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2007年7月31日
安全・安心のためのコミュニケーション活動
マーケティング・プロデューサー 平岡豊
コミュニケーションは、意味(コトバ)とイメージ(絵)から成立している。オハヨーという好意的な意味を持つコトバに、にこやかな笑顔が伴って、いい交流のきっかけが生まれるのだ。「オハヨー」と言いながら表情がブスッとしていたら、受け手の側に混乱が起こる。企業などが「ひと声にっこり運動」を展開するのも、意味とイメージにズレを起こさせないためである。
ところが農業側では、こういったコミュニケーションの基本について、ほとんど目くばりをしていない。
一例がBSEで、当初の「狂牛病」から受けるイメージは恐ろしいものだった。あわててBSEとしたが、これでは意味もわからずイメージもわかない。
そこで、牛海綿状脳症と「直訳」をつけたのである。意味がはっきりしたので脳がスカスカになるイメージが強くなり、恐怖は消えなかった。しかもマスコミでは、BSE、牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病で、といった文脈で報道していたのである。最初の段階で、「プリオン症候群」といったコトバを定着させていれば、と悔やまれる。
●コトバがわからないと、不安になる
そこで、ポジティブリストである。いくつかの県で行政が主導する生産者向けの勉強会に出席したが、ポジティブリストは「基準が設定されていない農薬等が、一定量以上含まれる食品の流通を、原則禁止する制度」と解説されていた。
ところが、普及指導員や認定農業者からの強い要望が続出したのだ。
それは「現場の高齢者にも理解できる名称、言葉づかいに工夫してほしい。そうでないと用語の説明から必要となり、具体的な内容解説までに時間がかかってしまう。そうなると現場での対応が不十分になりかねない」といったものであった。制度そのものについてもさることながら、コトバの意味がわからない、というのが問題なのである。
そこである会場では、生産者側からの視点でポジティブリストの日本語訳が試みられた。「農薬残留許容基準」などが出てきて何となくわかったような気分になったが、制度の主旨からみて、この日本語訳でいいのだろうか。
一方、同じようなことは、トレーサビリティでもあった。当初は、「遡及可能調査」といった日常的には目にしないような漢字まで出てきたが、「生産履歴」という適確な表現に落ちついて、なんとなく「トレーサビリティ」も併用されるようになった。
●外来語の使用あれこれ
ここで外来語を使う状況を考えてみると、まず「その事象が日本国内に存在しない場合」である。明治の先人たちはチエをしぼって造語を考えたようだが、いまは安易に外来語、となる。
次に「日本語で表現するとイメージがよくない場合」にも外来語となる。
便所→トイレ、である。日本語ではイメージを変えるのがムズかしい時にも使われるが、ひょっとしたら、「いきいきファーマー」が該当するかもしれない。発言者がインテリとして「エエ格好」をしたい時にも、もちろん使われる。外来語で、その事象をありがたそうに見せることもできるのである。また、日本語づくりが面倒な時にも、外来語をそのまま使うことがある。
一方、外来語を受ける側の心情だが、まず、意味がわからないと不安になる。
当然ながら、送り手側への好意は起こりにくい。しかし、送り手側が明らさまに意味を解説すると、バカにされたようで気にくわない、となることが多い。
だから、トレーサビリティにさりげなく「生産履歴」を重ねて解説すると、受け手は、それを覚えた時点で、なんとなくうれしくなるのである。ところが、トレーサビリティとは生産履歴のことですと正面きって解説されると、自分たちの無学を指摘されたようで、気分が悪くなってしまう。
外来語を「日本語化」し、定着させていく作業には、きわめて高度な「コミュニケーション力」が必要になるのだが、農業側では、それほど重要視していないのではないだろうか。
そんな中で、当初は盛んに使われていた「ドリフト」は、「飛散」で落ちつきそうである。考えてみれば、わざわざドリフトなんて気どることではない。ただし、これなどは直訳の「飛散」ではなく、「圏外飛散防止」とした方がいいのでは、といった気もしてくる。大切なのは、想定している圏外にまで飛散するのを防ぐことだからである。
●わかりやすい工夫をしよう
安全生産のためには、まず心をこめて外来語を的確な日本語にすることだが、運用現場までを含めた「目くばり」がさらに重要である。
記帳問題が注目されていたころ、生産部会の総会などで行われていた関係機関からのアピールは、ほとんどが精神論であった。毎日こまめにきちんとやっていけば難しいことはない、というのである。しかし、超高齢者がほとんどの部会などでは、果たして実行できるかと不安になったものである。
生産者からは農薬の名前を高齢者でも覚えやすいものにしてほしい、といった発言もあった。
農薬はほとんどが化学系外来語なので覚えにくいし、似たものも多くてまぎらわしい。その会場では、「太郎一号」にしろ、といった切実な意見もあった。これは、普及センター管内で「ニックネームブランド」とすれば活用できるはずだし、こういった動きの中から農薬メーカーが「和名」を考えるように誘導していけばいい。乗用農機などには日本名が多く人気もあるという。
農薬会社や関係機関が、なんとなく外来語をありがたがる古い既成概念にとらわれているのがおかしいと思うのである。
(月刊「日本の農業」2006年7月号(全国農業改良普及支援協会発行)から転載)
昭和11年生まれ、大分県出身。大阪外国語大学卒、九州大学博士(農学)。昭和36年(株)博報堂入社。農業分野の広報及びマーケティング企画、プロジェクト等を長年担当。平成8年定年退職。現在福岡県立大学非常勤講師(マスコミュニケーション論)。著書、農業関連紙・誌への連載多数。