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ぐるり農政 【20】

2009年2月17日

過疎という病気にかかった日本

     明治大学客員教授 村田 泰夫


 「いまは恐慌」と一部の学者がいうほどの景気後退局面にあるいま、「派遣切り」や「大幅な減産によるリストラ」という見出しが新聞に載らない日はない。一方、農山村においては担い手不足や過疎の進行が悩みの種となっている。都会から農山村へ人の流れの道筋ができれば、少しは改善されるのに。どうしたら、このミスマッチングを改められるのか。そんなことを考えているとき、劇団「ふるさときゃらばん」の公演を観た。


山形県金山町で開かれたシンポジウム

 「ホープ・ランド」という新作のエコ・ミュージカルだ。地球温暖化で海に沈んでしまった赤道直下の南の島の人たちが、日本人の友人のツテで日本の山村に避難してくる。その山里は日本人に見捨てられ、地はもちろん森林も荒れ果てていた。限界集落にわずかに残った一家の世話で、棚田を復元し森林の手入れに精を出す。南の島で魚をとって暮らしていた島民たちは、日本の山里の暮らしに満足する。そして、不思議がる。なぜ、日本人はこの山里を捨ててしまったのか。
写真 右:山形県金山町で開かれたシンポジウム


 世話を焼いている日本人のおじさんの長男がこう説明する。「ここには何もない。働く場がなくては暮らしていけない」
 島の娘がいう。「大地と水と太陽があれば、豊かに暮らしていけるではないか」「日本人は、過疎という日本特有の病気にかかっている」

 ズキンとくるせりふである。そうか、過疎は病気なのだ。「働く場」とは、場などの就職先をさす。私たちの国では、過疎の農山村を活性化させるには工場を誘致しないといけないと考えた。働く場をつくってサラリーという現金をもらってはじめて、豊かな生活ができると思い込んできた。でも、考えてみれば、豊穣な大地と清冽な水とさんさんと降り注ぐ太陽があれば、豊かな実りが期待できる。働く場はあるのだ。「お金がないと生きていけない」という考え方自体が病気なのである。


金山町杉沢の栗田和則さん宅の「暮らし考房」

 2月中旬、山形県金山町に行ってきた。現地で開かれた「農村と都市の新たな関係を考えるシンポジウム」に参加するためである。基調講演をしてくれた哲学者・内山節さんから、「いまこそ結び合い(連帯)が求められている時代はない」という話を聞いた。
写真 左:金山町杉沢の栗田和則さん宅の「暮らし考房」


 人と人、人と自然とのつながりが切れ、個人が孤立している21世紀初頭に起きた経済危機は、1929年の世界経済大恐慌の時より、危機の度合いが深い。昔は会社をクビになって食べていけなくなっても、親兄弟や友人、地域社会が支えてくれた。いまはそのつながりがない。経済の劣化が社会の劣化につながり、政治の劣化に結びついている。農村と都市との結び合いを深める意義が、いまほど問われている時代はないというのだ。
切妻屋根と白壁・板張りの外壁の「金山型住宅」の美しい金山町 
 
 金山町で、内山さんの説く農村と都市との結び合いを実践している栗田和則さんの集落を訪れた。

 農業と林業を営む栗田さんは、過疎化が進む中で、山村の豊かさはとは何かを問い続けてきた。お金ではなく暮らしに視点を当てれば、山村の暮らしは貧しくない。そして1993年から「暮らし考房」の看板を掲げ、都市住民との交流を始めた。いわばグリーンツーリズムだ。栗田さんはいう。「都市住民との交流が自分のむらの素晴らしさを気づかせ、新しい産物を生んだ。なにより、山里に暮らす自信と誇りを取り戻した」
写真 右:切妻屋根と白壁・板張りの外壁の「金山型住宅」の美しい金山町


 ふるきゃらのミュージカル「ホープ・ランド」とは、文字通り「希望の大地」である。劇では、自信を失いかけていた山村に住む日本人が、いかに自分たちの山里での暮らしが素晴らしいものであるかを、南の島の人たちから教わる筋書きになっている。日本の農山村は、まさしくホープ・ランドなのである。(2009年02月16日)

むらた やすお

朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。

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