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2018年4月27日
若者を鍛える農山村の教育力
ジャーナリスト 村田 泰夫
総務省がまとめた2017(平成29)年の「地域おこし協力隊」の隊員数は、全国997自治体の4830人にのぼることが明らかになった。発足当初の2009年は31自治体の89人だったから、ものすごい増え方である。隊員の約4割が女性であり、隊員の約7割が20歳代と30歳代である。年間5000人近い若者が、地域おこしのために地方の自治体に派遣されることは喜ばしい。
地域おこし協力隊とは、都市地域に住む若者が過疎地域などの農山村に生活や活動の拠点を移し、地方自治体の企画する地域振興事業などに携わる(手助けする)事業のことだ。隊員1人当たり年間400万円を上限とした経費は、国が特別交付税で手当てする。
よそ者である若い隊員の存在は、過疎地域の刺激となり、地域活性化のきっかけになることは知られている。一方、派遣された若者たちにとっても、農山村の人々との交流を通して、さまざまなことを学ぶ。農山村には若者たちを鍛える教育力があるのだ。
最近の若者は、コミュニケーション能力に劣る者が少なくないという。「ナイーブな若者が多い」ということかもしれない。いわゆる「いい子」なのだ。若くして地域おこし協力隊に応募する動機はさまざまだが、就職試験に失敗したとか、就職先が自分の求める道とは違うとして退職した者もいる。一言でいえば、都会に「居場所」を見つけられなかったのであろう。ところが、農山村には「居場所と出番のある社会」がある。
狭い農地や棚田を耕すお年寄りたちは、過酷な農作業なのに元気である。生き生きとしているお年寄りさえいる。都会に出ていった息子や娘から「便利な街でいっしょに暮らそう」と誘われても、断る。地域のみんなに支えられているという安心感と居心地のよさは、いくらわが子からの誘いだとはいえ、コミュニティのない町で暮らすむなしさに比べ、ずっといいからではないか。
農業は集落を形成する人と人とのつながりに基づく共同作業を必要とするから、コミュニティの形成は不可欠となる。コミュニティでは、構成員の全員に何らかの役割が与えられる。田んぼに水を引く水路の管理や道普請、それに神社のお祭りで、おのずとやるべき仕事がある。コミュニティの中では役に立たない人間だとか、「居場所のない人間」「役割のない人間」など、いないのである。
都会からやってきた若者たちにも、居場所と役割が与えられる。居場所と出番のある場に身を委ねた時ほど居心地がいいことはない。地域のみんなに支えられ、また、みずからコミュニティの一員として、地域を支えている充実感に浸れるからである。
総務省によると、おおむね3年後の任期終了後、隊員の約6割が派遣された同じ地域に定住する。過疎地と言われる農山村の、どこに魅力があるのだろう。最初は派遣先の田舎に定住することなんて、まったく考えていなかった協力隊の隊員が、なぜ定住してしまうのか。人それぞれで、百人百様の理由があるだろうが、受入市町村の担当者が共通してあげる理由は、「存在感を認められるから」だ。
都会では居場所と出番のない若者が、田舎では温かい心もちの地域の人たちから、関心をもたれ、かけがえのない人間として扱われる。それが「存在感」を認められるということだ。町を歩いていれば声をかけてくれる。野菜が採れたといっては分けてくれる。めしを食っていけと誘われる。人と人との関係が濃いのだ。人口の多い都会では孤立して生活していた若者が、過疎の農山村では地域のみんなから大事にされ、支えながら暮らしていける幸せ感に浸ることができる。
現在では、地縁・血縁型の地域共同体は、もはや失われつつある。昔ながらの共同体がいいわけではない。めざすべき新しい共同体は、子育て、介護などのボランティア活動、地域のお祭りやスポーツなどの活動を通して、「地域の人は誰も知っている」という信頼・安心のネットワークである。
地域の共同体では、一人ひとりに期待される役割があるから、おのずからやるべき仕事がある。一人ひとりがいなくてはならない「かけがえのない人間」である。一方、共同体としてのまとまりのない都会では、個人はばらばらだから何もしなくてもいい。しがらみがなく自由であるとも言えるが、「機械の部品」のように取り換えのきく存在でしかない。何の役割も与えられず、居場所さえないということでもある。
「自然と共生できる」ことも、農山村の魅力である。自然とのかかわりは農山村では濃い。山に沈む夕日にうっとりする。田畑を朝もやがゆっくり流れるさまに荘厳さを感じる。朝夕の冷気。清水の流れる音。日常の生活の中で、自然に生かされていることを五感で受け止めることができる。
田畑を耕すことは農産物を収穫することであり、山で働くことは木を育てることである。同時にすばらしい自然を次の世代に伝えていくことでもある。自然に働きかけることで生活の糧を得、その働きが自然や環境を守ることにつながる。こんな誇りのもてる、生きがいのある仕事は都会にはない。(2018年4月26日)
朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。