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ときとき普及【63】

2023年9月29日

昔と今(その3)


泉田川土地改良区理事長 阿部 清   


 今年の夏は強烈に暑い。9月上旬は秋雨とともに夜温が低下してくるのが常だったが、今年は9月に入っても暑さが続いている。
 報道機関は、ここぞとばかりに高温・干ばつを取材し、記事にする。
 牛などの家畜が例年以上に死亡した、用水不足で水稲が枯れた、「日本一の芋煮会」用のサトイモの葉が枯れたなど、高温・干ばつの影響は、農業、農村のいたるところに現れていると報道している。
 だが一方では、高温のために豊作ということもある。
 高温耐性の品種により相対的に効果が発揮されたとか、高温・干ばつの対処ができていて豊作になったなどという事例も多いのだが、こちらはニュースバリューがないらしい。報道機関は、高温・干ばつ=不作というレールを無条件に敷いているのだろうか。農業者などの努力でプラスになった事例を意識的に避けているのかどうかは分からないが、残念ながら、これが今年の猛暑関連の報道の現実だと思っている。


column_abe63_1.jpg 研究員だった頃、気象経過を取りまとめると、9月上旬には決まったように気温が低下し、それに伴って品質が向上するのだった。そのため寒冷地では、抑制栽培のキュウリやアールスメロンの最盛期が9月中下旬になる作型が導入されていた。10月下旬には早霜があり、ここまでを秋本番と、勝手に解釈していた。11月中旬になれば初雪が訪れる。この頃の施設栽培の技術開発では、夜温を1℃上げるための保温方法の開発という、積雪寒冷地のローカルな研究課題に取り組んでいた。1℃の違いが野菜の生育に大きな影響を及ぼすという、生育限界温度(低温)域での技術開発に胸を張っていた。これは、寒冷地以外の方々には理解できない研究課題だと思う。
 その後、縁あって雪室の研究開発に参画することになる。雪や冬に関する技術開発に胸躍る自分は、雪国育ちのDNAを話題にすることが多かった。そういえば、普及員時代に、「(雪国の)冬に稼ぐ周年農業の実践」という普及課題があった。担当となった私は、一時困惑をしながらも、とてつもなく嬉しかったのを覚えている。専門技術員資格試験のネタに、冬に稼ぐ周年農業にニッチな山菜の促成栽培を記述したのも、雪国育ちのDNAによるものかもしれない。


column_abe63_2.jpg 全国でも寒冷地は少ない。寒冷地であっても、積雪地はさらに限られる。問題なのはここからで、積雪地のうち豪雪地は、もっと地域が限られる。ごく少数の農業者の声を積極的に上げなければ、埋もれてしまうということだ。ちなみに、前述の専門技術員資格試験で記述した「豪雪地での促成山菜の産地育成」は、ほぼ私の独壇場だと信じていた。


 昔は今年の夏のような高温に悩まされることは少なかった。
 冬だけでなく春や初夏でも、保温が作型の主要な生産技術になっていて、低温対策の栽培技術の核心技術だった。
 東北は、寒冷地稲作として語られることが多いが、今の普及指導員でそれを実感する人は少ないかもしれない。それだけ温暖化や高温障害などが、寒冷地でも現実的な課題になって久しい。
 トンネルによる早熟栽培で低温に悩まなくなった、冬期無加温ハウス栽培で保温資材なしで生育適温を確保できるようになった、水稲の穂ばらみ期に低温に遭遇する機会が減少し、出穂期に高温に遭遇することが多くなった、秋野菜の定植時期や播種時期が年々後ろ倒しになっている等々・・・少し前には考えられない気象現象だ。高温干ばつへの対処の引き出しが少ないことに愕然とするのは、どうやら自分だけではないようだ。
 時折、春と秋が短くなったとのニュースが流れるが、寒冷地に住んでいる自分も同感だ。


column_abe63_3.jpg 最近、農業者と面談する機会が多い。
 残念ながら、普及活動としてではない。しかし、「手間がかからず所得が期待できる野菜は?」、「いま取り組んでいる倒伏しやすい酒米の倒伏軽減対策は、これで良いだろうか?」、「小麦のカビ毒検査はどうすればいいのか?」など、普及員時代とほぼ同じような質問を受けることが多い。
 相談を受けると嬉しい気分になるのは、私だけではないだろう。普及員の先輩が、退職後に農業者から受ける相談に対して「大変だ」と話しながらも、まんざらでもない雰囲気だった。普及経験者は相談を受けるのが好きで、これはもう、職業病に近いのだろう。農業者の相談のことを話すと妻は、「あなたはそういう仕事が好きだったから、これからも変わらないでしょう」と言っていたことがあった。


 最近の農業者との面談の話に戻る。
 普及員時代は、最終的には「親方日の丸」的に、使用者である県が責任を取ってくれるという安心感があったのも事実だ。少し前に、職員のミスに対して応分の損害を負担させるという神奈川県の事例が報道されていたが、私の普及員時代には考えられないことだ。
 県職員退職後に所属していた職場では、農業者や事業者の支援のため、士業などのコンサルタントを派遣していた。コンサルタントは個人事業者なので、常にプレッシャーを感じながら顧客と接しているに違いないだろう。弁護士の場合は包括委任契約を交わす場合が多いが、そういえば、約定には取り決めがあったことを思い出した。経済面のことになると結構シビアな問題があり、JAと組合員の間で訴訟になったこともあった。


column_abe63_4.jpg 普及員も、時にはミスを指摘されることがあった。普及員個人のミスに対しては、組織的な対応とは別のフォローもあった。このことは一部の関係者にしか知られていない。
 普及活動は、間違いのない範囲の情報を提供することが多く、これは奇跡的なことだと思っていた。この前提が、普及活動対象者との合意形成と意思疎通というのは言うまでもない。しかし、関係機関・団体との合意形成をもって了とするような普及活動が増えたように思う。普及活動に余裕がなくなった、経験豊富な中堅普及指導員が減少している等々、さまざまな理由を列挙することができる。


 「ここまでしか説明できない」「この問題は話すことができない」という普及指導員が多くなったと、農業者から話を聞く機会が増えた。普及指導員が、そうせざるを得ない理由は理解できなくもない。普及活動の現場からベテラン普及指導員の割合が減少していることと合わせて、個人的に勝手に唱えている「職業普及員」待望論が農業者から聞かれることもある。
 普及事業の先行きを少しばかり心配する一方、農業者からは、現在の普及指導員による普及活動になじんでいる(評価している)という意見が多く、安堵することもある。その時々で農業者本位の業務を行っている限り、普及活動は農業・農村にマッチしていくのだろう。特に、農業者の具体的な変化、例えば、新たな品目の導入や経営規模の拡大、生産技術の見直しなどがない場合は、普及活動のニーズとのマッチングは難しい。「農業者の変化を起こすことから普及が始まる」と話した先輩もいたが、今では難しいだろう。かつて、このような普及活動をおこなってみたことがあったが、量的な普及活動が負担となり、生意気にも「これでは機会損失だ。質的な普及活動であるべきだ」と、普及計画のとりまとめを行ったことを思い出した。

 
●写真:普及指導員の活躍 上から
・シャインマスカット講習会で奮闘
・有機栽培の水田で生育状況を共有化
・アスパラガス産地の生育状況を関係者に総括
・左手に竹尺を持ちながら「つや姫」の生育状況を説明

あべ きよし

昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。

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