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2017年9月 6日
~この10年の農政・農業を振り返る~
榊田 みどり
大雑把にいえば、国の農政が官邸主導に移行し、「選択」「集中」「外部資本導入」による「日本農業の再生」「農業の成長産業化」というベクトルを強力に推進し始めた10年。
一方の農村現場では、国の農政の方向性とスピードに違和感を抱いた地域から、国の農政と一線を画し、地域の実情に即した独自の地域農業・地域再生の道を模索する動きが登場し始めた10年という印象を持っている。
第一幕は、2006年の第1次安倍政権発足。首相直轄組織「食料・農業・農村政策推進本部」を中心に、官邸主導での農業構造改革が急ピッチで進み始めた。「攻めの農林水産業」のかけ声のもと、「2013年に輸出額を1兆円」を目標に農産物輸出推進策がスタート。農地集積・規模拡大の推進策では、07年に、施策対象を面積要件で絞り込む「品目横断的経営所得安定対策」の本格導入、09年の農地法改正による企業の農業参入規制緩和が行われた。
規模拡大・農地集積などの農業構造改革のベクトル自体は、99年に施行された新農業基本法でも既定路線だ。しかし、第1次安倍政権以前は、地域の実情に応じた家族・小規模農業も含めた多様な担い手尊重論も強く、構造改革のスピードはゆったりしていた。
それが安倍政権誕生後は、矢継ぎ早に改革施策が打ち出され、取材する立場の私でさえ息苦しさを覚えた。海外との経済連携に関する交渉でも、内閣府直結の経済財政諮問会議が主導権を握り、農水省の発言力が薄れ始めた。「このスピードに現場は付いていけない」と感じたことを今も覚えている。
09年7月の衆院選での自民党大敗を受け誕生した民主党政権は、多様な農業の担い手の所得安定を図る戸別所得補償制度の創設と食料自給率の向上を農政の看板に掲げ、政策転換に期待を抱かせた。しかし、翌年のTPP交渉への参加検討表明を機に農政も迷走。わずか3年で政権交代したこともあり、残念ながら"第二幕"というより、現場に混乱を招いただけの"幕間"のような存在になってしまった。
そして第二幕。「アベノミクス」を掲げた第2次安倍政権下では、「日本再興戦略」の中で農業の成長産業化が大きな課題とされ、「産業競争力会議」で財界関係者を中心に急進的な改革論が展開され、首相を本部長とする「農林水産業・地域の活力創造本部」を司令塔に官邸主導での改革推進体制が再び確立された。
とくにTPP参加表明をテコに農業界の危機感を煽りながら、「グローバル化への対応策」として産業政策に特化した「農政新時代」が打ち出され、「農地集積」「法人化推進」「6次産業化市場の拡大」「輸出振興」と、数値目標を据えての施策が推し進められてきた。農外資本の参入に消極的なJAや農業委員会など農業・農地を管轄する既存組織もやり玉に挙げられ、制度改革の焦点のひとつになった。
しかし、農村現場を回ると、必ずしも現行農政を良しとしていない農業者は少なくない。国の農政が地域の実情に合わないなら、自らの課題解決のため独自に地域農業・地域農政のあり方を模索しようと動き始めているケースに出会うことも増えた。
たとえば、14年には、山形県置賜地域の3市5町をひとつの自給圏ととらえる(一社)置賜自給圏推進機構が誕生。圏外に流出している経済を減らして圏内自給を高め、それによって地域に新たな産業を起こす「地域循環型社会」をめざそうと提唱している。
3市5町の中のひとつ、飯豊町では、13年に全国から地域農業振興に関する企画論文を募集し、翌年、「飯豊・農の未来事業」を地域農政ビジョンとして据えたが、やはり「持続可能な地域自給」を柱のひとつに据えている。
長野県も、「経済がグローバル化する中でも足腰の強い『地域経済づくり』を目指す」として、「地消地産」の推進を「地方創生総合戦略」に位置づけた。これも県外から調達している資材を県内産に置き換える「地域自給」の発想だ。
15年には九州で、農業者や学識経験者を中心に「小農学会」が誕生した。設立趣意書には、「人は都市に集中し、村の小学校は廃校となり、集落が消滅し、農村が寂れていく。にもかかわらず農政の流れは、営農種目の単純化・大規模化・企業化の道を推し進めようとする。それに抗してもうひとつの農業の道、複合化・小規模・家族経営・兼業・農的暮らしなど、小農の道が厳然とある。(中略)このいずれが農村社会の崩壊を押しとどめることができるのであろうか」 とある。産業政策として農業をとらえる国と、生活の場である地域の視点で農業をとらえる農村との乖離を感じさせる言葉だ。
中山間地域施策の先進地、島根県では「地域貢献型集落営農」の支援事業が始まっている。市町村合併で行政サービスが低下した山間部を中心に、高齢者福祉や店舗運営など、農業だけでなく地域で必要とされる「地域の仕事」も担う"多業型"の集落営農組織を推進する試みだ。島根県に限らず、山間部に行くと同様の多業型営農組織に出会うことが増えている。
中国地方のある農村では、「官邸なんて怖くない。長くて6年。俺たちは100年スパンで考えている」という言葉も聞いた。今年から自民党総裁任期が3期9年まで延長され、「長くて9年」に伸びたが、それでも9年対100年。国の施策のベクトルが明確化・急進化するほど、地域を主体に独自の地域再生策を模索する動きは、今後さらに広がると、私は予感している。
1960年秋田県生まれ。東大仏文科卒。学生時代から農村現場を歩き、消費者団体勤務を経て90年よりフリージャーナリスト。農業・食・環境問題をテーマに、一般誌、農業誌などで執筆。農政ジャーナリストの会幹事。日本農業賞特別部門「食の架け橋賞」審査員。共著に『安ければそれでいいのか?!』(コモンズ)『雪印100株運動』(創森社)など。