MENU
2025年
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2021年3月23日
トヨタの未来都市
ジャーナリスト 村田 泰夫
トヨタ自動車が未来都市づくりに乗り出す。2021年2月23日、静岡県裾野市内で、先進技術の実証都市「ウーブン・シティ」の着工式をした。
トヨタと未来都市との取り合わせに戸惑いを感じる人がいるかもしれない。だが、自動車業界はいま、100年に一度の大変革期にある。ガソリンを燃やすエンジンで動く車が、わずか十数年後には、電気モーターで動く車に置き換わる。内燃機であるエンジンより電気モーターの方が作りやすく、参入企業が続出するから、このままでは自動車メーカーは存続の危機を迎える。次なる経営の柱を考えないといけないのだ。
そこで、トヨタが目をつけたのが「まちづくり」だった。「ウーブン」とは英語で「網の目のように織られた」という意味だそうだ。裾野市内にあったトヨタ自動車東日本・東富士工場の跡地、約70万平方メートル(東京ドーム15個分)に未来都市を建設する。豊田章一社長によると、「実証実験の場なので、どこまでいっても未完成」なのだそうだ。
そのトヨタの未来都市とは、「人、建物、車などが情報でつながる実証都市」で、最大の特徴は、町の名称にあるように「クモの巣のように張りめぐらされた道」にある。
その道には、大きく分けて3つのカテゴリーがある。1つは、スピードの速い車両専用道路で、完全自動運転かつゼロエミッションの車が走る。2つ目が、歩行者とスピードの遅い車がゆっくり走る道。3つ目が、歩行者専用の公園内にあるような歩道。さらに、地下には自動運転の物流専用の道が張りめぐらされる。自動車会社が構想する未来都市は、車の走る「道」が中心に据えられる。
もちろん町だから、高齢者や子育て世代ら数百人が暮らす区画を用意する。そこで生じる社会問題を解決するために、イノベイティブな発明家にも住んでもらう。さらに、実証都市の建設にはさまざまな業種と連携しなければならず、すでに約3000もの個人や企業からパートナーになりたいとの応募があるという。
プロジェクトのリーダーは、豊田章一社長の長男で、元タカラジェンヌと近く結婚する大輔氏。現在はシニア・バイスプレジデント(上席副社長)で、このプロジェクトを次世代に任せるという現社長の意思を感じとることができる。
本来なら、国が取り組んでもいいような大プロジェクトで、成功を祈りたいが、トヨタの未来都市構想には、ちょっと違和感を抱く。
トヨタの思い描く未来都市が、画家の真鍋博氏(1932~2000)のイラスト画を想起させるからだ。若い人は真鍋博氏を知らないかもしれないが、年配の人は思い出すだろう。毎年、新聞の元旦の別刷りの一面に、真鍋氏の描いた未来都市のイラストが載っていた。
超高層ビルが建ち並び、新幹線や高速道路が縦横に走り、そこにヘリコプターのような乗り物が空を飛び交う。1950年代後半から70年代にかけて、日本の高度成長期のことで、当時の国民の多くは「かっこいいなぁー」と、あこがれたものだ。真鍋氏が理想とした未来都市は、実は日本で実現してしまっている。タワーマンションも、新幹線や高速道路も、さらにスマートフォンすらかなりの日本人が持っている。
私たちの生活の利便性は格段に高まった。でも、それが豊かな暮らしをもたらしたかは別である。持てる者はさらに豊かになり、持たらず者はさらに貧しくなっていないか。
「K字」などという言葉さえ生まれている。「V字回復」はV字のように急速に回復することを言うが、「K字回復」とは、業績を伸ばす企業と業績の落ち込みをさらに大きくする企業とに分かれることをいう。私たちの暮らしは、まるで「K字」のように、生活水準を向上させる者と困窮度をさらに増す者とに二極分解している。
コロナ禍は、とくに母子家庭の生活を直撃したようにK字現象を加速させたが、コロナ禍は同時に、私たちに真鍋氏の描いた世界だけがあるべき未来ではないことを気づかせてくれた。リモートで仕事ができることから、都会に住む必然性が薄れた。実際に地方に住んでみると、とくに農山村での暮らしの豊かさを私たちは知った。
「なつかしい未来」という言葉がある。「なつかしい」という言葉は本来、過去につける言葉だが、私たちが求める理想郷は、実は過去の中にあったのではないかという気づきである。ずっと過去の田舎(農山村)での暮らしは、利便性は劣っていたが、ストレスのない心豊かな暮らしができていた。超高層ビルや新幹線がなくても、農村には四季折々の美しい景観があり、生態系の豊かな自然があり、地域共同体のきずなを確認するお祭りがあった。
トヨタがつくる未来都市は、高層ビルや高速道路ではなく、森や畑に囲まれ、鎮守の森のある町であってほしい。「ウーブン・シティ」の記事に、「バイオテクノロジーによる農産物の生産も手がける」とあった。農業に目を向けてくれて、ほっとする。「なつかしい未来」を実現する都市であってほしい。(2021年3月22日)
朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。