そう強く感じたのは、結婚してからです。夫の実家では子どもに女の子がいないため、ひな祭りを祝ったことがないというのです。だから、結婚して最初の年の3月3日の夕食は、ごく普通の食事でした。私は夕飯の準備をしなかったので何も言えませんでしたが、ちょっと寂しく感じたことをよく覚えています。
以来、我が家も息子1人でひな祭りをお祝いする理由はないのですが、古くから伝わる行事を、私がずっと親からしてもらってきたことを、ほんの少しでも夫や息子に伝えていけたらいいなぁという思いを込めて、3月3日はちらし寿司とはまぐりのお吸い物、そして桜餅だけは必ず用意しようと決めたのです。
※注)3月3日にひな祭りを祝うのが一般的になっていますが、地域によっては、旧暦や月遅れで祝うところもあるようです。(事務局)
《今回のおいしいモノ》
実家のちらし寿司です。
私はたまに五目ちらし寿司の素などを使って作ってしまうのですが、母は前日から具を準備して丁寧に作り上げます。そうしてできたものは、昔から食べている懐かしくて優しい味わい。
やっぱりこっちのほうがおいしい!
母の手料理を食べるたびに、忙しさを理由に手を抜いてはいけないなぁと反省する日々です。
異業種の職業を持つメンバーが「食」と「農」のあり方を真剣に考え、行動する「食農わくわくねっとわーく北海道」事務局長。食べることと農は一体。自分たちの生活を楽しくするために、「一緒にわくわくしましょう」という思いを実践する。