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信州発 “農”と言える日本人 【29】

2011年9月 1日

同志に会う

        高見澤勇太


 長野県農業士協会の理事会が先日、佐久市で開催された。
 情報交換会は午後6時開始なので、少々早めに家を出て、南佐久管内の圃場を視察することにし、川上村、南牧村、小海町、佐久穂町と見て回った。白菜・レタスなどは、最近の雨の多さと低温で、黒斑細菌病・斑点細菌病などの症状が多く出そうだった。

 佐久穂町では、元農業士の横森氏の畑を見せてもらった。アポなし・突然の訪問にも、夫婦笑顔で出迎えてくれた。


 しかし、そこにたどり着くまで、何度も道に迷い大変であった。
畑までの道は両脇から木々の枝がせまり、砂利道もあり、その上長いくねくね道と軽トラがやっと通れるぐらいの道幅が続き、到底、この先に広い畑があるとは思いもよらない、行程だったのである。


  


 難所を抜け、畑に到達すると、山の頂上を切り拓いた見晴らしのいい場所が現れた。
「ここから見える範囲、7町歩を作付けしている」
「それでも今年は2町歩減らした」
「最近、契約出荷の数量が集まらず、自分が肩代わりしている」
などと、現状を説明してくれた。


 特筆すべきは、横森氏が一毛作にこだわっていることだ。通常は二毛作で、2回の収穫で経費と労力の節減を図るのが、一般的である。
 横森氏が「年に2回も作付すれば畑が疲れてしまう」「2作目の品質は良くない」と、利益追求だけではなく、野菜を育ててくれる畑や、買ってくれるお客さんの視点に立った農業をしているのには、頭が下がった。


 その後は情報交換会で、佐久地区の農業士と懇親を深めた。自分の所属する南佐久支部からは、3名が出席した。久しぶりに会う仲間たちと近況報告や笑い話に花が咲き、楽しい時間があっという間に過ぎた。


 私ごとだが、年齢制限により、昨年度で農業士協会本会は退会。現在は、支部活動のみの特別会員になっているが、垣根もなく“長野県農業を背負って立つ”という熱く強い信念を持った農業士(農のサムライ)たちは、いつ・どこで出会っても、気さくに話せる同志であった。

たかみざわ ゆうた

1964年長野県生まれ 北佐久農業高校卒業後、すぐに家業である農家の後を継ぐ。長野県農業士協会会長(07・08年)、野菜ソムリエながの代表(08・09年) 、南牧村議会議員(07年~11年)。座右の銘は「ゆるく・楽しく・美しく」

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