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ときとき普及【55】

2023年1月27日

農村の高齢化


やまがた農業支援センター 阿部 清   


 少子化、人口減少、農業の担い手減少、労働力不足・・・・、高齢化に関係する語句は、マイナスのイメージとして会話に登場することが圧倒的に多くなった。だが、「だから、どうするのか」を具体的に語っていることは少ないので、現在の農業・農村を語る際の、いわば、枕詞なのだと理解するようにしている。


 昨年、県内の山村で優れた営農を実践しているYさんを訪ねた。
 ありきたりの挨拶を交わした後、「Yさんの集落は人口減少が続いています。県内ではすでに、人口減少が下げ止まる30~40年先の状態になっていますが、今後の地域の農業担い手はどうなるのでしょうか」と質問してみた。
 Yさんはしばらく沈黙していた。明らかに不満気な様子がうかがえた。
 「やってしまった・・・。よそ者の私が、判で押したような、実につまらない質問をしてしまった。『どうしても聞きたいのか。ならば、どう答えてやろうか』と考えているに違いない」と、沈黙が続く間、考えをめぐらした。


 Yさんはとまどった様子で、「将来のことを考え込んでも仕方がないと思っている。集落の将来を誰かが担うことができれば良いのであって、それが私なのか、地域住民なのか、移住者なのかは問わないし、それをいま、考えるべきではない。その時々で考えれば良いと思っている」と答えが返ってきた。いまを集落で生きる自分たちが満足感を抱く山村ライフを続けていきたい、というニュアンスだった。上から目線で安易な質問をしたことを猛烈に悔いた瞬間だった。


column_abe55_1.jpg 人口減少や高齢化は、不可抗力の側面が大きい。経済状況や社会環境の変化は、個人の能力を超えていると感じることが多い。一方で、山村の困難な状況を言うのはたやすい。将来にわたって、現状で維持することが前提になっているからでもある。農村の将来を予測して、変化に備えるのも大切かもしれないが、少数で担うことは難しい。「将来のことは、その時々に考えれば良い」とは、「為すべきこと為して、変化に委ねる」ということかもしれない。

 現在取り組んでいる集落の環境整備や栽培作物、加工品の販売、来訪者との交流の話になると、目をきらきら輝かせて、持論を展開する姿が印象に残った。「山村は誰かが引き継ぐだろう。だが、廃村になってしまう可能性もある」という覚悟は、行政サービスを提供する市町村にとっては重大な問題だろうが、山村の住民の視点では自然なことなのだろう。


 先月、「集落の次期役員選任の件で相談に乗ってもらいたい」と、話し合いが持たれた。私が暮らす農村は、高齢率が50%を超えている。現在は主要な役員を選任できているが10年先は難しいだろう、という話で盛り上がった。
 今後の役員を担うであろう50代以下の地区民が少ないのは、現実の問題となっている。「集落戸数の減少と人口減少は、どうあがいても事実。当面は、現在の60代で何とかなる。10年後は、その時のベストなやり方を考えればいいこととし、しばらくは、現在の役員体制で問題なし」との結論で一致した。困ったことがあれば考えざるを得ないが、ただちに解決する妙案がないのだから、10年後に、この問題に直面する時までに課題を継続すれば良いとするのが自然なのだと。「60代の我々は、それまで健康で生きよう」がオチとなった。


column_abe55_2.jpg 巷で、地域振興の話題になる農村集落は、伝統や文化などを切り口にした集落活動が取り上げられていることが多い。「そのことを称賛する前に、その集落が『稀なケース』だと考えてしまっている」が、正直な感想なのだという。

 昔は地区行事が多く、それらを子育て世代が担っていた。少子化とともに担い手の絶対数が減少し、次第に地区行事を休止(限りなく廃止)する事態になって、現在に至る。これは、コロナ禍以前から既定路線だった。かつては、地区を二分する激論になるのが常だった小学校の統廃合の問題でさえ、スムーズに事が進行したという。「地区民の生活エリアや意識は、いつの間にか広域化しているからだろう」との結論だったらしい。


 昭和の中山間の集落の多くは、個々の営農の結果として、集落の農業の全体像が見えていた。多くは農業生産が前提で、生産活動についての普及活動の切り口に疑いを持つこともなかった。限りある農地を多くの農業者で分け合って活用していた時代であればこそ、農業者の意識は同じにならざるを得ず、「地域全体への波及(普及)は労せず」と感じた普及活動が多かった。集落の農地を少ない農業者で担う時代になると、個々の農業経営への支援は想像できるが、普及員的な発想からすれば、普及(波及)にはなり得ないと感じる。


 農村は、昔ながらの属地で考えることが多いが、人口減少とともに、属地から属人へ移行していると感じることが多くなった。田舎では一般的ではないが、もし、属人の視点から農村を眺めれば、歳をとるとともに農村は、魅力的な生活エリアに思えてくる。毎年同じようにゆっくり流れる時間は高齢者にとって、望ましい生活のリズムだからである。

 高齢化しているとはいえ、自助の志があり、集落では、共助の意識は相変わらず高い。これに少しの生産活動が加われば、無双だと思う。きちんと管理された田園は、感嘆符が付くほど美しい。棚田がそうであるように、里山の杉林(人工林)でさえも同じだ。都市からの訪問者も、農業者の営みを感じた時に、田舎への好感を持つ瞬間が訪れるという。

 しかし、高齢者の(きままな)努力にもかかわらず、農村は、あるがままの「わび・さび」が増加している。その状態にあっても、魅力的な生活エリアが継続しているかどうかは分からないが、プラス思考(高齢者ファースト)で農村の変化と向き合うようにしている。そのため、「だから、どうするのか」がなく高齢化に関係する語句を常用する人達とは、内心、距離を置くようにしている。また、これから本格化するDX的ライフは、しばらくの間は農村ライフを下支えしてくれるに違いないと思っている。


●写真上から
・里山の山道。昔とは比べものにならないぐらい手入れされなくなった
・中山間のこの光景。誰かが担ってくれるであろうとの淡い期待

あべ きよし

昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。

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