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2020年6月23日
非生産的な「種苗法」改正論議
ジャーナリスト 村田 泰夫
種苗法の改正案が、2020年の通常国会で継続審議扱いとなった。新型コロナウイルス対策一色となった今国会で、審議時間が十分とれなかったこともあるが、世論の一部や野党に反対論があり、政府としても押し切れなかったのであろう。農林水産省は20年秋に開かれる臨時国会での成立をめざす。
種苗法といえば、似たような名称の種子法を思い出す人もいるだろう。種子法は正式には「主要農作物種子法」といい、2018年4月をもって廃止された。米、麦、大豆の3種類の作物を対象に、国や都道府県が種子を安定的に生産、確保することを義務付けていた。廃止の理由は「民間の種子開発を阻害している」ということだった。
種子法の記憶が私たちに新しいのは、「廃止反対」の声が農業界で強く、ひと騒動起きたからである。「種子法が廃止されると、バイエル(モンサント)などグローバルなアグリビジネスに日本農業が乗っ取られる」などという懸念の声が出て話題になった。今度の国会で、政府から「種苗法の改正案」が提出され、やはり農業界から反対の声が出た。種苗法は種子法とはまったく違うのに、名称が似ているためなのだろうか、反対している人たちは、種子法廃止に反対していた人と重なる。
種苗法は植物の新品種の保護を定めた法律で、知的財産法の一種だ。新しい農産物の品種を開発した人の「育成者権」を保護するもの。特許権や著作権と同じような法律と言ってもいい。農産物の優良品種の開発や品種改良を促すのがねらいだ。
種苗法改正案の趣旨はこうだ。育成者権を持つ開発者の意思に反して優良な登録品種が海外に流出しない措置を導入する。具体的に言うと、優良な登録品種の開発者が種子や苗を販売する場合、「海外に持ち出してはいけない」とか「○○県内など指定地域以外での栽培は認めない」といった制限をかけることができる。また、登録品種について、農業者は開発者の許可を得なければ種子や苗の自家増殖することはできないこととする。
こうした開発者の権利を侵害した場合には、流通の差止や損害賠償のほか、懲役や罰金などの刑罰の対象となる。
これまでは、優良な登録品種の種子や苗を正規に買った農業者などが、開発者に断りなく、海外を含めどこに持ち出すことも違法ではなかった。また、開発者から購入した種子や苗を農業者が許可なく自家増殖することもできた。
改正案が成立すると、優良な登録品種の開発者(育成権者)は、農業者に対して栽培する地域を限定できるので、海外に持ち出すことを阻止できる。また、優良な登録品種の自家増殖は開発者の許可がないとできないから、自家増殖された登録品種の海外流出にも歯止めがかけられる。もっとも、悪意をもって、こっそり海外に持ち出されたものを取り戻すことは、これまでもできなかったが、種苗法を改正してもできない。
種苗法改正案を農水省が国会に提出した背景には、わが国の農産物の優良品種の海外流出がある。たとえば、甘くて大きくて皮ごと食べられるシャインマスカットというブドウは、日本が開発したものだが、勝手に苗木が海外に流出してしまった。中国や韓国内で栽培され、「日本原産のおいしいブドウ」としてタイや香港、マレーシア、ベトナムなど東南アジア諸国の市場で、高値で売られている。
優良品種が盗まれただけではない。大量に生産、輸出するので、本家の日本産の農産物が輸出市場で競合し、売れなくなってしまう。つまり、市場を奪われてしまっているのだ。
農業者の中にも種苗法の改正に賛成する声があるのだが、種子法廃止に反対した人たちが強く反対している。「多国籍アグリ企業に登録品種が独占され、日本の農家は彼らに高い使用料を払わないと農業ができなくなる」とか、「遺伝子組み換えの種子を買わざるを得なくなって、日本農業が彼らに支配される」というのである。
農水省によれば、農産物には一般品種と登録品種があり、わが国で栽培されているのは、ほとんどが一般品種。種子の自家増殖で使用料を支払うことになるのは登録品種のみで、在来種などの一般品種は、これまで通り自家増殖できる。登録品種も日本の場合、農業試験場など公的機関が開発したものが多く、高い使用料を取られる心配はないという。
わが国の場合、遺伝子組み換え作物は安全だと判定されたものしか栽培できないし(現在、国内で生産しているのは花のみ)、農産物の生産コストに占める種子代はコメの場合で3%と少ないので、コスト高はごくわずか─と農水省はいう。「多国籍アグリ企業に日本農業が支配される」という反対論は、推論に推論を重ねたもので、論理に飛躍がありすぎる。推論を重ねた反対論は非生産的だと思うが、どうだろう。
種子法については、民間の育種を推進する措置を別途とればよく、廃止することはなかったと思うが、種苗法の改正は必要なのではないか。医薬品などの特許権や、音楽・小説などの著作権は、それがあるから、すばらしい薬や作品が生まれる。農作物も同じで、開発者の権利が守られれば優良な品種の開発を刺激し、農業者の利益にもなると思う。(2020年6月22日)
朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。