農業のポータルサイト みんなの農業広場

MENU

ときとき普及【50】

2022年8月29日

地力と施肥


やまがた農業支援センター 阿部 清   


 新規参入の農業者の中には、自然栽培(自然の力をいかんなく引きだす、永続的かつ体系的な農業方式の呼称:自然栽培全国普及会ホームページより抜粋)を希望する方がいる。たしかに、山野では、施肥などの積極的な管理はしなくとも、毎年のように決まった場所に群落を形成している。ただし、長期間のスパンで見ていると、少しずつ様相が変化していることに気づく。こんな時には、ちょっと専門家を気取ってみるが、土壌肥料専門ではなく栽培技術者の自分は、解析には限りがある。
 山野では、気の遠くなるような長い期間を経過して有機物を堆積し、肥沃な土を作り上げている。時には、降雨による土壌流亡によって複雑な環境条件を形成し、結果として、変化に富んだ植物相を形成しているのだろう。・・・今年はこのような事を考える機会が多かった。


column_abe50_1.jpg 普及員だった頃、圃場のN成分は収穫物とともに圃場外に搬出され、それを補うのは施肥(元肥や追肥)で、それが唯一無二だと信じて疑うことはなかった。野菜類の施肥窒素は、成分で10a当たり10~20kgの場合が多く、降雨などによる流亡を含んだ指標として施肥設計をおこなっていた。最終的には吸収率で評価されることになるが、緩効性肥料や液肥、溝施肥や土中施肥などの施肥に傾斜した普及活動を行っていた。当時の栽培資料には地力を考慮した形跡がなく、いまになって考えると、偏った資料を使って普及活動を行っていたことになる。
 後年、研究開発の職場で根域誘導施肥にチャレンジしたが、その技術を完成することはできなかった。偏った考え方(?)を長く引きずっていたことになる。


 「タラノキは、毎年のように穂木として圃場外に搬出されるので、土壌窒素で考えると収奪する農業になるかもしれない」と、説明することが多かった。生産現場での施肥量は10aあたり5kgと少なく、普及員の私は、さかんに施肥量の重要性を説いたが、農業者は立枯疫病が心配で、施肥量は少なかった。普及センターでは、この病害が確認されたことがないにもかかわらずだ。

 タラノ芽の産地化を始めた頃は、草地を活用することが多かった。タラノキは、草地跡地に栽培すると、例外なく生育が旺盛で、寒冷地においても草丈が3m以上に伸びることが多かった。節数を30節程度確保できることから、促成物の収量の試算し、説得力のある普及活動が可能だった。その頃は、なぜ草地での生育が良いか、皆目想像ができなかったが、施肥量の展示圃をやるようになってから、「窒素レベルで考えると、タラノキは本当に収奪的なのだ」と、意識するようになった。また、「長年草地として維持した圃場は、想像以上に地力が向上しているのではないか」と思うようになった。その後、「タラノキ圃場では、草刈りが必須の作業になる。逆に、草刈りが必要でない圃場は適地ではなく、栽培管理に問題がある」と話をするようになった。

 「水田転作地では草が繁茂しない箇所がある」という農業者の質問には、「地力ではなく湿害が問題なのでは?」と答え、「肥えた圃場では初期生育が不安定なことがある」との問いかけには、「それは地力の問題ではないように思う。別作物で一作経過後にタラノキを植え付けたらどうか? 可能ならば飼料作物で」と説明することにしていた。


column_abe50_2.jpg 先日、妻とウクライナの小麦についてのニュースを見ていた時に、世界3大穀倉地帯のことが話題に上った。「たしか、黒海からウクライナにかけてと、北アメリカのプレーリー、アルゼンチンのパンパの3地域が肥沃な土壌だったかな? これらは、施肥に依存しなくとも良いほど地力があるという。数百年レベルの営農で枯渇するような、半端な地力ではないらしい」という説明を、かつて先輩から聞いたと話した。

 「ウクライナ」といえば、映画『ひまわり』が思い浮かぶ。ソフィア・ローレンの演技は涙なくしては鑑賞できなかったし、マルチェロ・マストロヤンニの哀愁は、今でも鮮明に記憶に残っている。広大なひまわり畑が油脂作物だという知識は持ち合わておらず、地理の授業に出て来る穀倉地帯のひとつとしか覚えていない高校生だった。「プレーリー」はプレーリードックというリス科の動物が思い浮かび、もうひとつの「パンパ」は、何も思い浮かぶものがない・・・。


 「肥沃な大地が、堆肥などの土づくりで数年のうちに完成できるなど、片腹痛い」とは、先輩技術者の話だ。当時勤務していた園芸試験場の試験圃場は最上川沿いの沖積土で、何年も、ほぼ無肥料でトマトを栽培できるくらいに地力が高かったため、施肥試験については、土壌肥料担当の先輩技術者とディスカッションをおこなった。「野菜くずでさえ、投入した水田は肥効が継続する」「土壌水分の保持や雑草防止のためには堆肥マルチが絶対だ」など、頑張って発言したことを覚えている。


column_abe50_3.jpg 後年、アスパラガスの新産地化のための栽培マニュアルに書いた、「初年度の10a当たり30tの堆肥施用量」は同じ発想だが、「地力が低いがために失敗する農業者を極力なくすため」という普及活動の目的は理解してもらえなかった。仕方なく「10年分を一度に施用することで劇的に効果を高める」と、無理筋な説明をしたこともあった。


 正直、普及員時代は、施肥などの肥培管理を考える時には、必ずしも地力優先の施肥設計は、おこなっていなかったように思う。なにしろ、施肥優先の時代に普及員をやっていたからで、水稲ほどではないにしろ、園芸作物も施肥に対してはシャープに反応するのを目の当たりにしてきたからだ。
 農業の現地では、施肥や農薬に関する知識は、普及活動を支える強力なアイテムだったのは間違いない。普及員同士で話題になる「帰りぎわの一言」と呼ぶ普及活動では、肥料・農薬ネタがよく登場した。農業者の関心が高いということを、感覚的に察知しているからだった。


 『肥えた畑では大豆や小豆は栽培しないし、サツマイモは良品が生産できない。痩せた畑ではナスやキュウリは難しい』・・・これは、劇団「ふるさときゃらばん」のミュージカル「親父と嫁さん」の劇中で、古老が青年農業者に語りかけるシーンだ。「ふるさときゃらばん」は、山田洋次監督の映画「同胞(はらから)」の題材になっていた劇団で、機会があれば観劇したいと思っていた、農村を舞台にしたミュージカル劇団だった。
 40年も昔のミュージカルを覚えているのは、普及員という職業柄なのだと思う。その後、劇中から仕入れた地力ネタを普及活動に使ってみたことがあったが、農業者の反応はサッパリだった。昔、いや、私の普及員時代は、自由自在な普及活動が許容されていた、ある意味、"自由な普及活動"が可能な時代だった。


 「みどり新法」は、持続可能な農業にとっては、栽培技術は補完的なものとして位置づける必要があるのかもしれない。一足飛びに「自然栽培」は無理だとしても、足らざるところを合理的に補うのが農業技術なのかもしれないと、最近、しみじみと感じている。


●写真上から
・フウセンカズラ:アサガオ、ゴーヤを含めた3種のグリーンカーテンとしている
・刈降雨が多いとゴーヤの葉の上のアマガエルの数が多い
・梅雨明けの早晩に関係なく、季節が来ると数多いアブラゼミ

あべ きよし

昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。

「2022年08月」に戻る

ソーシャルメディア