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2021年11月24日
「親ガチャ」と「でもしか農家」
ジャーナリスト 村田 泰夫
「親ガチャ」という言葉も、だいぶ知られるようになった。「親は自分では選べない」。そんな運命的な境遇を、カプセルおもちゃを買う機械を回すガチャという擬音にたとえた言い方だ。ガチャと回して、どんなおもちゃ(親)が出てくるか、わからない。
「もっと金持ちの家に生まれていれば、こんなに苦労しなかったのに。親ガチャのせいで損している」とか、「あいつは、親ガチャでいい大学に入った」など、若者が現在の境遇の悪さや、ライバルの厚遇をその親のせいにする場合に、使われることが多いそうだ。
もうだいぶ昔のことだが、「でもしか先生」という言葉があった。就職先として小中学校など学校の先生の人気がない時代のことだ。学校の先生に「でも」なるか、あるいは「しか」なれないという状況を、「でもしか先生」と呼んだ。学校の先生は、子どもたちから慕われる仕事だし、次代を担う人材を育てる崇高な職業であり、「でもしか先生」などと自虐的にさげすむ職業ではない。現在では、そんな自虐的な言葉は死語になっていると思う。
農業の世界でも、かつて、「農家の長男だから、やむなく農業を継ぐ」という人が少なくなかった。農家に生まれたことを悔やんでいる人がいた。いわば「でもしか農家」である。現在なら、「親ガチャで、農業でもやるしかない」と言うのかもしれない。
ところが最近、幸いなことに、取材で若手農業者に会っても、農家に生まれたことを「親ガチャ」だとして悔やむ若者に会ったことがない。「おやじのやっている仕事を見ていて、やりがいがあると思った」とか、いったん都会に出てほかの仕事に就いたが、「みずからの経営判断で結果の出る農業という職業はおもしろい」といって、みずからの意志で家業の農業を継いだり新規参入したりした若者がほとんどある。
一方、親の方を取材しても同じことが言える。中堅以上の農業者に会っても、子どもに農業を継ぐことを強制する人は、いまでは少ない。内心では「継いでくれたらうれしい」と思っているのだろうが、継ぐかどうかは「本人に任せている」という親が圧倒的に多い。「親ガチャ」とか「でもしか農家」という言葉を、現在の農業界で聞くことがない。
しかし、わが国の現在の経済社会を見ると、「親ガチャ」を原因とする格差が厳然として存在している。その現実から目をそむけるわけにはいかない。ハーバード大学教授のマイケル・サンデル氏が書いた『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房)が2021年に話題になった。学歴や能力は、生まれ育った家庭環境と強い関係があるのに、当人たちはみずから努力した結果だと錯覚している実態を明らかにした。つまり「親ガチャ」で、人々の人生が左右され、格差が固定されている。サンデル教授がアメリカ社会を分析して導き出した論考だが、わが国にも当てはまる。
東京大学に入学する学生の出身家庭を調べてみたら、東大生の6割が世帯年収950万円以上だったそうだ。金持ちでないとなぜ東大に入れないのだろうか。かつて、一部の私立大学では、入学に当たって多額の寄付金を求めるところがあったが、国立大学である東大は、学生の親の世帯年収を調べて合格にしているわけではない。
小中学生のころから塾に通ったり、有名な私立高校に進学できたりするだけの金銭的な余裕が親にあったから、難関な大学に入学できたのではないか。ちなみに、東大入学者の半分以上は私立高校出身者だそうだ。難しい試験に合格したのは、当の学生自身の努力があってのことだろうが、「親ガチャ」のおかげという側面も無視できない。
もう50年以上も前のことだが、私が学んだ国立大学には、出身家庭が裕福ではなく多額の学費のかかる私立大学にいけない学生がけっこういた。いわゆる「田舎の秀才」たちが、学費の安い国立大学に集まっていた。私の時代の学費は月額1000円だった。いま、田舎の秀才たちは、どこの大学に進んでいるのだろう。「親ガチャ」で進学できていないとしたら、せっかくの人材を見捨てていることになり、国家的な損失である。
親が豊かだから子供もいい大学に進学でき、給料の高い会社や職業に就ける。さらにその子も同じようにいい教育を受けられる。そんな「親ガチャ」による格差の再生産は、断ち切らなければならない。親の世帯の年収に関係なく、学びたい子どもには等しく同じ機会を与える仕組みが必要である。格差や不平等をなくすだけでなく、それぞれの人の個性や才能を伸ばし、社会の新陳代謝を促すには、親の経済力の多寡にかかわらず、小さいときから同じ教育の機会を与えることが、社会全体の利益につながるからである。
世の中には、さまざまな投資機会がある。道路や橋の建設から工場の建設。個人的には家の建設や自動車の購入。だが、教育ほど投資効果の高いものはないそうだ。幼児期や小学校低学年で学ぶ「読み・書き・そろばん」が、その人のその後の人生にどれだけ役立っているか、お金に換算できないほど大きな効果がある。
成人してからも、学ぶことがある。とくに変革期にある日本農業は、デジタル化やスマート農業など、身につけなければいけない知識がたくさんある。「親ガチャ」とは関係なく、農業経営者は自己努力を積み重ねなければならない。(2021年11月19日)
朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。