農業のポータルサイト みんなの農業広場

MENU

ときとき普及【46】

2022年4月28日

番外編(ニャンコ)


やまがた農業支援センター 阿部 清   


 雪国でも桜が開花した。私の住む地域は開花が遅れているが、おそらく本州で最も遅い場所なのだろう。弘前公園の桜の便りが聞こえてくる頃でも、隣接する地区公民館の桜は、まだ蕾の状態であることが多い。今年の冬は山雪型だったことから、ゴールデンウィーク中に見頃を迎えるのかもしれない。その直前に、ヤマザクラとタムシバの開花が確認できるようなると、いよいよ春本番。山菜採りのシーズンインとなる。


column_abe46_1.jpg さて、わが家で以前飼っていたニャンコは白毛の雄ネコで、「ピコ」と名づけた。妻と私は「ピイ」と呼び、娘たちは「太郎」と、勝手気ままな名前で呼んでいた。親戚筋で生まれた白と黒の兄弟のうち、別の親戚が黒のニャンコを、わが家は白のニャンコを譲り受けたのだった。最近は内ネコが推奨されているが、もちろん、完全な外ネコだった。


 3月下旬、春彼岸の頃になると、水稲の種子浸漬が始まる。ニャンコは秋冬期は最も暖かい場所を選び、春夏期は相対的に涼しい場所に陣取るのだが、この時期になると、家にこもっていたニャンコの活動の大半が外になっていく。雪解けが進んだ用水路の側を伝い歩き、雪囲いを外した庭木を元気に駆け上がって遊んでいた。

 4月は水稲の種まき用の育苗床土を準備する時期になる。今でこそ肥料入りの育苗床土を購入する農家が多くなったが、隣家では、昔ながらに作業小屋で育苗用土を乾燥していた。ある日のこと、わが家のニャンコは乾燥中の床土で遊んだらしく、全身土まみれで帰って来た。乾いた土は「ネコ砂」に近く、ニャンコの生理にとって理想的なものだったと思う。もし床土にニャンコの置き土産が残っていたら申し訳ないことだが、小動物の仕業だから勘弁してもらおうと言い訳を考えていた。去勢しているので、オシッコをスプレー(マーキング)することはないと信じていた。


 耕起前の本田では、「伏せ」の状態で、戯れるカラス(獲物)をねらう様子を見ることがあった。カラスは一向に気にすることなく、鳴き声で気合を入れていた。私には「普通に遊ばれている」ような光景に見えた。ニャンコは、ひたすら獲物を待つのが狩りのスタイルだと聞いていたが、このやり方には納得できた。穏やかな春の日には、伏せの状態で寝入ってしまっている姿を目にすることがあった。これも、睡眠時間が長いニャンコの特徴なのだと想像した。


column_abe46_2.jpg 時々、生きたネズミやモグラを家に持ち帰って来ることがあった。「一緒に遊ぼう」という意味だと聞いたことがあった。あえて無関心を装うようにしていたが、ニャンコに遊ばれるネズミやモグラの断末魔の鳴き声に気が気ではなかった。やがて、その亡骸は部屋の片隅に捨てられていた。片付け(始末)は私の仕事で、「水葬に付す」ことにしていた。


 季節は進み、本田の代かきが始まるようになると、(爪がひっかからないためか)畦畔から滑り落ち、全身泥水だらけで戻ってくることもあった(地方の方言では、この状態を「カッパダレ」と言う)。すぐにシャワーで洗い流すことになるが、「フロ」という響きを本当に嫌っているらしく、悟られないように無関心を装いながらニャンコを捕まえるのが常だった。シャワーを浴びると、ニャンコは観念したように大人しくなった。


 年に数回はワクチン接種のため、動物病院に出かけた。
 初めての診察で、飼い主(私)の名字を尋ねられた。理由がわからずにいたが、診察前に「阿部ピコちゃん」と呼ばれ、その理由がわかった。ワンコでも小鳥でも同じ呼び方をされていたのだった。「ピコ」は、ステンレスの診察台がことのほか嫌いなようで、診察が終わと、嫌がっていたキャリーケースに進んで入る様子を眺め、獣医師と一緒に笑ったものだ。診察室が嫌いなのはニャンコだけではなく、飼い主に引きずられて診察室に入っ行くゴールデンレトリバーを見ながら、「小動物のニャンコだけではなく、ワンコも診察台が嫌いなのだ」と、妙に納得したことがあった。


 わが家のキャットフードはドライ専門だった。元気がない時は、高価な(?)ネコ缶を開けてみたが、ウェットには見向きもしなかった。
 私が子供の頃に飼われていたニャンコは、もっぱら白飯に煮干しや節を振りかけた「猫マンマ」で、よろこんで(仕方なく)食べていた記憶がある。多分、ネズミなどを捕食して栄養は足りていたのだろう。それに比べたら、専用フードは贅沢だが便利だと思っていた。「食習慣は、親ネコと一緒の頃の食生活で決まる」という話を専門家から聞き、わが家のニャンコは、ドライフードだけの食生活で育ったのだろうと考えた。焼き魚は食べ物とは認識していなかったので、食事中にニャンコで困ることはなかった。しかし、「鰹節」や「のしイカ」には強く反応するため、ニャンコの風下で調理、配膳をするように工夫していたと、妻は話していた。


column_abe46_3.jpg 野良ネコと喧嘩をしたのか、時々ギザ耳になって帰ってくることがあった。雄ネコにしては縄張り意識が希薄だと思っていたが、それでも、家人の姿を確認すると一気呵成に野良ネコを追い回すのだった。「弱いニャンコは尻をケガすることが多く、耳をケガしているのは相応に元気なニャンコの証だ」と獣医師は話していた。

 しかし、野良ネコが自分のエサを食べるのを横目で見ているような、「おっとり」とした性格でもあった。「飼いネコなのだから、野良ネコが近寄ったら追い払うべきだ」と、憤慨して説教したことがあった。「残したエサだから良いのでは?」が、妻の意見だった。「ピコ」の生家では、複数のニャンコが飼われていたのだろう。エサに関してだけは、野良ネコを仲間とみていたのかもしれない。しかし、縄張り意識が強いニャンコにしては、釈然としない「ピコ」の行動だと思った。


 普及員をやっていると、訪問先でニャンコを見つけることが多かった。陽だまりにたたずむ姿を見れば、暖かい場所を選んでいると理解し、冬場に訪問した時は、だいたいストーブや炬燵で寝そべっているものの、知らない人を警戒して、イヤイヤ場所を離れるのだと思った。農家の数だけ、普及員的には普及活動の数だけニャンコが飼われていたが、ニャンコと遊んだ覚えはほとんどない。

 最近は、初対面でも近寄ってくる愛想の良いニャンコが多い。当然、飼いネコだが、その理由はわからない。今のニャンコはエサが満ち足りているという生活環境からだと、勝手に考えている。

あべ きよし

昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。

「2022年04月」に戻る

ソーシャルメディア