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2021年11月29日
普及員の悩み(その1)
わが家の敷地にはケヤキがある。私が小学生の頃にはすでに大木だったので、樹齢は古いものだと思う。このケヤキだが、今年の春先に、枝ごとに芽生えの時期が違うことに気づいた。ある会議で同席していた樹木の研究者に、「わが家のケヤキは、芽生えが極端に遅いが、枯れてしまうのだろうか」と尋ねたところ、「ケヤキは2、3本が一緒になった樹木と思った方が良い。簡単に言えばキメラ的で、この点では珍しい樹木なのかもしれない」という説明を受けた。今年一年注視していたところ、やはり、紅葉のシーズンには、緑葉の枝と黄葉の枝が混在していた。長年、ごく近くで生活しながら、庭先のケヤキの特徴に気づかなかった。「見て」はいたが認識していなかった、というのが正しい表現なのかも知れない。
普及員は、農業者と生活圏域が同じでないことが多いため、農業者の変化に敏感なのだと思う。俯瞰することによって、よく理解できるなどと言われることがあるが、かつては「おかめ八目」と表現することにしていた。毎日会っていないので、「農業者自身より、その農業者の変化を感じ取ることができる」と豪語していたこともあった。「営農指導員は顔の見える範囲で共に暮らして、組合員から密接なサービスを求められている。普及活動は県内一律であって、農業者の要望に的確にサービスを提供できるのが特徴だ」と発言していたこともあった。
普及活動で虚しさを感じる時は、農業者の反応が感じられない時だ。そもそも、普及計画がこなれていないのではないかと、半分八つ当たりに近いような感情を持つことがあった。「策を講じて、農業者が乗り気になるよう仕掛けることも、普及活動の大切な技だ」と、Y先輩は力説していた。先輩の論点は理解しつつも、そこまでするのは大変だとか、農業者にとってはありがた迷惑かもしれないなどと、(情けないことに)後ろ向きに理解しようとしていたことがあった。県の施策と連動した普及活動の貢献が期待され始めた時代のことだ。後になって、行政の職場に異動してから整理できたことでもある。
普及対象に変化がない場合に農業者の改善が期待できないというのは、ほぼ正しいと思っている。
農業経営指導などはその最たるもので、具体的な取り組みがない場合は、現状維持が関の山だった。時には後ろ向きの支援(長期負債の負担軽減などのこと)に、関係機関の一員として参画することがあったが、選択肢が少ないことが多く、やるべき普及活動は明確で、理解がしやすかった。農業者の具体的な取り組みが連動している場合は、高い確率で経営改善効果が進むことが多かった。多くの場合、農業者の変化は把握しにくい。農業者からの積極的な情報発信があれば別だが、内向的だと感じる場合が多かったからだ。
稲作分野においても"産地論"を語る人々がいるが、昔は"産地"というと、野菜や果樹などの園芸分野で使用された言葉であった。当時の稲作と言えば、面的にあまりにも大きな存在で、"産地"でくくるには大き過ぎる存在だった。
野菜産地の活性化は農業者の変化と同じで、具体的な動きがある産地が発展しているように感じたものだ。もちろん、産地全体のこととはいえ、具体化するのは構成メンバーである農業者個々のことになるから、当然と言えば当然のことでもある。
野菜産地もまた、現状維持は難しい。ただし、新たな動きは(農業者が発案する場合もあるが)、営農指導員や普及員の提案であることが多かった。「常に新たな取り組みを実践しないと、産地は取り残されてしまう」などと、偉そうに発言していた若い頃の自分が恥ずかしい。最近、「動きがある産地は、普及指導員のスキルを向上させているに違いない」と感じる場面に遭遇することが多い。「産地は農業者を育てる」という先輩普及員の話に加え、「産地は普及指導員を育てる」というのも正しかったのではないかと思っている。
さて、今年の出来秋は、米の概算金が低下したことから、不安感を払拭できない農業者が多いと思う。この機に乗じて投資を計画している農業者もいるが、ごく少数だと思う。これから、大小取り交ぜた変化の兆しが見えてくるであろう。この変化に対して具体的な支援ができる普及指導員は、どのくらいいるのだろうか。具体的な変化に身を置くことによって、普及指導員のスキルはさらに向上するはずだと期待をしている。
今年はタヌキ被害が悩みであったが、生活のハリにもなった。
鳥獣(ツキノワグマ)被害防止のため、カキの残果を処分するようにとの話があったので、今年は屋敷のカキの実をすべてもぎ取り、畑に埋めることにした。ようやく作業を終えた翌朝、埋めたカキの実が掘り出されている光景を目にした。さっそく犯人捜しを行ったところ、確証はないが、足跡からタヌキの仕業だと断定したのだった。その日から、姿が見えないタヌキと格闘することになるが、物が渋柿だったことから彼らの興味は遠のいたらしく、埋設場所に現れることはなくなった。
わが家は里山にほど近いこともあって、日中、水路のそばをのんびり歩くタヌキの姿を目撃することがある、のどかな中山間地域である。「タヌキは水路の側を移動するという話は本当だった」と、納得する出来事になった。ここ数年、タヌキが自家用の黒豆を食い荒らすことが多く、今年こそはと一念発起し、周囲をネットで囲むことにしたところ、タヌキに勝利し、黒豆の稔りはまずまずだった。
このタヌキを捕獲しようと考え、箱わなを設置してみた(狩猟免許所持者の協力を得て実施)。箱わなに設置する餌は、バナナとかリンゴなどの香りが良いものが適するとのこと。翌朝、設置した箱わなが、無残にも引きずられていた光景を目撃した時、彼らの行動力に驚嘆した。当然、餌はなくなっていた。
今シーズンの捕獲は失敗だった。「捕獲できたとしても、その後の処分を考えると躊躇してしまう」という言い訳をしている。季節はすでに晩秋(初冬)になり、タヌキと再び格闘するのも来シーズンまでお預けとなった。
●写真上から
・緑葉と黄葉が同居する我が家のケヤキ
・タヌキに掘り起こされたカキの残果
昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。