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ぐるり農政【47】

2011年4月21日

風評被害は消費者が無知だからか

                      ジャーナリスト 村田 泰夫


 東日本大震災の最大の被害は何であろうか。人的被害である。4月17日現在で、わかっているだけでも死者は1万3800人を超える。惨状は数で表せても、死者の悲しみは表しきれない。一人ひとりの死は、父や母であり子どもであり、恋人や友人の悲しみだからである。人の命をお金であがなうことはできない。そのことを承知の上で、農業という限られた分野の被害について、改めて考えてみよう。

 地震と津波による農業関係の被害は、農業用水路が壊れたり、水田が海水につかったりした被害だが、福島県の農業者にとっては「地震、津波、原発事故それに風評被害の四重苦」である。今回の大地震の被害で特筆すべきことは、東京電力福島第一原子力発電所の放射能漏れによる被害の大きさである。


 地震と津波で原発の冷却装置が壊れ、高レベルの放射性物質が大気中と海に放出された被害の全貌は、いまもってわからない。現在進行中であり、日々増えているからである。放出された放射性物質が落下した農地で、高いレベルの放射性物質が検出され、そこで耕作できなくなる被害は「直接的被害」といえよう。

 原発事故の損害賠償の目安を定める原子力損害賠償紛争審査会に農水省が出した資料によると、出荷制限の対象となった野菜や原乳(生乳)の生産額は8万4000戸で年間671億円、福島、茨城、千葉の3県の漁業者が出漁できなかったことによる年間生産額が597億円、原発から30km圏内の水田が約1万5000戸で約1万6000ha、原発から30km圏内で飼われている牛が約600戸で約1万4000頭(この中には餓死している牛もいる)。


 さらにやっかいな被害が、原発事故による「風評被害」である。福島県農協中央会は4月15日、東京電力に対して「農業者の経済的損失と心痛ははかりしれない」として、賠償を求めると同時に、当面の生活資金にも困っている農業者のために、早急な仮払いを求めた。
 東電は、原発事故の被災者に、1世帯当たり100万円の損害賠償仮払金を4月中に支払う予定だ。政府は「風評被害も損賠賠償の対象とすべきだ」との立場だが、東電の支払う仮払金の中には、風評被害は含まれない。


 そもそも「風評被害」とは、どういうことを意味するのだろうか。災害や事故が起きて、そのことによって製品が劣化した時、直接関係ない製品も、不買行動などの被害を受けることである。または「事実ではないのに、関連づけられて被害をこうむること」ということだ。1996年、大阪府堺市で学校給食によるO-157集団感染で学童3人が死亡した事件で、「原因はカイワレ大根が疑わしい」と厚生省が公表、カイワレがさっぱり売れなくなって、カイワレ業界が大きな打撃を受けた事件が、近年私たちが風評被害を認識した出来事であった。


 今回の福島第一原発事故では、原子力発電所から大気中に放出された放射性物質が、空から降ってきて畑のホウレンソウなどに付着し、食品衛生法に基づく暫定規制値を超えた葉物野菜が見つかったのがきっかけである。政府は汚染された一部産地のホウレンソウ、カキナ(ナバナ)や原乳(生乳)が市場に出回らないように、出荷規制を実施した(その後、一部地域を除いて解除)。だから、「市場に出回っている野菜や牛乳はすべて安全である」と政府は強調した。にもかかわらず、福島県産や茨城県産であるという理由だけで、放射性物質の検出されない野菜も、すべて売れなくなってしまった。これが風評被害である。


 うわさに近い「風評」を弁護するつもりはない。根拠のない買い控えは、やめるべきである。だが、「風評被害はけしからん」とテレビなどでコメントする識者の言葉の裏には、「あれだけ専門家が繰り返し安全だといっているのに、わけもなく放射能汚染の不安に踊らされ、買い控える無知な消費者」という、消費者を論難する思いがあるようにみえる。卸市場では、仲買人が特定の産地の野菜や魚を敬遠する動きがあるという。「消費者が買おうとしないものを仕入れてもしょうがない」と流通業者は判断するからである。これも「風評被害」といわれる。農水省は、全国の市場関係者に対し「適正な取引」を求める文書を出した。

 しかし、「風評」だと指摘される消費者や流通業者の行動を、「無知による愚かな行動」だと斬って捨てることができるのだろうか。うわさに付和雷同して過剰に反応した行動もあろうが、放射能汚染という「実害」をおそれる「まっとうな防衛行動」といえる部分もあるのではないか。


 福島県が県内の野菜などの農産物を検査し、一部の産地のホウレンソウなどから、規制値を超える放射性物質が検出された。ほかの農産物からは、まったく検出されなかったか、検出されても規制値を大幅に下回る水準だった。だから「いくらたくさん食べても、直ちに健康被害を引き起こすことはないから、安心して食べてほしい」と、国・県も専門家も声を大にして繰り返す。

 それでも、消費者は買い控える。都会の主婦はテレビで、こうコメントする。「自分の身体や子どものことを考えれば、汚染の心配のない他県産の農産物に、つい手が伸びてしまう」「直ちに健康に害がないといわれても、ほかにも汚染された野菜を食べ、水を飲んでいれば、積み重なるので、やはり心配です」――こうした消費者を、「無知」だとか「愚か」だと斬って捨てられるだろうか。自分の家族を守ろうとして、できるだけ安心できる食品を買い求めようとする主婦の慎重な行動は、むしろ当然な行動ではないだろうか。


 せっかく丹精込めて育てた野菜が、市場で根拠のない風評を理由に買いたたかれ、平常時の半値以下でしか売れなくなれば、生産者や生産者団体の中には「キレる」発言も出てくる。「政府の暫定規制値が厳しすぎる。もっと緩和すべきだ」「不安をあおる国や県の検査結果の公表の仕方が悪い。生産者の思いを考えて公表すべきだ」。規制値の緩和や検査結果の恣意的な公表に、行政側が応じなかったのは当然だが、一部の生産者団体の圧力に屈して規制値を緩和すれば、風評被害に拍車をかけたことであろう。


 ある程度の風評被害は、やむを得ないのではないか。カイワレ、BSE(狂牛病)、口蹄疫、中国産冷凍ギョウザなど、とくに口にする食品にからむ災害や事故が起きた場合、正しい情報が行き届かない段階で風評被害はつきものである。それは「風評」ではなく、健康に対する不安から、より慎重な行動をとる「まっとうな行動」と受けとめるべきではないか。ただ、それが過剰反応であり、それほど心配しなくてもいい事柄であるという正しい情報が行きわたるにつれ、慎重すぎる行動が影を潜め、いわゆる「風評被害」が自然に消えていく(フェードアウトする)のではないだろうか。


 風評被害はつきものだが、それをなるべく早く収束させることはできる。それは正しい情報の提供である。中国製冷凍ギョーザ中毒事件のように、関係機関が正しい情報の提供を拒み続けると、消費者の不安はむしろ高まり、風評被害がなかなか収束しない。風評被害にも、放射性物質と同じように、「半減期」があると考えればいい。災害や事故が起きた当初、情報の少ない時には、消費者は不安になって慎重な行動に走るが、適切で正しい情報が提供され続けられれば、不安は解消し、風評被害も消えてなくなる。


 風評被害は、被害を受けた側からすれば「実害」である。その責任は消費者や卸業者にあるのではなく、風評を引き起こしたおおもとの事故、今回でいえば、原発事故を起こした東京電力と、ずさんな原子力発電行政を許してきた国にある。(2011年4月18日)

むらた やすお

朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。

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