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ときとき普及【78】

2024年12月26日

農業と雪(その1)


泉田川土地改良区理事長 阿部 清   


 ある日の夕食時に、11月の日照時間の長さが話題になり、「日照時間が全国一短いのが金山町だった」と思い出した。初冬になると晴れの日はほとんどなくなり、初雪が根雪になるのが普通だ。子供の頃には、12月は真冬だった。


column_abe78_1.jpg 全国を見渡しても、積雪の多い地域は少数だと思う。豪雪地域はもっと限られるだろう。雪国と言われる山形県でさえ、庭木の雪囲いが必要な、金山町のようなところは限られた地域だ。終活として「庭木じまい」を実践する高齢者の心情がよく分かる。
 歳を重ねて、「豪雪地帯の生活を理解する人は少数派かもしれない」と思うことが多くなった。
 高齢世帯の敷地内の除排雪が市町村の深刻な課題となったのは、比較的最近のことだ(「除雪」と「排雪」の違いが分かるだろうか?)。「私有地の除排雪は自己負担」ということが案外知られていないと愚痴をこぼす住人は多い。機械除雪ができなくなるのは深刻な問題らしい。が、春の訪れとともに、除雪や排雪で山のように積み上げられた残雪は、あっという間に消えてしまい、同時に、雪の悩みも消えてしまうのだ。


column_abe78_2.jpg 「ホワイトアウト」は、ドラマや映画で知られるところとなり、吹雪のツアーなども企画されている。豪雪地の肘折温泉では、新雪の多さから、朝は自動車が識別できないことが多いという。そう、大変なのは、ひと晩で1mも積もる新雪だ。こういう晩は雪が音を吸収するため、静かに積もっていく。歌人斎藤茂吉は、この様子を「しんしん」という畳語で表現していた。豪雪地帯の降雪そのものだ。一方で、「最上川 逆白波の たつまでに ふぶくゆふべと なりにけるかも」の短歌で「ふぶき」を読んでいる。吹雪も大変で、井上陽水の楽曲「氷の世界」では「...毎日、吹雪、吹雪、氷の世界...」というフレーズが出てくるが、当地方の厳寒期の天候そのものの楽曲だ。


 小学校のスキー大会のクロスカントリーの最中に天候が急変し、ホワイトアウトの状態になったことがあった。子供たちの多くは、ベソをかきながらゴールに戻ってきた(今なら学校側の大会運営が問題になるだろう)。強烈な地吹雪はさて置き、個人的には、映画「海に降る雪」で、羽越本線を下りながら故郷に帰る女性心情を、沿線から見える冬の薄暗い日本海に静かに落ちる雪でオーバーラップするシーンの、静かに降る雪が気に入っている。


 園芸施設の除雪作業は、ハウス内作の農作物の生育とはまったく関係のない作業になる。「農作物の生育から見れば、除草作業より劣る除雪作業を強いられる」とは、ある園芸農家の声だが、雪害により、果樹や施設が被害を受けることもある。強い降雪が3日も続くと、雪害が心配になる。朝、50cmの新雪を除雪したとしよう。同日の夕方に、同程度の除雪が必要な場合もある。ドカ雪の時は、これが数日続く。「日本海に発生する雪雲は筋状だったではないか。なぜ降雪が続くのか?」と考えたが、「最近は海水温が異常に高いので仕方ない」と、ほぼあきらめムードになる。


column_abe78_3.jpg スキーブームの頃は、猫も杓子もシーズンインを待ち焦がれていた。行列の苦手な田舎人でさえ、リフトやゴンドラの順番待ちが苦にならなかった。夏は農業、冬はスキーインストラクターになる農業者もいた。スキー客の都会の女性と知り合いゴールインする、幸せ者の農業者の話を聞くこともあった。除雪車のオペレーターになる場合もあった。雪で貯蔵して品質を上げる「雪中キャベツ」や、畑に伏せ込んで新芽を伸ばす「雪菜」が、今年も年中行事のように報道されるだろうか。雪が前提の活動は、たしかにある。「利雪」や「遊雪」は考えやすい熟語で、昔から視点とされてきたが、どうしても消極的な対処として考えてしまう。


 普及員時代に、「周年農業」が普及課題として提唱されたことがある。
 山菜的野菜の促成栽培の産地化に参画することができ、この普及活動の経緯を専門技術員試験(いわゆる課題ウ)のネタにしたことがあった。積雪と農業の関係は自分の独壇場だ、と考えたからだ。
 2次試験の面接の際、「冬に曇天・低温になる地域ならではの生産技術だ」と大見えを切って説明したが、後日、大先輩から「作目を組み合わせる場合、厳密には『周年農業』とは言えない。『周年栽培』を使うのが一般的だと知っているだろう」と、厳しいお叱りを受けたことがあった。

 「周年農業」は、語句の響き以上に理解がしやすい。雪国では、冬季に農作業を行うという意味で使用していたが、聞き手の多くは、その言葉に「冬に農業で収益を上げる」という夢を抱く。周年栽培とは、作型を組み合わせたり栽培地を移動したりして、単一の作物などを周年で生産する場合の語句だということは知っていた。当時の普及所の上司は、栽培を農業に置き換えて使用していた。違和感はあったが、農業者への説明のしやすさが魅力的な語句だった。


column_abe78_4.jpg 「冬季の積雪寒冷地は曇天が続き、光合成の制限要因が日射になる」という事実を知っているだろうか。施設園芸の現場で、積極的に補光を導入する事例もあったが、コストパフォーマンスは低かった。このような天候も、2月下旬、遅くとも3月上旬には劇的に日射が好転し、光合成の制限要因が光から気温になる。山形県の春夏作は、この時期をスタート地点とする作型が多い。例外は、冬期間の軟弱野菜の生産だ。この作型では、2月下旬までの収穫は晩秋までに生育した野菜の、いわばハウス内貯蔵のような様相の栽培になる。ひと頃評判になった「寒じめ野菜」のことを「ハウス内貯蔵野菜」と、こっそり呼んでいた自分だった。


 普及活動で周年農業として取り組んだ山菜的野菜の促成栽培は、夏季に生育した株や穂木(タラノキの場合)を冬期間に生育させる作型で、昔から呼ばれていた「ふかし栽培」が正確な名称だが、現代風の名称とするため、栽培技術を前面に出す「促成栽培」の名称を当てることにして、報告書や文献に記述したのだった。「寒冷地の曇天の気象条件であればこそ」の、厳密な温度管理が可能である特徴がある。この地域ならではの優位性として、高揚しながら説明していた。「施設園芸関係者なら、即座に理解できる」とも考えていた。

 普及員の頃(当時の農業情勢によるものかもしれないが)、雪が新たな経済活動を生み出す側面を積極的に打ち出して行こうとする雰囲気が、農業現場には、たしかに感じられることが多かった。農業改良普及所でも、正面から受け止めた普及課題として普及活動を行った。最近の普及活動は、雪に対して消極的過ぎるのではないかと感じている。


●写真 上から、
・英国人旅行家イザベラバードが記した初冬の金山町の三山
・初冬の里山
・初冬の自宅の庭木の雪囲い
・真冬の自宅の庭木

あべ きよし

昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。

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