MENU
2025年
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2018年8月28日
自給率をめぐる農業界の徒労感
ジャーナリスト 村田 泰夫
食料自給率について、農業界に「徒労感」が広がっている。「無力感」と言ってもいい。2017年度の日本の食料自給率は38%にとどまっている。先進国で最低の水準である。政府は2025年度に45%という目標を掲げるが、それに近づける見通しすら立たない。農業界は「食料自給率を上げるために、国内農業にもっと支援を」と声を大にして叫ぶのだが、国民の共感を得た大きなうねりにならないのだ。
先日、ネットを見ていたら、「一度は飢えの体験が必要」という農民作家氏の論考があった。食料自給率の大切さをいくら訴えても、食の大切さを理解してくれない。「百万回の説教より1回の体験である」として、その農民作家氏は「人間は生涯に一度は飢餓を体験する必要がある」と考えるようになった、と言うのである。「飢餓を体験させろ」とは、ちと乱暴な議論と思うが、農業界のいらだちがあらわれている。
農協系研究所の所長を務めたことのある東大教授ですらこう言う。「欧州では、食糧難の経験をしっかりと歴史教科書で教えているから、認識が風化せずに人々の脳裏に連綿と刻み続けられている」として、日本でも「戦中、戦後の食料難」をもっと教育現場で教えるべきだと強調する。
戦争はあってはならないことだが、仮に万が一の事態が起きても、食料を安定的に国民に供給することは、国家の第一の責務である。そのためには、食料の国内生産で、国内消費のどれだけまかなえるかという食料自給率を多くしなければならない。海外からの食料輸入が止まったとしても、すべての食料を国内生産でまかなえる100%が理想である。100%とは言わなくも、自給率の向上に反対する人はいないだろう。
自給率の現実はどうか。農水省が8月に発表した2017年度のカロリーベースの自給率は2年連続の38%だった。生産額ベースの自給率は2ポイント下がって65%だった。カロリーベースの自給率を子細に分析してみると、小麦とてん菜の単収が増えたことで自給率を0.6ポイント上げたが、食料消費に占めるコメの割合が減ったことで自給率を0.2ポイント下げたうえ、生乳生産量の減少などで畜産物が0.2ポイント押し下げる要因となった。
「自給率が38%ということは、輸入が止まったら62%の人が飢える」。そう理解したとしたら、それは間違いだ。カロリーベースの自給率とは、1人1日当たりの供給熱量2444kcalのうち、国産の供給熱量は925kcalしかないため、2017年は38%だったのである。しかし、日々食べている2444kcalの中には、輸入された高級食材も入っている。今日の私たちの飽食の食生活を前提とした自給率なのである。輸入が止まったとしても、多くの人が飢えて死ぬわけではない。
食料輸入が完全に止まった場合、日本国民は餓死しないで済むのだろうか。農水省は「食料自給力指標」というものを計算して発表している。花など食用ではない作物を栽培している農地や、今は荒れているけれど再生可能な農地に、カロリーの高いコメや小麦、大豆、それにイモ類を栽培した場合、どれだけ生産できるか試算したものである。
すると、一定程度の栄養バランスを考慮し、1人1日当たり必要エネルギー量2145kcalに対して、主要穀物(コメ、小麦、大豆)を中心に最大限作付けると自給率は66%となる。また、イモ類を中心に作付けると自給率は108%となり、餓死しないで済む。もちろんその場合、肉や魚は数日に1回しか食べられず、コメとイモを中心とした食事だから、カロリーをまかなえたとしても、極めて貧しい食生活となる。
また、よくこんなことが言われる。「北朝鮮の食料自給率は100%だが、餓死者が出ている」。食料を輸入するお金がないから、国内生産が冷害などの災害に襲われると餓死者が出てしまうのだ。自給率38%の日本で飽食をむさぼり、自給率100%の北朝鮮で餓死者が出る。つまり、自給率の数字を政策目標にすることのナンセンスさをあらわしている話であろう。わが国でも、現状で花を栽培している農家にイモを植えさせる政策をとれば自給率は上がる。でも、その政策にどんな意味があるというのだろうか。自給率の向上を数値目標にしたら、自給率に役立たない花栽培農家は「国賊」になってしまう。
「自給率向上のために農業支援を」と訴える農業団体は、コメ価格を上げることに躍起である。コメ価格の上昇はコメの消費を抑え、自給率の下落につながる。自給率の向上を訴えるのなら、コメの値段を下げて消費を拡大すればいいのに、なぜ反対の動きをするのか、消費者には農業団体の意図が理解できない。
欧米では国民の農業への理解が進んでいるのに、なぜ日本では広がらないのか。徒労感や無力感が農業界に広がっているのだが、自業自得の側面もある。欧米では農産物価格は市場の動向に委ねて下げているので消費者はメリットを感じており、それによって影響を受ける国内農業を維持するため、財政で支援する保護農政を国民は支持している。一方、日本では、農業団体に配慮して、政府は市場を開放せず農産物価格を高止まりさせ、消費者の大きな負担で支えているから、さらに財政負担で支援する必要性について、国民はイエスと言わないのではないか。農業界は徒労感や無力感に陥る前に、欧米と日本の農政の違いがどこから来ているか、改めて認識する必要があろう。(2018年8月28日)
朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。