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2023年8月29日
昔と今(その2)
この夏は強烈に暑い。イネ科雑草やスベリヒユは元気いっぱいで、カボチャの出来も良い、しかし、アズキは小ぶりで、サヤインゲンは落葉してしまった。営利栽培の野菜農家は、生育の停滞を嘆いていた。
真夏日や猛暑日の昼下がりは、屋内でゴロゴロしていることが多い。「温暖化だから、昔より今の夏の暑さは強烈。外で動き回るのは自殺行為だ」とは、同年代の共通認識だ。寝苦しい夜など、ほとんどない冷涼地だったはずが、クーラーに頼りきりの生活を送っている。かなり昔のことだが、先輩普及員から、「この夏を無事に乗り越えらえるよう、つとめて節制しています」という内容の暑中見舞いを受け取ったことがある。当時は深刻に受け止めることはなかったが、先輩と同じ年代になってみると、このことを実感するようになった。
かかりつけ医院は"クリニック"の名称を用いているので、医師をドクターと呼ぶことにしている。
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毎日暑いですね。この春から(悠々)自適の生活を送っているとお聞きしていますが、何をしていますか?(ドクター)
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好きなことだけ選んでやっています。やらなければならない事が多かった今までと違った、いわば『ニャンコ的』な生活の今が、実に新鮮です(私)
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その心は私には理解できませんが、楽しいのでしょうか?(ドクター)
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話が盛り上がれば、やらなければならない事の多い『ワンコ的』な生活と『ニャンコ的』な生活とを比べながら伝えたいと思っていたのだが、たぶん、ドクターの家にはニャンコがいないのだろう。傍で聞いていた看護師はクスクス笑って会話を聞いていたので、看護師の家にはニャンコかワンコがいて、生態の違いが分かるのだろう。好き放題の生活をしていると、高齢者特有のわがままな人間に見られると思い、時々は頼まれ仕事などをしながら、家庭や社会に貢献するようにしている。ニャンコは気まぐれではあるが、家人に貢献しているからだ。
猛暑の中、散歩しているワンコを見かけることがある。そんな時は、ドックトレーナーの「ワンコは命令されるのが好きだ」という話を思い出す。それにしても「気の毒だ」と感じるのは私だけではないだろう。「散歩を途中で嫌がり、仕方なくワンコを抱っこしている人も見かける」と、妻が話していた。
昔の行政は、『ワンコ的』と思えて仕方がない。
職場では、全体調和のかけ声とともに、的確に仕事をこなすことが求められた。嫌なことを無理して行っていた場合もあっただろう。
デジタル化の進展とともに仕事の分量が徐々に増加し、ふと「ゆとり」がなくなったと感じることがあった。職場にワープロが入り始めた頃は、「消しゴムがいらなくなった」と単純に喜んでいたが、パソコンが一人一台になると、激変を感じさせないない程度に少しずつ人が減りはじめ、ある時、職場の雰囲気が変わってから気づくのだ。この頃の自分は、「普及センターも『ニャンコ的』な普及業務から『ワンコ的』な業務に変化している。その良し悪しに関係なく、変化が迫っている」と感じることが多かった。
昔の普及所では、『ニャンコ的』な仕事を好む先輩が多かった。それが輝いて見えた良き時代だった。先輩がよく使う、「普及活動の本来業務」とは、そんな普及活動の裏の意味として隠れていて、しかも職場は是認する(すべき)雰囲気に満ちていた。それは、自分本位だったり怠惰だったりする普及活動を指すものではなく、普及員一人ひとりの判断が尊重されていた時代だったからだろうと思っている。
普及事業発足当初は食糧増産の背景があったわけだが、普及活動は教育的手法として、農業者への支援(普及)に置き換えられた事業だと理解していた。だからこそ、普及活動の本来業務として、行政施策とは距離を置いていたのだと思っている。前のコラム(昔の普及所)で、「普及員一人ひとりが普及所」だったことを記述したが、昔の普及員らしい普及所を表現している言葉だと思う。当時から、農業改良助長法などにより、普及事業の運営に関する指針(ガイドライン)で基本的な普及活動の目標が定められ、都道府県では普及事業の実施に関する方針を定めている。しかしながら、現場に出れば、普及対象の農業者との掛け合いが主体になることが多く、前述の目標は後付けに過ぎないという認識を持った普及員が多かった。
普及所が独立庁舎から地域庁舎に移転し、普及事業が行政組織に組み込まれ、やがて、農業改良助長法による必置規制が廃止され、山形県の場合は平成17年に総合支庁という地域行政組織に編入された。この頃になると、「普及活動の本来業務」は、普及センターの職場で話題にされることさえなくなってしまった。今の普及指導員は、聞いたこともないだろう。
ワンコは飼い主に指示されることにストレスを感じない動物らしい。人間の場合はそういうわけにはいかない。「担当業務をこなすことに充実感を持てばよい(職務充実)」と考えられるかと言うと、そんなに簡単なことではない。管理職員を対象にしたメンタルヘルス研修などを受講したことがあるが、すべてに「ゆとり」があった昔の行政と比べると、想像もつかない職場環境になっている。休暇制度の充実や深化、ワーケーション・・・。昭和生まれの自分には、相当無理をしないと理解できない事態になっている。職員が少なくなり過ぎたことが影響しているのだろうが、さらに「ゆとり」がなくなっていくようで、心配は尽きない。マンパワーの不足は、効率化の論点では簡単に解消できないのではないか。
最近、普及指導員に相談をもちかけた農業者の嘆きを聞くことが多い。「具体的な内容は話すことができない」とか「説明はここまで(しかできない)」といった会話が多くなったという。言われてみると、生産対策の割合は、昔とは比べものにならないほど増加しているし、完全に行政組織の一員たる普及指導員ならば仕方がない、と理解することができる。なにより、普及対象にする農業者が激減しているといった側面もある。「帰り際の普及」とか「振り向きざまの普及」なども、今の普及指導員には、もはや「死語」になっているだろう。自分の考えは「私語」として今の普及指導員に受け取られているのかという、一抹の不安がある。
農業施策の中核が産業政策となった場合、普及事業は、限りなくコンサル業務に近いものになるのかもしれない。否、行政組織の一員である場合は、そのようなことにはならないかもしれないが、『ニャンコ的』とか『ワンコ的』では説明がつかない事態になってしまうかもしれない。
いまは無理かもしれない『ニャンコ的』な普及が懐かしい。
●写真
今年もらった小輪ペチュニア。
今年はペチュニアの苗をいただく機会が多い。ホームセンターをのぞいてみると、ペチュニア全盛かと思えるほどに種類が多い。
昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。