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ときとき普及【47】

2022年5月30日

山菜園(その1)


やまがた農業支援センター 阿部 清   


 1972年、日中国交正常化の記念に中国から上野動物園にやって来たパンダの「ランラン」と「カンカン」を思い出す。実物を見たのは5年後だった。田舎人にとっては、とても苦痛な見物の行列に並び、彼女(今の妻)と一緒に、ほんの十数秒程度、どちらかのパンダを拝見したことがあった。「立ち止まらないで下さい」とアナウンスが流れていたことを覚えている。
 先日のこと、和歌山のパンダ「良浜」が母の日のプレゼントにタケノコを貰ったとのニュースが報道されていた。ニュースをみながら、「パンダも柔らかいタケノコが好物なのだ。高齢ということでもないだろう?」と、シミジミ感じた。
 ニュースを聞きながら、なぜか、竹の仲間のネマガリダケのことを思い出した。


column_abe47_1.jpg つい最近まで、ネマガリダケを採りに、山に入るのが年中行事になっていた。その採種場所は神室山系が最初で、次に、山歩きが比較的楽な栗駒山系を定番にしていた時期が長かった。

 平成20年6月14日に岩手・宮城内陸地震が起きた時は、その場所にタケノコ採りに出かけていた。その日は雲が低く垂れ、ときおり霧状の小雨が降っていた。いつもどおり、夜明けとともに入山したが、珍しく気持ちが入らなかったことを覚えている。多分、注意力が散漫だったのだろうが、竹で眼を傷つけてしまい、いつもより早めに下山することになった。帰路の途中、小安峡温泉近くに差しかかった8時40分頃、車の異様な振動を感じた。しかし、それが大地震とは気づかず、「運転が丁寧でない」と、妻に指摘したほどだった。やがて、国道13号線の情報版で、初めて大地震の発生を知ることになった。

 山形県内でも震度5弱が観測されており、就業規則では、県庁に登庁しなければならない規模だったが、「眼科医に直行する」と、当時の課長に連絡したのだった。
 後日、知人から、「栗駒山系の道路にはクラークが入って、下山が難しかった」とか、「地鳴りがひどかった」などの話を聞く機会があった。私は栗駒山系の秋田県側でタケノコ採りをしていたが、同じ山系の宮城県側に入山していた知人夫婦は、地元当局の懸命の捜索にも関わらず、いまだ発見されていない。土砂崩れに巻き込まれたのだろうと考えられている。それから数年後、秋田県内の奥羽山系で、ツキノワグマに危害を加えられたという話を聞き、いよいよ、ネマガリダケ採りは行かない(行けない)ことになった。


column_abe47_2.jpg ネマガリダケを食するツキノワグマを説明するために、およそ関係のないパンダまで登場させてしまったが、数年前、寄る年波を考えて、山菜園を整備することにした理由でもある。これまでに、ウルイ(オオバギボウシ)、ワラビ、ギョウジャニンニク、ウド、秋田大ブキ、野ブキ、木の芽(アケビ)を植栽していた。山菜取りは体力勝負という側面がある。猟友会の人からは、「ツキノワグマだけでなく、イノシシや二ホンカモシカにも注意して入山しないといけない」とアドバイスされているから、なおさらである。


 昨年は、タラノキとネマガリダケを新植した。
 ネマガリダケは、盛園まで最短5年、通常10年は必要なので、年配者に仲間入りした自分の年齢からすれば、ラストチャンスだった。昨年春に株を入手し、秋までの活着率は約半分だった。生き残った株からは、この春に勢いよくタケノコが発生していて、この調子なら、5年後には採取が可能だと思っている。

 山菜のリアルな植栽作業は久しぶりだ。成果は思わしくなかったが、「参考資料を読み返さないで農作業ができること」、これが、普及員的だと満足していたが、「専門家なのに成績がイマイチね」とは、妻の辛口の一言である。「ネマガリダケの親株の移植は、孟宗に比べて難しい」と説明しようと思ったが、釈明はしないことにした。


 タラノキは、かつて失意(?)の人事異動から立ち直る契機になった作物だった。
 普及指導員として技術開発に携わった山菜なので、妻の口から思わず出た「流れるような農作業」という言葉には、「専門家としては当然」という態度をとることにした。


column_abe47_3.jpg 今年はコゴミ(クサソテツ)とコシアブラを山菜園の仲間にした。どちらも、専門書を記述したことがある山菜類なので、真剣に、かつ、慎重に植栽作業を行った。
 コゴミは、山間の小川の河川敷から株を掘りあげた。以前から、栽培するならこの場所と目星を付けていた株だった。この山菜は山里の至る所で採取することができ、かつて、普及員時代の山菜の栽培講習会でコゴミを説明したところ、「捨てるほど取れるのに、栽培しろと申す普及員やいかに」と、怪訝な反応の農業者を目の当たりにしたことがあった。実のところ、わが家の周囲の自生地の状況も然りである。しかし、自分にとっては山菜園の仲間として、欠く事のできない山菜でもある。


 コシアブラは、近くの雑木林から採取(許可済み)して植え付けた。改植が難しい山菜なので、活着するかどうかはわからない。この山菜は、木本の割には上根(うわね)なので、掘り上げがたやすい。「改植1年目は、活着したとしても、葉が数枚展開して伸びを停止させる」ことを、妻に忘れずに伝えて、「頂芽でも伸長せず、来春には勢いよく伸びだす」ことや、頂芽が欠けた場合は潜芽が伸びだす」ことなどを、得意になって説明した。
 山に入れば、採取目的ではないが、アイコ(ミヤマイラクサ)、シドケ(モミジガサ)、シオデ、青ミズ(ヤマトキホコリ)、赤ミズ(ウワバミソウ)などが目につくことがある。これらは、順次、山菜園の仲間に加えたいと思っている。どちらも、中山間地域をエリアとする機会が多かった自分の、普及活動の幅を広げてくれた植物だからでもある。


 それにしても、当時は、山でツキノワグマやイノシシに遭遇する危険など、ほとんどなかった。山と里の境界が不明確になり、狩猟が激減したのが大きな理由だと考えているが、山里ライフにとっては、人口減少と合わせた、大きなハードルになっている。


●写真上から
・山菜園に移植したコゴミの自生地
・山菜園のネマガリダケ(2年目)
・山菜園の野ブキ(2年目)

あべ きよし

昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。

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