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ぐるり農政【108】

2016年3月25日

たった1カ月で崩壊した「岩盤」

ジャーナリスト 村田 泰夫


 農業分野での「岩盤」といわれた「企業による農地取得禁止」が、わずか1カ月で崩れてしまった。アベノミクスを掲げる安倍晋三政権の官邸主導による強引な規制緩和だが、こんなに大事な政策変更に当たって、農政をつかさどるはずの農林水産省はカヤの外だった。農水省の存在そのものが問われる「事件」である。


murata_colum108_1.jpg「事件」は、平成28(2016)年2月5日に起きた。議長である安倍首相も出席し、官邸で開かれた第19回国家戦略特区諮問会議でのことだ。国家戦略特区担当の石破茂大臣が、「規制改革事項の追加について」という議題を説明した。医療、雇用、観光など幅広い規制改革のテーマが並んでいたが、その中に「農業生産法人の出資・事業要件の緩和」「農業の担い手となる外国人材の就労解禁」「生産緑地地区における農家レストランの設置」という農水省関係のテーマもあった。だが、この会合に農林水産大臣は呼ばれていなかった。「農林族」と言われる自民党の農業関係議員も、事前には知らされていなかったという。


 この日の主要なテーマである農業生産法人の出資要件の緩和、要するに企業による農地取得について、会議に出席した兵庫県養父市長の広瀬栄氏から要請があった。

 4月から施行された改正農地法によって、企業が農業生産法人(4月から農地所有適格法人と呼ばれる)に出資できる比率は、それまでの「25%以下」から「50%未満」に緩和されたばかり。でも50%未満だから、企業が農地を取得・保有することにはならない。この規制をさらに緩和し、国家戦略特区では「企業の出資比率を50%以上でも可」とするように、養父市長は要請したのである。

 その理由として、①企業の出資比率を大きくすることで、農家の資金負担が大きくならず、事業拡大に回す資金的余裕ができる、②従来の賃貸(リース)方式では、いつ農地の返済を求められるか企業は心配で長期的、安定的な農業投資をすることができないことなどを挙げた。


murata_colum108_2.jpg 企業が農地を取得することには、さまざまな懸念の声がある。「産業廃棄物の置き場になるのではないか」や、「もうからなければ企業は経営から撤退し、耕作放棄地にしてしまう」といった懸念である。こうした懸念を払拭するため、養父市長は全国初の「農地保全条例」を昨年9月に制定したことなどを説明した。養父市の条例は─企業が農地を取得する際、10aにつき15万円の積立金を市が徴収し、もし農地が適正に利用されない場合には積立金を使い、企業に代わって市が農地を保全管理するというもの。


 会議では、養父市長の要請に賛同する意見が民間の有識者議員から出た。竹中平蔵慶応大教授は、こう語った。「農業生産法人の問題こそが岩盤中の岩盤、ザ・岩盤だと思います。このザ・岩盤の背後にはザ・抵抗勢力とザ・既得権益者がいる。(略)これを突破すれば、非常に大きな道が開かれていく。ここは正念場だと思います。この国会で法律改正ができますように、総理のリーダーシップを是非お願いしたい」

 議長である安倍首相は、以下のように述べて会議を締めくくった。「岩盤規制全般について、国家戦略特区によって改革の突破口を開く。(略)企業は農地を荒らすのではないかという地域の懸念を払拭するため、企業の負担で原状回復できる仕組みを(養父市は)設けた。規制緩和措置とセットで懸念を払拭するための工夫をすれば、また一歩、改革は進みます。まずは特区内で、効果を検証していきます」


 首相が「まず特区内で検証する」と明言してしまった。農水相のいないところで、企業による農地取得の道が開かれた瞬間である。あわてたのは、農水省であり農林族である。国家戦略特区の会議で企業による農地取得問題が議題になることは、農水省の幹部は直前になって知ったが、首相がここまで踏み込む発言をするとは知らなかった。企業の農地取得に抵抗する農業団体や自民党の農林族は怒りを募らせた。

 農政を担当する農水省と、国家戦略特区の事務局である内閣府との事前の調整が不十分だったのが騒ぎの原因だが、別の見方もある。事前に調整すれば、絶対反対の農水省の抵抗を受けて岩盤規制緩和の突破口は開けない。そう判断した内閣府の幹部が「農水省外し」のシナリオを書いたのではないかとの見方である。最高権力者である安倍首相の内諾を得ておけば、強行できると思ったのかもしれない。


murata_colum108_3.jpg 「農地問題は農政にとって憲法のようなもの。われわれや農水省との調整なしに農地取得の緩和など許されない」。怒った農林族の逆襲が始まった。しかし、首相が「特区内で検証する」と公言したことは重く、押し返すにしても限界があった。自民党農林族のドンである西川公也農林水産戦略調査会長らが奔走した結果、首相の顔を立てて養父市での農地取得は認めるが、あくまでも養父市に限定した特例で、他の地域では認めない「封じ込め作戦」に転じることにした。


 この問題が火を噴いてから1カ月後の3月2日、第20回国家戦略特区諮問会議で以下のことが決まった。この会合には、臨時議員として森山裕農水相も出席し、企業による農地取得の特例を容認した。決定事項のうち、「企業による農地取得の特例」についての文言は以下の通りである。


 「喫緊の課題である担い手不足や耕作放棄地等の解消を図ろうとする国家戦略特区において、農地を取得して農業経営を行おうとする「農地所有適格法人(旧農業生産法人)以外の法人」について、地方自治体を通じた農地の取得や農地の不適正な利用の際の当該自治体への移転など、一定の要件を満たす場合には、農地の取得を認める特例を、今後5年間の時限措置として設ける」


 この決定文言には解説が必要である。まず、戦略特区のどこでも対象というわけではなく、「担い手が不足しているとか耕作放棄地が目立っている地区」だけ。事実上、養父市に限定したと農水省は説明している。また、自治体に原状回復の責任を負わせることにした。農地の売買には自治体が介在する。50a以上の取得には地方議会の議決が必要。自治体はいったん農地を買い入れたうえで、企業に売り渡す。農地が適正に利用されない場合には自治体が買い戻す条件をつける。これなら原状回復が見込めると考えた。しかも、特例は5年間の時限措置とし、あくまでも「試験的な事業」(森山農水相)と印象づけた。


murata_colum108_4.jpg 農林族は、養父市限定の「封じ込め」に成功し、全国展開の芽を摘んだと言っている。それは今後の展開次第でわからない。3月2日の戦略特区諮問会議で、有識者議員からは高揚した発言が続いた。農地取得の特例について、八田達夫アジア成長研究所所長は「締めくくりの大改革」と高く評価した。竹中平蔵氏は「歴史に残る改革と言っても過言ではない」「改革は小事から生まれる」と、今回の限定的な規制緩和がいずれ全国展開することを期待する口ぶりだった。


 賃貸(リース)方式で企業に農業への参入を認めた2003年の「特定法人貸付事業」でも、当初は「構造改革特区」での限定的な企業参入のはずだったが、2年後には全国展開されることになった。そして、2009年の農地法改正によるリース方式での企業参入の全面解禁につながった。リース方式の企業参入の弊害を指摘する声は今やなく、重要な農業の担い手として企業は地域では歓迎されている。農業団体も異を唱えていない。


 今回の企業による農地取得が全国展開されるかどうかは、今後の事例次第としかいいようがない。弊害がなければ、今回の特例が企業による全面的な農地取得の突破口になったと、後日位置づけられるかもしれない。(2016年3月24日)

むらた やすお

朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。

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