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2011年11月29日
晩秋にふと思ったこと
高見澤勇太
高原野菜の収穫が終わり、畑の後片付け・堆肥播き・秋起しの作業も、あと数日で終了する。
「終了する」というのは、全部の仕事が完了するのではなく、“作業ができなくなる”という意味である。
わが家がある高冷地では、11月に入ると、朝晩は氷点下になる日が多くなる。そして、畑の土が凍る解けるを繰り返すが、例年12月に入ると、日蔭は凍ったままになってしまう。
肥料や堆肥を畑に播いても、畑を耕すことができなくなるのだ。
それでも地球温暖化のせいか、20年前よりも、収穫作業も秋の作業も、2週間以上遅くまでできるようになった。
45年前、林業と小さな田んぼでわずかなお米を収穫していたこの地区、『樽の原』という広い土地で野菜の栽培をしようと、開拓事業が始まった。
標高は1400m、木の切り株や大きな石だらけの土地で、現在のような高性能な重機もなく、自分の父や母も、相当苦労をして開墾をしたと聞いている。
多くの人たちが「そんな土地で作物ができるわけがない」と思った。
約150軒の農家のうち、29軒が開拓事業に参加し、入植をした。
大根の栽培から始まり、10年後には高品質の白菜が収穫できるようになった。
標高1400mの寒い土地で、一毛作がやっとだった樽の原だったが、それからまた10数年経つと、二毛作ができるようになった。
現在では三毛作をする農家も現れ、真夏には高冷地とは思えない暑さの日もある。
20年後にはどうなっているのか・・・?
百姓仲間と冗談で「10年後にはここでミカンがとれて、20年後にはバナナがとれるぞ。そして、高原野菜は、八ヶ岳のてっぺんじゃねーとできねーナ」と笑い話をする。
未来の農業事情がどんな風に変わっているのかは、わからない。
単純に世界の現状を見ただけでも、中国で水不足・オーストラリアで大干ばつ・世界人口はどんどん増えて食糧難・タイで洪水、と各地で自然災害が頻発している。
いま、日本の農業も厳しい状況にある。
しかし、厳しい状況を乗り越えた先に、すべてのものは進化している。
父や母が苦労をして、現在の農業基盤を築いた。
そのあとを、年々変化しながら、自分が、農業を継続している。
そして、子どもたちにもいろいろな苦労を味わってほしい。
苦難を乗り越えてこそ、幸せが訪れる。人生に深みが出る。
農業という“楽しい苦労”を味わって、豊かな人間に育ってほしい。
1964年長野県生まれ 北佐久農業高校卒業後、すぐに家業である農家の後を継ぐ。長野県農業士協会会長(07・08年)、野菜ソムリエながの代表(08・09年) 、南牧村議会議員(07年~11年)。座右の銘は「ゆるく・楽しく・美しく」