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ぐるり農政【182】

2022年5月23日

円安と日本農業

ジャーナリスト 村田 泰夫

 
 スイスのスキー場のレストランで、ランチのメニューを見てたじろいだ。スパゲティの値段が、日本円に換算して3000円以上するのだ。現地に暮らす日本人に聞いてみると、「レストランのウエイトレスの時給が2000円以上するのだから、やむを得ない」という。

 コロナ禍以前のことだから、4年以上前の話だ。日本でも観光地でもあるスキー場のランチの値段は高い。でも、スパゲティは1000円余りだ。バイト代も当時は900円台だったと思う。「料理の値段は日本の3倍、バイト代は2倍」と、ため息をついた記憶がある。

 当時の為替レートは、1ユーロ=120円台だった。為替レートが円安すぎると思った。1ユーロ=60円だったら、スパゲティの値段は、日本円に換算すると1500円、バイト代は1000円となって、日本国内の相場と釣り合う。


murata_colum182_1.jpg ところで、日本の円が売られ、このところ20年ぶりの水準にまで円安が進んでいる。その国の通貨は、株式のように時々刻々、売り買いされている。1ドル=130円ということは、米国の1ドルが日本円の130円と交換されるということだ。


 為替のことをおさらいしておこう。海外旅行に行った人は実感したからおわかりだろうが、120円出せば米国で1ドルのものが買えたのが、1ドル=130円になると、130円出さないと1ドルのものが買えなくなる。これを「円安」という。1ドルが120円から130円に「高くなる」のに、なぜ「円安」というかというと、同じものを買うのに120円でよかったのに、130円出さないと買えなくなるのだから、それだけ円の価値が下がって安くなってしまったからだ。逆に1ドル=110円になれば、110円出せば1ドルのものが買えるので、日本円の価値が上がったことなる。これが「円高」だ。

 円安と円高のどちらがいいのだろうか。立場によって異なる。現在のように円安になると、輸出メーカーは、日本円で受け取る金額が膨らむので、収益が改善する。円安の恩恵を受けている典型がトヨタ自動車である。2022年3月期決算によると、本業のもうけを示す営業利益は36.3%増の2兆9956億円だった。日本企業として最高益を更新した。

 原因は、主要な市場である米国や中国市場で販売が好調だったこともあるが、売り上げの約6割が輸出なので、円安が利益を大幅に押し上げた。当初、1ドル=105円を想定して予算を組んだが、期中に円安がどんどん進み、今年3月には1ドル=120円台を記録し最高益につながった。営業利益のうち、円安要因による利益は6100億円にのぼるという。


murata_colum182_2.jpg では、農業はどうなのだろう。円安だと、わが国から輸出するコメや牛肉などの手取り価格が膨らみ、農業者の取り分が増える。もうかるから、輸出意欲がわき、輸出価格を下げて相手国の市場に攻める余裕も出て、さらに輸出が増えるという好循環も期待できる。


 一方、わが国に輸入されるバナナやオレンジなどの果物、スパゲティやオリーブ油、ワインなどの円換算価格は値上がりする。8割以上を輸入に依存する小麦は、輸入を一手に取り仕切る農林水産省が国内の製粉会社に卸す価格を上げた。ウクライナ危機で国際相場が高騰したこともあるが、円安で輸入価格が膨らんだからだ。

 「小麦粉の価格が国産の米粉より高くなった」というニュースが飛び込んできた。「価格競争力がない」といわれていた日本の農産物の競争力が出てきたのは驚いた。しかも、輸入農産物・食品が割高になって、国産農産物に割安感が出てきた。しかし、それは円安という為替相場によるものであり、一時的な現象に終わりかねない。


 なぜいま、こんなに円安なのか。最大の原因は、米ドルと日本円の金利差である。世界中の投資家は、少しでも有利な通貨はないか、日夜探し回っている。米ドル、EUユーロ、日本円、中国元、あるいは途上国の通貨。数千億円や数兆円ものマネーを動かす投資家にとって、わずかであっても金利の高い通貨に乗り換えた方がもうかる。インフレ懸念が高まっている米国では、中央銀行に相当する組織が金利の引き上げを公表し、日米の金利差が開いた。それを機に、莫大なマネーを動かす投資家が、金利の安い日本円を売って、より金利の付く米ドルを買いに走った。そこで円相場が一時、1ドル=130円台まで下落したのである。

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 米国や欧州諸国は、インフレに対処するため利上げに舵を切っている。日本銀行の黒田東彦総裁だけが「異次元金融緩和の維持」を変えず、円売りを誘っている。他の先進諸国が金利引き上げに動いている時、かたくなにゼロ金利政策を継続すれば、円の信用失墜につながるだけだ。「悪い円安」で輸入物価が上昇している程度ならまだしも、日本経済そのものに対する不信を招けば、取り返しのきかない事態を招いてしまう。黒田日銀総裁は、アベノミクスの呪縛から早く逃れるべきであろう。


 悪い予感がする。わが国の政府債務つまり借金は1000兆円を超えた。金利を1%上げると、年間10兆円の利払い費が増える。今後、インフレの恐れが出てきても、おいそれと金利を上げられない財務体質に日本はなってしまっている。インフレを止められない国の信認は地に落ちる。円安で日本農業の競争力が高まったと喜んでいる場合でいられなくなる。(2022年5月17日)

むらた やすお

朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。

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