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ぐるり農政【50】

2011年7月20日

生産者に不可欠な米の先物市場

                      ジャーナリスト 村田 泰夫


 米の先物取引市場が8月、東京と大阪で開設されることになった。国民の主食である米の取引価格が国家統制で公定になって、先物市場が1939年に閉鎖されてから、実に72年ぶりの再開である。農林水産省が7月1日、申請していた東京穀物商品取引所(東穀)と関西商品取引所に対して試験上場を認可し、両取引所は8月8日に先物取引を始めると発表した。米の先物取引に、価格形成の主導権を奪われる農協は強く反発しているが、米の価格形成が自由になったいま、価格の乱高下のリスクをヘッジ(保険つなぎ)できる先物取引の機能は、農協を含む生産者にとって不可欠な存在といえるのではないか。


murata_colum50_1.jpg 米の先物取引とは、どういうものかというと――。田植えをする5月の時点で、米の生産者価格が1俵(60kg)=1万3千円だったのが、収穫時期の9月になったら1万1千円に下がっていれば、生産者は2千円の価格下落リスクを抱えることになる。先物取引とは、種をまいたり田植えをする春の時点で、数カ月先の収穫時に引き渡す農産物の価格を決めておくことである。仮に4カ月先の先物価格が1万2千円なら、実際に収穫時の価格がいくら下がろうが、生産者は1万2千円で売ることができる。先物取引市場の開設は、実は生産者にとってメリットのある仕組みなのである。


 米の卸・小売業者にとっても、米の価格変動リスクを先物取引で回避することができる。卸業者が生産者や農協から米を仕入れて販売する段階になって小売価格が下落していれば、競争上価格を下げざるを得なくなって、損失をこうむる。先物取引で数カ月先の取引価格を決めておけば、損失を避けることができる。


 しかしながら、米の先物取引について、米の流通量の約6割を担っている農協グループは強く反発している。全国農協中央会(全中)の茂木守会長は「大震災で東北の米産地が苦しんでいる中、主食をマネーゲームの対象とすることに、大きな憤りを感じる」という談話を発表した。また、農協グループは先物取引に参加しないことを表明した。


 米の先物取引の開始に農協が反対する理由は、次の通りである。①米については、民主党政権になっても、主食用米の生産量を抑制する生産調整を実施し、国が生産調整への参加を農家に呼びかけているのに、先物取引を認可すれば政府の米政策との整合性がとれない、②市場原理を原則とする先物取引は、米の需給の安定を趣旨とする戸別所得補償制度と矛盾する、③東日本大震災と原発事故で失意と不安の中にある東北の米農家の心情を逆なでするだけでなく、投機的なマネーゲームの対象となることで、主食である米の価格の乱高下を招く、というものである。農協が反発する理由の中には、米の価格決定の主導権を奪われたくないという本音も隠されていよう。


murata_colum50_2.jpg 東穀などは2005年にも米の先物取引の試験上場を申請したが、その時は「米の生産調整政策との整合性がとれない」という理由で、農水省から却下された。農協が反対理由の①であげている「生産調整との整合性」とは、どういうことであろうか。戸別所得補償制度では、生産調整に参加すれば、10aにつき1万5千円の交付金と生産者米価の下落相当分の補填が受けられるが、参加しない農家はペナルティーを課せられないものの、価格下落リスクを負うことになる。ところが、先物市場ができると、生産調整に参加しなくても価格下落リスクを回避できるため、生産調整がしり抜けになる――というのが、農協の主張であり、農水省が6年前に却下した理由でもあった。


 これに対し、農水省は今回次のような判断をした。生産調整は継続しているものの、参加するか否かは生産者の経営判断による選択制に移行しており、先物市場ができたからといって、米の生産・流通に著しい支障が出るとは想定できない。米の需給の安定は政府として望むところであるが、米取引の客観的な指標価格が存在しない中で、先物取引が始まれば、生産者の取引の目安となる可能性がある。現物取引の価格指標の役割を果たしていた全国米穀取引・価格形成センターが今年3月に廃止されたこともあり、農水省としては、むしろ先物取引の開設を願っていたふしがある。


 先物市場ができると、米の生産調整はしり抜けになるのだろうか。10aあたり1万5千円(価格下落の補填を加えると約3万円)の交付金支給というメリット措置がない場合は、生産調整に参加しない農家が出てくることも考えられた。しかし、戸別所得補償制度が実施されたいま、状況は大きく変わった。価格下落リスクは先物市場で回避できるとはいえ、先物市場は米の価格水準を補償するものではないから、価格水準そのものを補償してくれる戸別所得補償制度の恩典を返上までして、生産調整から抜ける農家が続出するとは思えない。生産調整に参加したうえ、作付時と収穫時との価格下落リスクを先物市場で回避しておくことさえできるから、生産調整に大きな影響を与えるとは思えない。実際はどうなるのか、試験上場期間の2年間に検証すべきテーマであろう。


murata_colum50_3.jpg 一般の人が懸念することは、先物市場への投機資金の流入である。トウモロコシや大豆、小麦などの国際穀物相場は、投機資金の流入で乱高下するのが常である。「日本人の主食であるお米の相場が乱高下することになっては困る」という懸念は、もっともである。といって、投機資金を完全に排除することはできない。原油価格も円ドル相場も、また株式市場ですら、1円でもいいからもうけようという投機資金で成り立っている。1ドル=80円という為替相場は、世界中の投機資金が集まり、その売り買いによってついた相場である。この相場が日本経済を左右しているが、何のじゃまが入らない自由で公正な取引によって成り立っている相場だからこそ、日本と米国との経済の不均衡が是正されているともいえるのである。中国のように、為替相場に政府が介入していると、中国元と米ドルとの交換比率(為替相場)は安定しているように見えるが、中国と米国との経済の不均衡が大きくなる弊害が出てくる。


 相場の乱高下は困るが、といって投機資金を排除できない。これが資本主義社会の自由な市場の「原罪」である。このため、米の先物取引の試験上場に際して、監督官庁である農水省は、1日の価格変動を一定の幅に抑える「値幅制限」を設けたり、あまりにも不自然な取引が見られた場合には、「取引停止」を命じられる措置を導入した。どのような投機の弊害が出るかは、実際の取引を見なければわからない。(2011年7月19日)

むらた やすお

朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。

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