農業のポータルサイト みんなの農業広場

MENU

ぐるり農政【169】

2021年4月21日

高齢者は「不要不急」の存在?

ジャーナリスト 村田 泰夫

 
 「不要不急の外出は控えましょう」。政府や自治体から連日、こんな呼びかけが繰り返されている。新型コロナウイルスの感染拡大は、人が移動し他の人と接触することに原因がある。家の中に閉じこもって「ステイホーム」していれば、感染のリスクは避けられる。


murata_colum169_1.jpg 国民の命と健康を守る政府による「ありがたい」呼びかけだが、真っ先に影響を受けたのが、飲食店である。感染拡大が表面化した2000年春から2度にわたる「緊急事態宣言」、それに今年に入ってからの「まん延防止等重点措置」によって、居酒屋や食堂などの飲食店は、夜8時までの営業という制限が課せられた。夜遅くまで酒を飲みながらの会食は、どうしても大きな声を出すことなどで飛沫が飛び交い、ウイルスを四散させることになりかねない。食事をするなら、酒は控えて、一人か少人数で「黙食」してほしいそうだ。売上高は「前年比9割減」という飲食店が続出した。

 次いで、「不要不急の外出を控えて」の影響を受けたのが、コンサートや演劇などのイベントや、ライブハウスなどの芸術・芸能関係者である。クラシックコンサートなどは一時、軒並み中止となり、音楽家たちは収入源を絶たれてしまった。プロ野球やサッカーは、無観客試合を余儀なくされ、収入はテレビなどの放映権料のみということもあったらしい。

 あるピアニストが「私たちのコンサートは、不要不急のイベントなのでしょうか」と自問自答している姿をテレビで見て、私自身、考え込んでしまった。

 命を守ることと比べて、不要か不急か。そうした判断基準に照らせば、コンサートを今日、聞きに行くことよりも、命にかかわる感染の機会を減らす外出自粛が大切であることは否定しない。コロナに感染する危険性が高い状況で、コンサートに出かけることは避けた方がいいのかもしれない。

 しかし、音楽コンサートを「不要不急」と決めつけることは、いかがなものだろう。ピアニストが「私の存在そのものが否定されているようで悲しい」とテレビで言っていたが、その気持ちが私にはよくわかる。


 「不要不急」という言葉がいけないのだ。「いま、どうしても」という緊急性はなくても、「必要不可欠」なことはいくらでもある。それが、音楽コンサートであり、スポーツイベントである。「不要」は「不用」ともいう。コロナ禍でいまは急がない(不急な)コンサートであっても、コンサートは役に立たない(不用な)存在ではない。いや、音楽などの文化は、人類にとって、また一人ひとりの人間にとって必要不可欠な存在である。

 「不要不急」という言葉を聞いていると、「高齢者は不要不急の存在」だと社会から指弾されているように思えてくる。年寄りに仲間入りした私のひがみだろうか。


murata_colum169_2.jpg 年寄りを不要不急な存在とする見方は、昔から今日まで、根強くある。思い出すのは、2001年ごろ東京都知事だった石原慎太郎氏が、松井孝典東大名誉教授の説だとして公言した「ババア発言」である。趣旨はこうだ。「ほとんどの動物は繁殖行動の後に死んでいくが、人間の女性だけが生殖能力を失った後も長生きしている。地球にとって悪しき弊害である」。

 石原氏は、深沢七郎氏の小説「楢山節考」にも触れている。役に立たなくなったお年寄りを、息子が山に捨てに行く「姥捨(おばすて)伝説」を題材にしている。高齢で働けなくなった老人を捨てる風習は昔からあったではないか、ということを石原氏は言いたかったのかもしれない。

 ところが、この「ババア発言」の原典とされた松井氏は、まったく逆のことを石原氏に言っていたという。ヒトの女性が生物として例外的に生殖可能年齢を超えて生存することで、「おばあさん」が集団の記憶装置としての役割を果たし、それが人類の文明の発展につながった、というのが松井氏の持論だ。それを石原氏が曲解したらしい。


 「姥捨伝説」にも諸説がある。食糧難時代に「口減らし」のために、働けなくなった年寄りを山に捨てたという話が残っているところもあるが、役立たずと思えるお年寄りにも、さまざまな知恵があるので、お年寄りを大切にせよという教訓話も伝わっている。

 長野県千曲市にある姨捨地区。美しい棚田で有名なので、地名を知っている人も多いだろう。私は昔、ここの棚田で稲刈りの手伝いをしたことがある。その姨捨で、「姨捨山」の民話を聞いた。それによると──年寄りを捨てよという殿様の命令で、息子が母親を山に捨てに行ったが、息子を気づかう親心に打たれて、こっそり連れて帰りかくまった。ある時、隣国から「答えられなければ侵攻する」と難題を吹っかけられ、困った殿様が領民に知恵はないかと尋ねた。かくまった母親から知恵を聞いた息子が、それを殿様に伝えた。すごい知恵者のいる国を攻めたらやられてしまうと、隣国は侵攻をあきらめた──という話である。

 会社を定年で辞め、その後のボランティアも辞めた年寄りに、いま現在、急ぐ仕事なんてない。不急な存在である。しかし、次の世代の役に立つ知恵はまだ出せる。せめて不要(役立たず)とは言われたくないものだ。(2021年4月19日)

むらた やすお

朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。

「2021年04月」に戻る

ソーシャルメディア