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2019年1月23日
バカげたIWCからの脱退
ジャーナリスト 村田 泰夫
日本政府は昨年12月26日、国際捕鯨取締条約からの脱退を、条約の事務局に通告した。今年6月末に国際捕鯨委員会(IWC)から正式に脱退し、7月以降、日本の領海や排他的経済水域(EEZ)で商業捕鯨を再開する予定だ。
IWCからの脱退は、国際協調を重視する外務省内には慎重論が強かった。なのに、脱退することになったのは、自民党主導で決められたからだ。自民党幹事長の二階俊博氏は、捕鯨の盛んな和歌山県太地町を選挙区に抱える。商業捕鯨再開が二階幹事長の持論で、外務省に脱退を強く働きかけていた。安倍晋三首相も南極海捕鯨の基地、山口県下関市が地盤で、熱心な商業捕鯨の再開論者だった。政治主導の決定に、外務省は抗しきれなかった。
捕鯨問題は、昔から捕鯨産業の盛衰という経済問題だけでなく、自民党の保守層のイデオロギーとも密接に絡む、センシティブな問題だった。「クジラ肉を食べるのは日本の食文化であり、動物愛護を理由とした西欧諸国から捕鯨禁止を押し付けられることは、日本文化の否定につながる」という論理である。
一部に誤解がある。日本では江戸時代よりもっと前から、和歌山県太地町、千葉県南房総市和田浦、宮城県石巻市鮎川などで沿岸捕鯨がおこなわれてきたのは事実だ。クジラ肉を食べることも地域の食文化であった。しかし、日本国民がクジラの肉を広く日常的に食べるようになったのは、戦後の食糧難で学校給食にクジラ肉が提供されるようになってからである。「日本の伝統的な食文化」というのは言い過ぎである。いずれにせよ、クジラの肉を食べる日本人を野蛮人のように西欧人から言われることに、日本の保守層はがまんならなかったのであろう。
私が現役の新聞記者の時、「公海である南極海での調査捕鯨はやめて、正々堂々と沿岸捕鯨に切り替えるべきだ」という趣旨の原稿を書いたことがある。沿岸捕鯨など地域に根付く伝統漁業は守るべきだが、豊かになった今の日本で需要のない鯨肉を捕るために、海外からの批判の強い公海上での調査捕鯨を強行し続けるのは得策ではない、と考えたからだ。戦後の最盛期、年間20万tを超えていた鯨肉の需要は、現在は3000~5000tしかない。1万t前後ある馬肉より少ないそうだ。ところが、保守的な論客やネット右翼と言われる人たちから強い反発を受けた。
日本の伝統漁業である沿岸捕鯨を再開するという日本政府の決定は、私が昔、主張していたこととほとんど同じである。違うのは、私はIWCの中で粘り強く日本の立場を主張し続けるべきだとしているのに対し、日本政府は、商業捕鯨の再開をIWCから脱退して実施するという点である。
IWCから脱退したからといって、商業捕鯨を正々堂々とできるわけではない。日本も批准している国連海洋法条約では捕鯨について「保存、管理および研究のために国際機関を通じて活動する」ことと決められている。日本政府は脱退後もオブザーバーとしてIWCに参加すれば、「国際機関を通じて活動する」ことになるとしているが、国際的に認められるかどうかわからない。
しかも、今回の決定で南極海での調査捕鯨はやめることになる(できなくなる)が、日本のこれまでの主張とどう折り合いをつけるのだろう。日本は商業捕鯨ができなくなったので調査捕鯨を始めたが、「調査を名目とした商業捕鯨ではないか」との批判を避けるため、いかに調査が重要かを強く主張してきた。実際、調査結果についても発表してきた。
その重要なはずだった調査をあっさりやめてしまう。やっぱり調査は名ばかりで、実際はこれまでも商業捕鯨をやってきたのだと非難されても反論できない。「不誠実な日本」との評判が定着しないことを願うばかりだ。
「商業捕鯨の再開が認められないから脱退する」という行動は、あのトランプ大統領と同じである。「TPP(環太平洋経済連携協定)は米国の利益にならない」と言っては離脱を宣言し、「地球温暖化対策を決めたパリ協定は米国の産業発展のじゃまになる」と言っては脱退を宣言してしまった。
戦前の1933年、「日本の傀儡である満州国を国家として認めないのは許せない」として、日本は国際連盟を脱退した。自国第一主義の主張が通らないからと言って国際機関や条約から脱退すると、その後どうなるか。過去の例を見ると、残念な結果しか思い浮かばない。いまから思えば、日本の国際連盟からの脱退は世界を敵に回した戦争への序章だった。
戦前の反省から日本は戦後、国連を中心とした国際協調主義を基本にして外交を展開してきた。自国の主張が通らないからといって国際機関から脱退することはやめにしたはずである。今回のIWCからの脱退が戦争に結びつくわけではないが、国際協調主義を基本とした日本の戦後外交の基本に背くことになる。
日本の伝統や食文化を主張するのは当然である。沿岸捕鯨の継続も海外から批判される筋合いはない。その主張はIWCにとどまっているから説得力がある。脱退してしまったら身勝手な自国第一主義に見えてしまう。脱退は短慮であった。(2019年1月21日)
朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。