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ときとき普及【71】

2024年5月28日

農業の生産性(その3)


泉田川土地改良区理事長 阿部 清   


 田植え時期になったので、今回は水稲をネタに「切ない生産性」の課題を考える。

 担い手農業者の数が減少しているのは周知の事実だ。数少ない担い手に属地の役職が集中していているため、忙しいだけでなく、疲れ果てているとの話を知人から聞いた。遅い夕食の後、倒れるように眠りにつくのだそうだ。このような光景を「着所寝(きどころね)」という。「疲れ果てて眠ってしまうさま」のことだ。最近はほとんど会話に出てくることがなくなっていて、死語に近い方言(?)なのだろう。「地域の農業に、そこまで尽くす必要はない。今までのようなやり方では、長続きはしない。やり方を変えた方が賢明だ」と、知人は話す。


column_abe71_1.jpg この話は納得できる。
 5月の夜のこと、カエルの鳴き声を打ち消すように、スロットルを上げて代掻きをする担い手がいた。エンジン音からすると2500rpm以上であろう。日中の喧騒はあるが、夜には必ず静寂が訪れるのが田舎の日常。水田を往復するトラクターのヘッドライトを眺めながら、「高速で作業すると耕土深は浅くなる」と、農業機械担当の先輩普及員が話していたことを思い浮かべた。「篤農家は低速で耕起するから耕土深が深くなり、水稲の生育が安定するのだ」とも言っていた。


 さて、水稲の生産性向上は、農業の機械化と基盤整備・水利事業をベースに、技術革新によるところと周知されている。とりわけ、耕運機とトラクター、田植え機、ハーベスタとコンバイン抜きに水稲を語ることはできない。農業機械に合わせて農業技術が変革してきたというべきか、それとも、農業技術の進展に合わせて農業機械が普及してきたというべきか。どちらも正解なのかもしれないが、その昔、農村では「機械化貧乏」という言葉があったので、農業機械に合わせて来たと答えることにしている。


column_abe71_2.jpg 物心つく頃の記憶に牛馬耕がある。牛馬を操る農業者と、言うことを聞かないぐらいに疲れ果てた牛馬がいたことを覚えている。間もなく農村では、疲れない耕運機が全盛となり、少し遅れてトラクターが普及する時代になった。この頃のことは、牛馬のときとは違って記憶にないのはなぜだろう。牛馬には意思があり、農業機械には意思がなかったからだと思う。


 田植えは、手植えのほかには選択肢がない重労働だった。知人に説明するたびに「創作だろう」と疑われた、以前のコラムにも書いた「小学校の田植え休み」は、田植え機の普及とともに姿を消した。
 手植えで水田の長辺を往復するのは辛い農作業だった。腰を伸ばすために何度立ち上がったことか。背負っていた苗かごも重かった。

 箱育苗は稚苗や中苗だが、「成苗以外は受け入れない」という農業者もいたという。田植え機は津々浦々の水田に普及し、箱育苗のことは話題にならなくなった。それより、農業者の関心は収量水準だった。当時の米価は相対的に高く、土地生産性を向上させていたからだ。
 田植え機の普及は、水稲の農作業を根底から覆すほどにインパクトがあった。この頃、普及員はこぞって薄まきの箱育苗を普及していた。今では、半世紀前の稚苗、成苗の議論は何だったかと思うほど、現場では関心がなくなった。一部では、今をもって成苗田植え機を使いこなしている農業者を見かけることもある。


column_abe71_3.jpg 田植え機は、長辺100m、30a区画で基盤整備された水田では前提になっている。いや、田植え機の作業が普通になったから、基盤整備の整備水準が100ⅿだったのかも知れない。ニワトリとタマゴの議論になるが、現在の広区画水田をめぐる議論では、田植え機云々の議論が深まっていないようだ。広区画に合わせているだけかもしれないが、まさに現場対応ここにあり、となる。3、4ha区画もの水田になると、トラクターにはレーザーレベラーが必須だし、水田管理機、ドローン、多機能コンバインなどが前提になっているのに、いまだに移植体系が主力の理由とは、、、と考えてしまう。品種開発も移植を前提にしていることが圧倒的多数なので、田植え機だけを悪者にはできない。

 生産性には、労働生産性と資本生産性、土地生産性がある。土地生産性は、普及活動のすべてだった時代が長い。食糧増産時代は、多収を追求することが普及そのものだった。いつの間にか、多収は「悪」になった。稲作中心の農業県の悩みはここにあると思う。水稲の土地生産性が漸減しているからだ。論点は、品質優位のコメづくりと作付け制限(米生産上は転作というが)が優先事項になる。


 現在の担い手が就農した時は、すでに水田経営の営業外収益が、かなりの比重を占めていた。
 ある農業コンクールの審査会で、営業外収益が全体の過半を占める経営体について、議論になったことがあった。戸別所得補償の時に議論されることが多かったが、このような支援は、経営規模の大きな稲作農家のモチベーションを押し上げていると理解していた。担い手と話していると、地域の農地をすべて飲み込んで維持していこうとする覇気を感じることが多かった。米価が低迷する状況下において、設備投資を計画する農業者もいたほどだ。小農のための施策だと解説する専門家もいたが、大規模経営者ならではのゲタ的な効果を実感していると、ある調査会で発言したことがあった。


column_abe71_04.jpg それより前の時代、米政策のうち、平成10年代の水田農業経営確立対策における水田農業経営確立助成をして、もはやデカップリングだと感じていた。県の米政策を担当することになって、担い手農業者への支援として、経営確立助成のような施策を論ずる必要性を指摘する人がほとんどいなかったのが驚きだった。さて、デカップリングを本格的にやれば、地域農業を維持できるという自信はない。しかし、農業・農村は人的な側面で瀬戸際なのは間違いなく、選択肢は少ない。担い手の数は少なく、地域に遍在し、疲れ果てているという現実は、無視できないレベルになっている。


 田植え機導入時に栽培技術が大きく変化したように、それと類似する技術革新を期待している。
 脱田植え機だったら直播、それも乾田直播だ。直播=品質に難がある、という一部の心配があるが、直播に適した品種改良に期待しよう。関連する農業機械のラインナップは揃っている。地域ごとの栽培技術の微調整は、農業者にはお手のものだ。
 土地改良区の一員としては、乾田直播は水利権が問題にならないところが素直にうれしい。大したことではないが、寒冷地の中山間地域では、畦畔からの漏水が心配されるが、現場技術に期待できる。
 しかしながら、田植えのない稲作は、やはり無理があるだろうか。これをやれば、労働生産性を高め、資本生産性を改善できると思えるのだが・・・。


●写真 上から、
自生地のゼンマイ
自生地のウルイ(オオバギボウシ)
自然栽培のウド
自然栽培の赤ミズ(ウワマミソウ)

あべ きよし

昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。

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