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2016年5月23日
西川公也氏の『TPPの真実』
ジャーナリスト 村田 泰夫
西川公也氏の書いた『TPPの真実』という本が話題を集めている。衆議院議員である西川氏は、農業界では知らない人がいない自民党農林族の大物。元・自民党TPP対策委員長で、現在は衆議院TPP特別委員会の委員長。その西川氏が書いた475ページの大作で、出版元は「中央公論新社」なのだが、実はまだ発刊されていない。その未刊行の『TPPの真実』が、今の国会会期中でのTPPの国会承認をストップさせてしまった。
民進党を中心とする野党が「交渉経過は秘密事項で国民に明らかにできないとしているのに、TPP特別委員長である西川氏が本の中で秘密を暴露しているのはけしからん」と激しく追及し、それに政府側が対応できなかったからだ。野党は「西川氏に秘密を教えた公務員がいるはずで、その公務員を罰するべきだ」とも追及した。
そんなに秘密が書かれている本なら、ぜひとも読まなくてはならない。未刊行なのだが、ほぼ完成版のゲラを民進党がどこからか入手、それが出回っていると聞いたので、知人を介して私も入手した。本の表題は『TPP(環太平洋経済連携協定)の真実─壮大な協定をまとめあげた男たち─』。筆者名は「衆議院議員 西川公也」。発行日は「2016年4月10日」となっていた。
聞くところによると、西川氏の政治資金パーティーで参会者に配る予定だったとか。しかし、政府筋から「国会審議に支障が出る」として待ったがかかり、刊行がストップされているという。通販サイトのアマゾンは、販売の「予約」を受け始めていたが、国会で問題になってから中止した。
そんな「話題作」ならと、心躍りながら読み始めてみたが、結論から言うと、がっかりだった。「秘密」や「秘話」といわれる話やデータが皆無だったからだ。日本がTPP交渉に参加を認められた2013(平成25)年7月のコタキナバル(マレーシア)会合から、2015(平成27)年10月のアトランタ(米国)会合での大筋合意まで2年余りの交渉を中心に、さまざまないきさつを書き連ねている。「へー、そんなことがあったの」というエピソードは盛り込まれているが、交渉のやりとりなど、機微にわたることは一切書かれていない。
西川氏は、そのあたりをこう書いている。「交渉経過について、私は『詳しく知らない』という立場を守り続けたのです。(略)情報は、ほんの一部だけ知った人は内容を話しますが、知りすぎたら怖くて話せないものです。私から漏れた情報は一切ありません」
「私は知りすぎていた」と西川氏は言っているのだ。しかし、TPP交渉にかかわっていた人から、こんな話を聞いたことがある。「政治家には失礼のないように応対してきたが、口が軽いので、大事なことは話していない」
西川氏が秘密を教えてもらっていたのかどうか、私にはわからない。実は西川氏自身、自分がないがしろにされていると疑心暗鬼になった場面もあったようだ。「農水官僚と一体となって動く政治家を退場させるクーデターを企てる勢力があった」という。こうした国内の一部の動きに対し西川氏は、こう脅している。「私を外すことに成功しても、農林水産業界は大混乱に陥り、かえって合意が長引いたかもしれません。くれぐれも甘く見るな、と申し伝えておきます」
読後感を一言でいえば、まるでTPP交渉は自分がまとめた、とでも言いたそうな内容で、鼻白む思いが残る。「自分は閣僚でもない一介の国会議員にすぎない」が、「最後の最後まで、交渉上の切り札を持っていました」と胸を張る。また、与党・自民党のTPP対策委員長として議員外交を展開し、合意に向け大きな役割を果たしたというのだ。
私も議員外交の大切さは否定しない。TPP交渉の最中の2014(平成26)年4月に合意した日豪EPA(経済連携協定)交渉で、西川議員の果たした役割が大きかったのは事実だろう。米国とオーストラリアが日本の牛肉市場をめぐってライバル関係にあることに注目、日豪EPA協定の合意を急ぐことで、TPP交渉で強気一点張りの米国を牽制しようとした戦略は正しい。豪州のロブ貿易投資相の信頼を得ていた西川氏の、本音をぶつけ合う話し合いのスタイルが成功したといえるだろう。
この本で気になるのは、取材するマスコミ各社の記者の実名を挙げて、いかに自分が記者たちに人気があったかと誇らしげに書いている部分だ。TPP対策委員長の後に農林水産大臣に就任した時、記者たちから「小象の置物」の贈り物をもらったという。また、農水相を辞めて自民党農林水産戦略調査会長に就任した時には、記者たち50人が東京・赤坂の居酒屋でお祝いの会を開いてくれたそうで、その居酒屋での集合写真が載っている。
名前をあげられたり写真を掲載されたりした記者は、さぞかし迷惑なことだろう。マスコミ各社は、TPP交渉の行方を探ろうと枢要な人物に的を絞って取材する。口の堅い官僚よりも、どちらかというと軽口をたたく政治家が重要な取材先だ。政治取材の世界では。重要人物をマークする記者のことを「番記者」と呼ぶ。自民党のTPP対策委員長である西川公也氏にも、マスコミ各社は番記者を張り付けた。それを人気があったと受け取るのは勘違いである。(2016年5月19日)
朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。