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2021年12月27日
普及員の悩み(その2)
秋は駆け足で通り過ぎ、初冬の気配になった。
県内は押しなべて気温の高い秋だった。わが家のダイコンは、驚くほどの大きさになった。冬の囲い用にと播種を遅らせたのだが、晩秋になってからぐんぐん育ち、5kg以上になったものもあった。ハクサイも同様で、ミニハクサイのはずが普通のハクサイと同じ大きさに。五寸ニンジンはダイコン並みに育ってしまった。知人宅を訪ねた時にも巨大ハクサイを目にし、今年はどこでも同じなのだと納得した。テレビの県内ニュースでは、小カブが6.5kgに育ったとの報道もあった。
販売用の野菜は、大きさを基準に収穫するが、家庭用は時期を基準に収穫することが多いため、育ちすぎることが多い。そのことについては、自分からは触れないようにしている。しかし、妻はこれを見逃してくれず、「普段から専門家を標榜しているのに、何とかならないの?」と、遠慮のない言葉を浴びせてくる。販売用と自家用の収穫に対する感覚の違いなどを無理やり説明するが、次第に言葉が出て来なくなる。そういう時は決まって、天候のせいにしている。今年は、回りも押しなべて育ちすぎているらしく、いつもなら妻の再質問があるはずが、大きさの割に品質の低下がなかったためか、容易に引き下がってくれたのだった。
作物の生育や品質の良し悪しを天候のせいにしていると、若かりし頃に、「技術者たるもの、天候のせいにするとは情けない」と指導してくれた先輩を思い出す。
初雪が降る頃は、一年で一番夜が長い時期になる。あたり一面の銀世界は、急に周囲を明るくしてくれる瞬間だと思っていた。
子供の頃、初雪が無性にうれしかったのは私だけではないだろう。この歳になっても、唱歌の「ゆき」の歌詞が自然に出て来て、ワンコも同じなのだろうかと思ったりする。ただし、雪国の降雪はこんなに穏やかなものではなく、直に根雪となるような降雪があれば、銀世界ではあるが、光が反射しない暗さが続くのだと、気が滅入ってくる。しかし、東北・北陸地方の日本海側の特徴を否応なしに感じさせられる季節があるからこそ、融雪期の土の匂いが訳もなくうれしく、それに続いて草木が一斉に萌え出すさまは、寒冷地型牧草のスプリングフラッシュと重ね合わせて感じるものだ。
私は野菜担当の普及員だったので、一年中同じような業務形態だった。野菜農家の生産活動が、(一部では雪国といえども)周年だったことによる。夏秋野菜が終了すると野菜や山菜の軟白促成栽培が始まり、年がら年中、栽培講習会などを行っていた。
30年前の雪国では、農業の目標のひとつに"周年農業"(ときには周年栽培)があった。
何種類かの作物を組み合わせた栽培を"周年農業"と称することが多かったのだが、「同一作物の周年栽培に限って"周年農業"と称すべきだ。農業者が周年、農業するのは普通のことだ。ことさら強調するのは理解できない」と、心の中で異を唱えていた。耕種農家に限っていえば、雪国では農閑期がたしかにあり、その期間も農業で所得を確保しようとする普及課題があったのは事実だ。期待された(?)野菜担当普及員にはシーズンオフがなく、冬期に、取りまとめや計画づくりに没頭できる作物担当普及員がうらやましかった。「教師でさえ長期間の、例えば夏季休暇のようなものがあるのに、野菜普及員にはない」と、こぼす普及員もいた。
冬になると、(普及対象の)農業者が農村からいなくなった。野菜農家の多くは、農閑期には他産業に臨時で就業している場合が多かった。ひと昔前ほどではないが、出稼ぎに行く農業者もいた。巷で言われるような経済的な理由は表面的なもので、のんびり休んでいられないという農業者の実直さのなせる業だろう考えていた。スキーが国民的に人気だった頃は、シーズンオフ(農閑期)にはスキーのインストラクターを兼ねている青年農業者が多く、キラキラ輝いていたことを覚えている。伴侶をスキー場で見つけたという農業者もいた。
雪の降り始めのこの時期に、ルンルン気分(雪やこんこ・・・)で農家を訪問すると、立て続けに空振りという事態も経験したことがある。戸数は限られていたが、山菜の軟白栽培をやっている農業者を訪問した時でも不在だったことがある。そんな日は運が悪いと諦めるしかなかった。
雪道のドライブは、極端な悪天候でない限り苦にはならなかった。玄関先でワンコには会ったが農業者は不在。こんな場合でも、活動実績には「現地巡回指導」と記載していたが、厳密にいえば普及活動をさぼっていたことになる。事務所に在席しても事務が何ら進捗しない場合でも、「指導準備」と記載するのが常だった。思い出したくない記憶だが、雪の降り初めには、こんな情けない普及活動を思い出してしまう。
最近、担い手農業者が極端に減少しているので、普及対象農業者もまた減少しているという話を聞く機会が多い。(昔の)普及員時代は農村=農家の場合が多かったので、普及対象農業者に不足感はなかった。しかし、これだけ経営体数が減ってくると、随所で課題が生じてくるのが想像できる。より深い普及活動ができるという説を聞く機会もあるが、優秀な担い手や農業法人を対象にした普及活動は難しいというお悩み相談を受けることもある。その場合は、「農業者は天候に関しては寛容だけれど、農業経営は我が道を行く人が多いのが当然なので、牽制が働くように組織化をすすめてはどうか。その組織には、大規模経営と小規模経営が混在しているのが望ましい。仮に、普及対象が大規模経営だけだったら、○○協議会のような任意の団体を組織してみてはどうだろう」とアドバイスすることにしている。
昔、稲作や果樹担当の普及の先輩が、「普及員は役者だ。舞台は市町村や農協が用意する」と言っていたが、「舞台を用意するのは普及で、演じる役者は農業者だろう」と、心の中で反論していた。最近は、舞台は普及が用意するのが定番になったと信じることにしている。
普及員は雪でも普及活動を行うため、公用車と雪道に限っても話題には事欠かない。「強烈な暴風雪に遭遇した場合は、躊躇なく近くの農家に避難すること」などと上司が指示するような光景あることを、温暖な地域の普及指導員には理解してもらえない。普及員だった当時、「雪国の曇天は、野菜や山菜の軟白栽培の栽培管理にとって、それは最適な気象条件だ。また、根雪は病害虫をリセットしてくれる」と、プラス面だけを考えることにしていたものだ。
●写真上から
・初雪の頃の近所の神社
・初雪に覆われると、一瞬だけかがやく田畑
昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。