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ときとき普及【44】

2022年2月28日

普及員の悩み(その4)


やまがた農業支援センター 阿部 清   


 ある休日の朝、知り合いの農業者から電話があった。今年の水田利用の直接払交付金のうち、今後5年の間に復田しない場合、令和9年からは助成対象から外すという制度に納得できず、私の意見(同意)を求めるものだった。

 「定着した水田転作地は、完全に畑地化している。畑地だからこそ経済性が高くなっている。復田するには、用水路の改修や水田の漏水防止のために床固めが必要で、新たな経費がかかる。米は安く、経済合理性から外れる」という内容を一気に話したところで、私に同意を求めてくるのだった。

 「昔のことだが、野菜類は転作奨励金では特例作物となっていたこともあり、あくまでも臨時の交付金だった。将来にわたって交付金の対象にしたものではなく、どちらかというと時限的な、ある意味、転作の現場に配慮した政策だったと思う。そういえば、永年性作物の果樹類は、転作の実績カウントのみとされたこともあった」と、彼の主旨からは少しずれた話を返した。

 彼からは、納得できない様子が伝わってきた。
 「この地域ではニラやアスパラガス、ネギのほか、夏秋キュウリがおもな水田転作作物になっている。永年性作物のニラやアスパラガスは、簡単に圃場の移動はできない。これらの野菜は経済性が良いから影響は少ないが、受委託の草地は、水田利用の交付金が前提で成り立っているため、問題が大きい。地域の転作が大きく変更せざるを得ない状況になる事を、県はどのように考えているのだろうか」と、地域の起こるべき窮状を訴えるのだった。


column_abe44_1.jpg 「たしかに、今後の動きは想定できる。それでも、米政策は法律で規定されたものではなく、要領・要綱で実施している対策だ。将来にわたって交付金を支出することは難しくなってきていて、定着した「転作」は、もはや「本作」として評価しようということなのかもしれない」と話をしたのだった。


 復田の面積が増加すると、用水路の再整備が必要になってくる。草地として利用していた転作地の多くは「水掛かり」の不良な水田が多いため、用水の確保が問題になると考えている土地改良区があると聞いている。また、復田作業は短期間ではできない工事になる。このような経済的な問題により、復田を選択する農業者は少ないかもしれない。主食用米の需要量減少というトレンドにある米政策を前提に部分調和して来た地域営農が、多少なりとも影響を受けるのは間違いないと思った。


 私が農業改良普及員だった頃、普及活動と転作制度は切っても切れない関係にあった。勤務した普及所は、水田単作地帯。野菜専門の農業改良普及員の活動する農地は、特別な農地を除けば地目は水田で、必然的に転作地だった。米政策に対する普及活動の貢献が求められていた時代だった。普及計画には、田畑輪換やブロックローテーションなどの語句が随所に散りばめられ、技術的な課題は排水対策だった。昭和20年代から30年代には食糧増産という、わかりやすい普及活動の共通目標があったが、転作推進も似たようなもので、実に分かりやすいと、勝手に理解していた。当時、転作関連の普及計画では新規作物の導入や定着が多く、土壌改良や排水対策が現実的な技術的課題になっていた。農業者も同様の悩みを持っていると感じる機会が多かった。当時、稲作は比較有利な作目で、以前のコラム(『ときとき普及【39】』)でも書いたように、水稲の時間当たりの労働報酬は2,000円を超え、一方で野菜類は1,000円前後だった。転作奨励金によって下駄を履くことは、米政策に協力すること以上に大切な視点になっていたと思う。


 田畑輪換によって、畑作物や野菜類の連作障害回避の効果も期待されたが、論点が違うのではないかと思うことが多かった。「排水に問題がない転作地の連作障害回避は輪作等でやるべき」だし、「寒冷地稲作で漏水対策の課題を残す転作は問題だ」と考えていた。固定化した転作地(排水対策を前提にした転作作物の栽培)への普及活動に重点を置いたのだった。「これは農業者目線だ」と、自信を深めていた自分がいたが、当時の転作制度からすれば、「お上のとおりにしない、聞きわけの悪いヤツ(上司の指示に従わない普及員)だ」と評価されていたように思う。


column_abe44_2.jpg 地域の経営類型は、水稲を基幹とした家族経営による複合経営が、営農類型の主体だった。水田転作において野菜類や花き類を導入すると、水稲作業の農繁期と、水田転作で始めた野菜類の作業が競合するケースが悩みの種になることが多かった。「野菜を導入するなら水稲をあきらめるべきではないか」「いつでも水稲に戻れるような野菜栽培は中途半端だ」と自問していたが、農業者の前で説明することはなかったと思う。昔から営まれている水稲は、経済的、精神的に別格な存在だったのは間違いない。「いつかは、思い切って水稲を作付けできる時代(水稲栽培に励めば家計を十分に維持できる時代)が戻ってくる」と話す農業者が多かったのも事実だ。
 現在、山形県の野菜の主産地は、固定化した転作地に立地している。若い普及員だった頃に取り組んだ野菜産地は、ほぼ主産地になっていて、当時の見立ては間違ってはいなかったのだと思う。これは農業者も一緒だと信じている。


 今回の水田利用の直接払交付金の見直しは、経済面での影響は大きくはないが、野菜産地を担っている農業者をねらい撃ちにしたものだと受け取られているのかもしれない。
 電話をかけてきた農業者は話を続けた。
 「制度の改正や趣旨は理解できるが、性急すぎる。農村では、急激な担い手の減少・不足という極めて困難な問題があることを、施策立案者は考慮していない」と言って電話を切った。たしかに、人口減少は不可抗力に近い側面がある。考えれば考えるほど、共通の解決策は見つからないように思える。電話の農業者は、この困難な状況の中で懸命に微調整しながら農業を実践しているから、今回の米政策の変更に対する憤りは理解できる。
 もうすぐ昭和の時代の普及事業を経験した普及指導員が退職する時期を迎える。米政策は継続するが、今年は、水田転作が昔話とともに思い出されるはじまりの年になるのかもしれない。


●写真上から
・固定化した転作の代表例、パイプハウス(施設)での夏秋トマト栽培
・固定化した転作の代表例、10年間以上継続するアスパラガス栽培

あべ きよし

昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。

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