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ぐるり農政【41】

2010年11月12日

ハードル高いTPP

                      ジャーナリスト 村田 泰夫


 農業界はTPPで大騒ぎである。無理もない。10月1日の所信表明演説で、菅直人首相が突然!「TPPへの参加を検討する」といってしまったのだから、農家・生産者や農協などが驚くのは当然である。TPPは「関税の原則撤廃」を看板としているので、首相の唐突な問題提起に鹿野道彦農林水産相はもちろん、本来は推進派である通商政策を担当する大畠章宏経済産業相でさえ、慎重姿勢を示していた。このため、「参加」という言葉こそ削除されたが、11月9日の閣議で政府は「関係国と協議を開始する」ことを決めた。


 TPPに参加するには、ものすごくハードルが高いように思う。TPPとは、Trans-Pacific Partnership の頭文字をとったもので、「環太平洋パートナーシップ協定」と訳す。多国間による自由貿易の取り決めがWTO協定で、2つの国や地域間の自由貿易協定がFTAやEPA(経済連携協定)といわれてきたが、TPPは太平洋を取り囲む環太平洋地域における多国間EPAである。WTO協定と違って「関税撤廃」を原則としている点に留意する必要がある。


 TPPは2006年、太平洋を取り巻くシンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイの4カ国が結んだ自由貿易協定として発足した。農畜産物を含めて、原則としてすべての品目の関税をゼロとするところが特徴だった。しかし、小国同士の貿易協定であったため、あまり注目されてこなかった。ところが、今年3月以降、米国、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアの5カ国が加わることになり、改めて9カ国による協定作りの話し合いが進められるようになって、俄然注目を集めるようになった。米国、オーストラリアという大国が加わることで、一大自由貿易圏が形成されることになり、そこに加わらないと不利益を被る恐れが出てきたからである。このため、カナダ、韓国、メキシコなどが加入を見据えて関心を抱き始め、日本の菅政権としても見過ごすことができなくなってきたのである。


 菅政権にとって特に気がかりなのは、韓国が欧州連合(EU)と自由貿易協定を締結したのに続き、米国と自由貿易協定の締結でほぼ合意に達したことである。このことは、EU、米国という巨大市場において、韓国が低い関税やゼロ関税で輸出できることを意味する。自動車やハイテク製品でライバル関係にあるわが国の産業界にとって、貿易競争上、致命的なハンディを背負うことになる。「わが国は周回遅れで走っているようなもの。競争に取り残される」という懸念と危機感は、わが国の産業界だけでなく、新たな成長戦略を探る菅政権も抱くようになったのである。「周回遅れ」を一気に取り戻し、巻き返す妙手として、TPPに前のめりで取り組むことになったのであろう。


 TPPはEPAの一種とはいえ、これまで日本が締結してきた2国間のEPAとは、雲泥の差があるくらいハードルが高い。まず第1に、原則として関税を撤廃、つまりゼロにしなければならないことである。ゼロにするまで、猶予期間を10年ぐらい設けてもよい品目もあるようだが、認められる例外品目を極めて少数に絞らなければならいことは、農林水産物で、例外品目をたくさんつくりたいわが国には厳しい。日本はこれ11カ国・地域とEPAを結び、12カ国目としてインドと合意に達した。しかし、それらのEPAでは、全関税品目の約1割に当たる約940品目において、関税の撤廃を約束していない。つまり、自由化率は90%以下なのである。その例外940品目のうち、9割に当たる約850品目が農林水産物である。EPAは関税の撤廃を原則としていることから、米国や韓国など諸外国同士の結ぶEPAの自由化率は、たいてい95%以上である。100%近いのもある。なのに、日本の結ぶEPAは例外が多いことから、関係者の間では「中身の薄い協定」と陰口をたたかれてきた。低い自由化率でTPPに参加したいといっても、加盟を認めてくれないかもしれない。


 ハードルの高い第2の理由は、米国、オーストラリア、ニュージーランドといった「農業大国」と事実上のEPAを一気に結ばなければならないことである。米国、オーストラリアなどは牛肉、小麦、乳製品、砂糖、米などの農畜産物をたくさん輸出したいと考えていて、日本がTPPに加盟すれば関税を撤廃させられ、輸出を飛躍的に増やせると、手ぐすねを引いて待っている。日本とオーストラリアとの2国間EPA交渉は2007年4月から始まっているが、3年半も経った今も合意の見通しは全く立っていない。農畜産物を例外にしたい日本と、農畜産物を例外にしたらEPAの意味がないとして関税の撤廃を求めるオーストラリアとの主張の溝が埋まらないからである。オーストラリアとの交渉が進まないのに、世界一の農業大国であるアメリカとのEPA交渉が進むとは思えない。


 第3に、仮に自由化推進を日本政府として決定し、本気で取り組むことにしたところで、TPPの場は日本にとって、必ずしも有利な場といえないことである。個別の2国間EPAを積み重ねていった方が、農畜産物の関税を「撤廃」ではなく「引き下げ」でとどめてもらえるとか、わが国の事情を相手国に理解してもらえる可能性が高い。あるいは多国間のWTO交渉の場なら、国内農業を守るという哲学をしっかり持ったEUやスイスなどが、わが国の主張に耳を傾け、応援してくれる可能性がある。そう考えると、個別EPAやWTO交渉に積極的にかかわる重要性が見直されるのではないか。


 TPPに実際に参加した場合の国内農業への影響や、それを緩和するための対症療法、国際競争力をつける構造対策など、たくさんの課題がある。そもそも、「国を開く」ことの是非についても議論しなければならない。そうした問題をわきに置いて、仮に「国を開く」としても、なぜいまTPPなのか、冷静に考える必要があるのではないか。(2010年11月10日)

むらた やすお

朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。

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