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2008年9月17日
汚染米の背景にミニマムアクセス米の存在
明治大学客員教授 村田 泰夫
農薬やカビ毒に汚染されていた事故米が、食用として流通していた問題は、私たち消費者に多くのことを教えてくれた。
人の口に入る食品を扱う業者の中に、最低限の倫理感も持ち合わせていない経営者がいること、農林水産省の行政が、依然として業者サイドに立っていて、消費者に軸足を移していないこと。これらのことは、マスコミの指摘する通りであろう。そして、汚染米が輸入された背景に、ミニマムアクセス米の大量輸入という、「食料外交」の失敗があることも、今回の事件で思い起こさなければならない。
賞味期限を過ぎている食品を回収し、再び使って商品にする、外国産の食品を国産と偽って表示するなどの食品偽装事件は絶えない。そうした事件が表面化するたびに、「商人道はここまで堕ちたか」と嘆かわしく思ったものだが、今回の汚染米にはあきれてしまった。
工業用の糊などに加工するしかない非食用であって、決して食べてはいけない「事故米」であることを知りながら、大阪の「三笠フーズ」などの米販売会社が、「食用米」として販売していたからである。これは人の健康にかかわる、悪質な犯罪である。
さらに、消費者である国民があ然とするのは、事故米を販売する大元締めで、きちんと監督する立場にあるはずの農林水産省の対応ぶりである。この問題が表面化した当初、農林水産省は危機感が薄かったのではないか。事故米が、三笠フーズからどこに流れてどんな製品になったのか。消費者の口に入ったのかどうか。こうした国民の最大の心配事にこたえるどころか、むしろ明確にするのを拒んできた。
そこに、太田誠一農水相の、あの発言である。
「人体に影響がないことは自信をもって申し上げられる。だからあんまりじたばた騒いでいない」。後刻「沈着冷静に対応していくということだ」と釈明したが、安心できる食料を国民に供給する使命のある農林水産省こそ、人の健康にかかわる問題の重大性にいち早く気づいて、「じたばた」してほしかった。
BSE(いわゆる狂牛病)への対応の遅れから、農林水産省は、農政の軸足を消費者サイドに移したはずだった。
にもかかわらず、今回の汚染米への対応ぶりを見ると、「業者に配慮して国民の健康は二の次にしている」との批判を招きかねない。さらに、大阪農政事務所の担当課長が、三笠フーズから接待を受けたことが明るみに出た。「だから業者への立ち入り検査も甘かったのだ」といわれるのは悲しい。
今回の汚染米騒ぎで見落とせない問題が、ミニマムアクセス(MA)米の不合理である。MA米はウルグアイラウンド(UR)農業交渉で、日本が米の関税化(自由化)を猶予してもらう代わりに受け入れた制度である。例の汚染米もMA米として輸入した米の一部だった。
UR農業交渉で、「米の関税化(自由化)反対」という農業団体に配慮して、日本政府は関税化を拒否した。その代償措置として、「初年度の1995年は国内の米の年間消費量の4%、5年後の99年には8%」の米を低関税で輸入する機会を与えることを約束した。日本の場合、米の輸入は国が介入しているから、一定量の輸入を事実上義務づけられたのである。
外国から買う米には、米国産や中国産、ベトナム産、タイ産、オーストラリア産などがあるが、中国産や米国産の一部の単粒米(ジャポニカ種)以外は日本の消費者の好みに合わず、国内市場では売れ行きがよくない。「だれも食べたがらない、いらないお米」なのである。そこで、農林水産省は海外向け援助に回したり、味噌・醤油や米菓などの加工用に払い下げたりしてきた。
そんな「いらないお米」なら、MA米を返上すればいいものを、国際的な約束だから、せっせと輸入しているのが現状である。
実は、「一粒たりとも入れない」と、あれだけ騒いで関税化(自由化)に反対した日本だが、1999年からみずから進んで関税化への移行を宣言した。おかげで、国内市場の8%分を輸入しなければいけなかったMA米は、その後は7・2%の輸入で済むことになった。大きな成果であるが、それでもMA米の輸入量は年間77万トンにのぼる。在庫が積み上がる一方の、MA米のばかばかしさに農林水産省も気づいて、関税化を選択したのである。
今から思えば、UR交渉の当初から米の関税化を受け入れておけば、今日のような「いらないお米」を大量に輸入し続け、汚染米をつかまされることもなかったかもしれない。しかし、UR交渉のとき、「関税化を受け入れよ」と主張すれば、農業団体から国賊呼ばわりされた。WTO農業交渉といえば、すぐに「市場開放ハンターイ」と叫ぶ短絡さを反省する機会としたい。(2008.9.16)
※文中の画像(米)は、EyesPic様よりお借りしました。
朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。