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ときとき普及【53】

2022年11月28日

30代の普及活動


やまがた農業支援センター 阿部 清   


 11月になると、あちこちで初冬のたたずまいが見られるようになる。日常の会話でも「鳥海山が初冠雪した」「紅葉で彩られていた雑木山が落葉している」「昨晩、白鳥の鳴き声を聞いた」など、天候に関する挨拶が多い。
 子どもの頃、雪は発雷とともにやって来て、高い(少し遠くの)山に雪が二回降ると、三回目には里が初雪を迎えると言われていた。
 当時、地域では70代は畏敬のまなざしを向けられる大年寄りで、60歳を超えればもう立派な老人だった。今では100歳は珍しいことではなくなり、90代の高齢者を数えてみると、結構多いことに気がつく。老人クラブでは、75歳の後期高齢者にならないと肩身が狭いらしい。高齢化率は、全国で29%強だったと思うが、当地区では50%をはるかに超えている。この状況に、専門家は地域の先行きを心配するが、普通に暮らす分には特段の不便は感じない。超高齢化率の地域であっても、プラス思考で考える限りは悲観することもなかろうと思っている。
 

column_abe53_1.jpg 試験研究から普及に異動になったのは、満30歳の時だった。
 研究員を続けたいという未練が断ち切れなかった自分を待っていたのは、年相応(?)の普及活動であった。
 初めて知り合った普及対象の農業者と主体的に向き合うようになると、個別の具体的な農業経営や地域の農業との関係を考えるようになり、「普及活動というもの」を実感するようになった。以前のコラムで記述したような、強風で壊滅的な被害を受けたスイカ実証圃のこと、夜の講習会で急にブレーカーを切断され、「帰れ」コールを聞いて立ち往生したことなど、普及現場では多くの失敗を重ねながらも、普及対象の農業者が慰めてくれたのがせめてもの救いだった。次第に、地域の農業のあるべき姿に普及員自身の考え方を重ね合わせることが多くなった。もちろん、普及計画作成にも向き合ったが、文字に表すのは難しい、あっという間の数年間だった。


 経験も10年になると、普及事業主管課から専門技術員の資格試験受験をすすめられることが多くなった。いろいろな思惑で受験を回避する者もいたが、大半の普及員は受験するのだった。
 当時の協同農業普及事業では、農業改良助長法によって都道府県に普及所の必置義務があり、普及活動は普及員と専門技術員により実施されていた。専門技術員は普及員の相談相手として身近な存在だったが、普及員の指導的立場だったり行政施策の代弁者だったりする業務を行っていた。

 私はよく、専門技術員を学校現場の教諭と指導主事に例えていた。専門技術員は普及事業への気概が随所に感じられ、特定の専門分野のコーディネート力には感心することが多かった。年代的には40歳代以上が大半だった。特定の専門分野の専門技術員は、農業団体のグリップ力、コーディネート力がないと満足に職務が務まらないとまで言われていた存在だった。私のような若い普及員から見ると、専門技術員は、尊敬の念を抱くのに十分すぎる存在だった。しかし、職務が困難であるからこそ、専門技術員を志す普及員は、私が知る限りはいなかった。受験資格を有する多くの普及員は、一人前の技術者への登竜門としてチャレンジする場合が多かったと思う。


 専門分野の知識は、学習すれば何とかなる。専門知識で合格ラインに到達しないのは、「受験以前の問題で、恥ずかしいこと」という雰囲気があった。その頃、技術面では、バイオテクノロジーと養液栽培などをマークするようにしていた。農政分野では、農業改良助長法や普及事業ガイドラインのほか、農業白書を一読するようにアドバイスされた記憶がある。


 試験の難関は、普及活動に関する設問の、通称「課題ウ」であった。過去の問題を調べて、普及計画を作ることだと理解していた。30代になると、個別の普及計画を策定する機会が増えてくる。専門技術員の試験内容は、特別なスキルではないと思えた。必要な視点は普及計画そのものであって、「地域(農業者)の背景」⇒「課題の整理」⇒「普及課題」と進み、次の段階の普及計画の実施では、「普及活動の手法」⇒「関係機関、団体との連携と役割分担」⇒「普及活動の結果、成果のとりまとめ」となるが、PDCAサイクルとするために「課題の検証」は必要不可欠となる。

 設問で「あなたの考えを述べなさい」と問われても、「あなたの考え」を期待しているのではなく、「考え方」を問うているのに違いない。「試験官は、個別・具体的な地域の事情は分からないはず」だと。だからこそ、「ある程度の文字数で正確に記述しなさい」が、設問の主旨として大切なのだろうと考えるようにしていた。まったくの創作では問題があるが、一部の補作程度は勘弁してもらえるだろうと思っていた。「普及なので、目的は農業者や農業経営にある」は、外せない一線であるのは言うまでもない。


column_abe53_2.jpg 考えていることを正確に文章で伝えるのは難しい。先輩普及員が15分、30分と時間を区切ってトレーニングしている姿を見たことがあるが、ここまでくると、「課題ウ」の要は、説明する際のテクニックになる。見出し・小見出しを効果的に使うのはもちろん、具体的な事例を用いた記述の方が、採点する試験官に説得力を与えるのは間違いない。「詳細に記述しても高評価はない」とは、尊敬する先輩のアドバイスだ。しかし、「技術者たる者、与えられた文字数を目いっぱい使って説明すべき」とも話していた。今になって思えば、論点をはずさないで記述するのは難しく、だからこそ、詳細な記述はセーブするのが無難とのアドバイスだったのだと思う。


 「研究員は毎年、試験設計、試験成績検討の繰り返しがあって、成果が上がれば研究報告として、成果発表の機会がある」と話す専門技術員がいた。普及計画の成果のとりまとめが曖昧になりやすいことを指して、普及員が陥りやすい問題の核心はここにある、との指摘だった。そのように指摘されると、たしかに、普及計画は十分(?)検討して作成するが、普及活動の結果やとりまとめは、「普及活動は相手(普及対象の農業者)のあることだから」とか、「今年は気象変動が大きかった」とか、「関係機関、団体との連携に難があった」などの説明をして、PDCAサイクルをうまく回せなかった覚えがある。

 研究員は普及活動の経験がない。しかし、視点は研究開発と同じで、試験設計、研究成績を具体的な普及計画に置き換えてみると、案外すんなりと「課題ウ」になるらしい。試験設計は生産現場の課題を拾う場合が多いからでもある。「研究員であっても普及員であっても、経験10年以上になると受験のネタは、いくらでも持ち合わせているし、持ち合わせていないとダメだ」と思っていた。


 専門技術員の受験とほぼ時期を同じくして、30代での普及活動は終わりを迎えた。
 次の職場は、普及の行政担当だった


●写真上から
・晩秋に水田で落穂を拾うハクチョウ
・近所の土蔵を覆うツタの紅葉

あべ きよし

昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。

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