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2021年1月21日
全国民一律10万円の給付金
ジャーナリスト 村田 泰夫
新型コロナウイルス感染拡大で、新年早々、再び緊急事態宣言が11都府県に発令された。2020年4-5月に第1回目が発令されて以来、2度目である。国民のほとんどがうんざりしていることであろう。と同時に、「特別定額給付金」の2度目の支給を期待する声が、国民の一部に出ている。
特別定額給付金は、20年4月27日の時点で居住している市町村から、全国民1人当たり10万円が支払われた。思わぬ「ボーナス」に、ほくそ笑んだ人が多かっただろう。目的は「緊急事態宣言の下、見えざる敵との闘いという国難を克服しなければならないので、簡素な仕組みで迅速かつ的確に家計への支援を行う」ためだとした。であるなら、2回目の緊急事態宣言でも支給されてもいいのではないかと、期待する声が出てくるわけだ。
一律10万円の給付金は、なぜ評判が良かったのだろうか。当初、政府は「コロナ禍で収入が減って厳しい状況に置かれた世帯」に限定して30万円の「生活支援臨時交付金」を支給するつもりだった。ところが、公明党の山口代表が安倍総理(当時)に直談判し、所得制限なしの全国民一律10万円の支給となった。この、「所得制限なしの全国一律」が好評の一因ではないかと思う。
生活困窮世帯に限定した30万円支給であったら、ほとんどのサラリーマンは支給対象とならなかった。生活困窮者であっても、支給の対象である「減収した」とか「厳しい状況に置かれた世帯」という条件の設定次第では、支給対象となるかどうかわからない。
コロナ禍により、飲食店や観光地の旅館従業員はもとより、パートなどの非正規社員の中には解雇された者も少なくない。彼らにとって、1人=10万円という給付金は干天の慈雨であったに違いない。また、企業に勤める正社員は減給になることはなかったとはいえ、感染防止のため心労が重なり、1人=10万円という給付金は気持ちの上で、ありがたかった。
生活困窮者に限定しなかったことで、高所得者にも支給され、「税金のむだ使い」との批判はついて回った。それにもかかわらず、「所得制限なしの全国民一律」とした理由は、所得を制限すると、所得を把握する公正な審査に時間がかかり、支給が遅くなるからだ。
生活支援など国や自治体の施策は、所得制限をしない方が、不思議なことに社会の格差は小さくなる。新聞記者時代、私が税制について取材していたとき、こんな話を聞いたことがある。公立の保育園の保育料は、世帯主の所得によって差をつけていた。所得の少ない世帯は安く、所得の多い世帯には高くしていた。一見、合理的に見える。
ところが、実際にはベンツに乗って送り迎えしてもらっている園児の保育料は安く、一般的なサラリーマン世帯の園児の保育料が相対的に高いという現象があったそうだ。なぜなら、ベンツを乗り回している世帯は自営業者で、申告所得が少なかったからである。一方のサラリーマンの所得はガラス張りである。所得の把握は難しく、その所得を基準に行政サービスの料金に差をつけると、格差が拡大してしまいかねない。所得が正確に把握されていれば問題ないのかもしれないが、現実には、税務当局でさえ所得の把握に苦労している。
保育園の保育料はもちろん、義務教育費、医療費、消防・警察などの治安維持費などの公共サービスに、所得によって差をつけるのは、公平なようで、かえって公平さを損ないかねない。結果的に、格差を拡大してしまうことだって起きる。
また、1人一律=10万円の給付金は、いわゆる「ベーシックインカム」の議論を呼び起こした。働いていようが無職であろうが、また、高給取りであろうがなかろうが関係なく、政府がすべての国民に現金を一律支給する制度が、ベーシックインカムである。一律10万円の給付金は、1回きりだったが、それを毎月支給することにすれば、立派なベーシックインカムになる。
究極の社会保障・セーフティネットになるというので、左翼系の学者が導入を主張していた。ところが、新自由主義者で、菅首相のブレーンである竹中平蔵氏(パソナグループ会長)が導入を主張しているから、注目を浴びるようになった。国民1人=月に7万円支給する案を紹介する竹中氏によれば、「7万円で満足できなければあとは自分で稼いで、というすごくフェアな制度。生活保護も年金もいらなくなる」という。
この制度は、公平で歓迎すべき仕組みだろうか。1億2千万人の国民に毎月7万円支給すると、年間100兆円余りの財源が必要になる。これは、日本の年金や医療、介護など社会保障関係の予算額にほぼ匹敵するから、これらの社会保障をやめて自助努力に任せることにすれば、財源的には実現可能だ。つまり、毎月7万円もらえるが、そのほかの医療、介護などは自助でどうぞ、という仕組みだ。ほとんどの国民は、まっとうな医療を受けられなくなる。もちろん介護施設も利用できない。
「究極の社会保障」どころか、公助を安上がりに済ます「自助努力型社会」への移行にほかならない。そういえば、菅首相は自助を強調していた。コロナ禍の一律10万円の給付金を、社会保障切り捨てのつゆ払い役にしてはならない。(2021年1月20日)
朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。