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2017年12月26日
広がる国産チーズの可能性
ジャーナリスト 村田 泰夫
少し前の話だが、茨城県内の小中学校で6月下旬、学校給食で出た牛乳を飲んだ3800人もの児童・生徒が異味、異臭を訴える「事件」が起きた。「消毒臭がする」とか「水っぽい」などの声が上がったが、調べてみたら衛生上の問題は検出されなかった。詳細な原因はわからず、乳業メーカーがいつも原料として使っていたものと違う生乳を使ったためらしく、たまにある「風味の違い」ということで落ち着いたようだ。
牛乳というものは工場で生産される加工食品ではなく農産物であることを、改めて認識させられる出来事だったのではないだろうか。おコメや野菜が栽培された土地によって味や風味が異なるように、牛乳の味も放牧される場所によって違うのが当たり前なのである。
乳牛は草食動物であり、人間が食用にできない草などを餌にして生乳を出してくれる。乳用牛の主食は、生の青い牧草や干し草、サイレージである。サイレージとは牧草やトウモロコシを乳酸発酵させたもので、人間の食べ物にたとえれば、いわば貯蔵性の高い漬物である。人間の食べ物でおかずに相当するのが濃厚飼料である。トウモロコシや大豆などの穀物、砂糖ダイコン(ビート)の絞りかすなど、たんぱく質や炭水化物、脂肪など豊富な栄養を含むので濃厚飼料と呼ばれる。
もう数十年前になるが、イタリアのパルミジャーノ・レッジャーノという世界的に有名なチーズの産地を見に行ったことがある。硬いチーズだが、芳醇な香りと風味は、他のどこでも作ることはできない。イタリア北部の小さな村にある工場を見せてもらったら、生産工程は極めて単純であった。生乳を固めて太鼓型にし、塩の入ったプールのような大きな桶につけ込むだけである。
なぜ、あの芳醇な香りと風味はできるのだろう。不思議に思って聞いてみた。「この地域の牧草を食べた牛から搾った生乳しか使っていないから」。担当者が誇らしげに語ってくれたことを覚えている。
生乳から作られる牛乳の風味は、餌によって違ってくるらしい。餌の中でも、かなりの比重で牧草の違いが風味の違いをもたらす。学校給食で牛乳を飲んだ児童や生徒が感じた「異臭」は、「風味」とは似て非なるもので、いただけない。しかし、生乳は、餌の牧草によって風味が異なる農産物であることを再認識したい。
欧州連合(EU)との経済連携協定(EPA)対策の一環として、政府は国産チーズの高品質化に奨励金を支払うことにした。日欧EPAが発効すると、イタリア、フランスなどから、ブランド力の強い高級チーズが国内市場にどっと入るようになる。「憧れの高級チーズが、これまでより安く手に入る」。国内に競合するブランドチーズはなく、消費者にとっては朗報である。
日欧EPAによるチーズ関税の引き下げだけで、国内チーズの価格が下がり、国内生産額は最大82億円減ると農水省は試算している。一方で環太平洋経済連携協定(TPP11)が発効すると、ニュージーランドやオーストラリアから安い大量のチーズが輸入される。国産チーズがどうなってしまうのか心配になるが、乳製品の中でもチーズの国内需要の伸びは底堅い。何らかの手を打てば、やっていけるはずである。
いろいろな生き残り策の中で、光明の見える道がある。それが高品質化である。生乳の品質向上には、たんぱく質や脂肪分を充実させる必要がある。一定の乳質基準を満たした酪農家の生産する生乳のうちチーズ向けに、農水省は来年度から1kg当たり12円を交付する。さらに、みずからチーズを生産したり、チーズ工房に販売したりする生産者には、1kg当たり3円を上乗せする。そのほか、チーズ工房などの設備投資に助成したり、チーズ作りの研修や国際コンテストへの参加を支援したりする。
国産ナチュラルチーズの生産量は、2013年度に約5万t近くに達するなど、記録を更新し続けている。国内のチーズ工房の数も、10年の150カ所から14年には240カ所に増え続けている。国産チーズの品質や評価も着実に向上している。
実は、国産のチーズは、海外のコンテストで上位入賞を果たしている。17年6月にフランス・トゥールで開かれたチーズ国際コンクールに日本産チーズの28品目が出品されたが、その中から特に優れているスーパーゴールドに2品目が選ばれるなど、10品目が入賞した。国内でもチーズコンテストが開かれているが、「回を追うごとに、品質が向上している」という。
政府の規制改革推進会議の主導で、生乳流通の抜本改革が実施される。チーズなど乳製品に加工される原料乳は、農協などが作っている指定団体に出荷しないと補給金がもらえなかったが、今後は指定団体以外に出荷しても補給金がもらえるようになった。指定団体は酪農家から集めた生乳の差別化を考えてこなかったが、今後は個性のある生乳を生産する酪農家にも光が当たることになる。つまり、高品質なチーズを作る集乳業者も活躍しやすくなるわけで、日本酪農の可能性が広がる。(2017年12月25日)
朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。