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2019年6月24日
合成肉と石油タンパク
ジャーナリスト 村田 泰夫
「石油タンパク」をご存じだろうか。今から60年ほど前の1960年代に、日本でも「未来の食料資源」として脚光を浴びた。地球上の人口は増える一方だが、農地や水は有限なので食料増産には限りがある。であるなら、石油から食料を生産すれば、食料危機は避けられる。そう信じられていた。
実際のところ、石油タンパクは商品化され、私たち日本人も口にしてきた。たとえば、化学調味料。日本人が食べている食べものの中には、微生物の力を生かしたものが少なくない。納豆や味噌、醤油などの発酵食品がそうだ。日本は発酵の研究分野では世界の先を行っていた。石油を食べる微生物つまり酵母を利用して、石油からたんぱく質を生産するメーカーが出てきたのだ。
石油由来の原料を使ったからといって、石油臭いわけではない。しかし、石油に含まれる発がん性物質などの有害物質や、石油資源の有限性などが世間で取り上げられるようになり、化学調味料メーカーは石油由来の原料を使うのをやめてしまった。
そもそも「石油」に対する当時の国民のイメージは、「先進的なもの」というものだった。「未来を拓く食料」として期待され始めた「石油タンパク」だったが、短期間のうちに表舞台から降りてしまった。
ところが最近、「合成肉」がプラスの概念でマスコミに取り上げられるようになって、ちょっぴり驚いている。「プラスの概念」とは「いいこと」という意味。「合成肉」だとか「人工肉」という言葉を見ると、私なんぞは「石油タンパク」を思い出してしまい、「いいこと」とは思えない。石油タンパクを知らない若い世代には抵抗がないのかもしれないが、1960年代のことを覚えている高齢者には「ちょっと待って」という思いが先に立ってしまう。
さらに驚いたのは、日清食品が大ヒットさせたカップヌードルの中に入っている四角い肉のようなかたまりが「謎肉」として話題になり、そのことをメーカー自身もプラスの概念として受け流し、PRの材料として使っていることだ。
日清食品によると、「謎肉の正体は大豆」。本物の肉ではないので、いわゆる「合成肉」であることは認めているが、その原料は、大豆を加工し風味付けした「謎肉」なのだという。消費者が拒否反応を示す石油由来の原料ではないので、メーカーにも消費者にも、抵抗感がないのかもしれない。
本物ではない代替食品であっても、口に入れても安全で安心して食べられるのであれば、拒否することはないと私は思っている。たとえば、「カニカマ」。カニ肉に似せて作られているけれど、実際は、魚のすり身を蒸して作ったかまぼこだ。裂けるように作られ、赤い食紅が塗られ、風味も食感も本物のカニの身のよう。商品は似せてあるけれど、かまぼこであることを明示してある。買って食べる消費者も承知の上である。「日本人が発明した画期的な練り商品だ」という人がいるが、私もそう思う。
そこで、合成肉である。カップ麺に入っている小さなサイコロ状の「謎肉」とは異なり、肉の代替食品として、米国などで堂々と商品化されている。原料は謎肉と同じように大豆。「インポッシブル・バーガー」と言うそうで、直訳すると「ありえないバーガー」。まるで牛肉を使ったハンバーグだが、実は大豆でできた合成肉で、牛肉の風味のある肉汁も滴り落ちるようにできているという。
「ありえないバーガー」に使っている合成肉について、メーカーは米国食品医薬品局(FDA)から、安全だとのお墨付きを得ているそうだが、米国の環境団体から、「遺伝子組み換え技術を使っている食品だ」として、異議を申し立てられている。合成肉を私たち消費者が抵抗なく食べるようになり、広く普及するかどうかは、ひとえに安心・安全であるかにかかっているだろう。
合成肉ではなく「培養肉」というものも開発されている。代替の食材を使って似せたものを開発するのではなく、本物の牛肉の細胞を特殊な技術で培養して人工的に肉を作るのだそうだ。脂肪分は少ないそうだが、食感は赤身の肉と変わらないとか。でもまだ開発途上で、商品化されるまでには時間がかかるという。
合成肉と呼ぼうが人工肉、培養肉と呼ぼうが、家畜を育てる方法ではなく、畜肉の開発・生産を担う人たちの言い分は、ほぼ同じだ。「家畜の飼育には、広い土地、大量の水を必要とし、特に牛の場合はそのゲップが地球温暖化の主要な一因になっている」。有限な資源を節約し、地球温暖化を防ぐためにも、合成肉や培養肉の開発には大きな意義がある─。
そうした一面は確かにあるだろう。しかし、牛などの家畜が食べる主要な餌は、牧草などの草。人間が食用とするものではない。人間が食べない草を家畜が食べて育ち、それを人間が食料としているのだ。畜産という「なりわい」は価値のある産業であると私は思う。仮に合成肉が今後、市民権を得たとしても、畜産の有用性はなくならないだろう。(2019年6月20日)
朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。